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自主廃業も考えた会社。
M&Aで最高のパートナーに巡り合えた。

自主廃業も考えた会社。M&Aで最高のパートナーに巡り合えた。

株式会社アイエスエム
取締役社長

斎藤 郁夫

佐々木器材株式会社
代表取締役社長 兼
株式会社アイエスエム 代表取締役会長

稲葉 篤

株式会社アイエスエム 取締役社長 斎藤 郁夫

1995年これまで勤めていた医療機器商社から独立、栃木県宇都宮市に(株)アイエスエムを設立し同社代表取締役社長に就任。地域の医院向けに様々な医療機器を提供し、順調に業容を拡大する。取引先との取引と従業員の雇用継続を目指してM&Aを決断。本件M&A後は取締役社長として留任するとともに、譲渡先である佐々木器材(株)の執行取締役を兼務し、両社のお客様と従業員のために尽力していく。

佐々木器材株式会社 代表取締役社長 兼 株式会社アイエスエム 代表取締役会長 稲葉 篤

1993年佐々木器材(株)入社。創業者である佐々木氏の後を継ぎ2001年同社代表取締役就任。高齢化社会が進む中で、社会が求める医療と福祉の充実に貢献することを目指し、医療や福祉の最前線で活躍する顧客の良きパートナーとして、常に優れた製品・サービスを提供している。2017年3月株式会社アイエスエム代表取締役会長に就任。両社の長所や独自性を活かし、経営理念に基づいた地域社会貢献の実現を目指していく。

――まずは斎藤様が株式会社アイエスエムを創業された経緯からお聞かせいただけますか。

インタビューイメージ_株式会社アイエスエム_01

1995年、36歳の時に創業しました。元々、私自身、医療機器商社に勤めていましたが、その会社が結果的に倒産してしまったため、自ら創業して自宅の6畳間からのスタートとなりました。倒産した会社のお取引先の医院は困ってしまい、同じく医療機器商社をはじめていた私をわざわざ探しあて、「斎藤さんにお願いしたい」といってくださる。おかげで創業時からすでに20件ばかりの顧客を抱えることとなり、比較的、順調な滑り出しとなりました。20年以上経過した今でも変わらぬご愛顧をいただいている医療機関も中にはあります。大変ありがたいことです。

それから地域のクリニックや個人医院などの医療機関を中心にどんどんお客様を増やしていきました。ご紹介いただくことも多かったのですが、ほとんどが飛び込み営業。もちろん、すでに同業者とのお取引がある状況ですから、本当に小さな商品、例えば注射針のような消耗品をご購入いただくところからお願いしていきましたね。当時はインターネットの通販もありませんでしたから、開業医の先生のところにお伺いして、“一箱でも結構ですから”と頭を下げてお願いすると、けっこう購入してくれるんですよね。もちろん、一か月間から半年、一年かけて通い詰めてようやく購入いただけるという医院もありましたが、今から20年前の話ですから、医療機関の数もそれほど多くなくて、医院の経営にも多少の余裕があったのでしょう。普通の個人営業ですと、一般のご家庭に伺ってインターフォンを押しても門前払い。お会いいただける確率は低いですよね。ところが先生方は必ず会ってくださいますし、ちゃんと私の話も聞いてくれる。しっかり信頼関係を結んでいけば、小さなものなら間違いなく買ってくれるという実感はありました。


インタビューイメージ_株式会社アイエスエム_02

独立した当初は、医療機器だけを扱っていたのですが、徐々にお客様が増えていくと、例えばこれから開業したいと考えている先生をご紹介いただくケースも増えていきます。そうなると医療機器だけでなく、スリッパやトイレットペーパーまでと、ありとあらゆる備品や消耗品のニーズが生まれますから、とにかく私たちが扱えるものはすべて扱うという方針で、どんどん品目も増えていきましたし、徐々に社員も増やしていきました。

――多くの開業医の方々から信頼を集めた理由を自己分析されると、どのようなものであったと
お考えですか。

――インタビューイメージ_株式会社アイエスエム_03

お客様のご要望は絶対に断らないと決めていました。ビジネス上の要求はもちろん、時にはプライベートにおいて先生がお困りであれば、それこそ犯罪以外のことはすべてやってきました。当時はポケベルの時代でしたから、ピーピーと鳴れば、夜中だって入院設備のある医院に行って機器の調整をしましたし、不足している消耗品があれば、すぐに持っていきました。プライベートでは葬儀のお手伝いをしたり、先生のご自宅の庭の草むしりをお手伝いしたり(笑)。

今という時代では考えられないようなことですが、とにかく会社を大きくしていきたいという一心で、気合も入っていましたからね。こうして一人で仕事ができるのだという喜びもありましたし、それで生活が成り立つのであれば、どんな苦労でも厭わずに取り込んでいきました。とにかく先生方と仲良くなって信頼関係を積み重ねながら、最終的にはお客様が1000件ほどに膨れ上がるまでになっていたのです。そのほとんどが、私が主体となって開拓を行い、良い関係を構築していった大切なお客様でした。

――順調に経営が推移していくなかで、壁に当たったことはありませんでしたか。

インタビューイメージ_株式会社アイエスエム_04

創業10年目を迎えたあたりから徐々に、これまでの開業医中心のビジネスから、総合病院へと営業領域を拡大していきました。もちろん、これまでコツコツとお客様と信頼関係を構築し、手ごたえを感じてはいたのですが、やはり事業を続けていると野心も生まれてきます。10年続けてきたことに対する自信もあったと思うのです。事業はいたって順調に伸びていましたからね。ところが、その野心的な拡大路線が裏目に出てしまいます。

総合病院の営業に長けている社員が入ってきて、相当な売上をあげてきますから、やがて私の言うことも聞かなくなる。社内の統制がとれない状況に陥ってしまいました。また、私自身、常に“これでいいのか?”という迷いを抱いていました。これまでは個人開業医院の先生、すなわち経営者と直接、信頼関係を築いていくというスタイルでビジネスを進めてきたのですが、大きな病院となりますと、そう単純な話ではありません。大病院となるとお取引の窓口は先生以外にも取引担当者がおり、それぞれの立場で様々なお考えがあるため、調整も一筋縄ではいかなくなります。どうしても、そういったスタイルのビジネスに馴染むことができませんでした。4年ほど混乱した時期を過ごしていたのですが、断腸の思いで病院事業からの撤退を決意。病院を担当していた例の社員にお客様ごと引き渡して切り離してしまいました。売上は一時的に落ちたのですが、実は病院事業は利益も薄かったので、会社の体質としては逆に良くなりましたね。

――それは大変ヘビーな体験でしたね。

インタビューイメージ_株式会社アイエスエム_05

50歳を目前にして、また創業時に逆戻りですよ。社長でありながら営業もするという、プレイングマネジャーとして動かざるを得ませんでした。もちろん、ご紹介も多かったし、昔のように飛び込み営業などやりませんでしたが、体力的にきついですし、先の病院事業の切り離しの際の心労もあってか、体調も崩していました。もう、事業を拡大して伸ばしていこうという意欲もありません。いかに会社を維持していくか、“延命”することしか頭にありませんでした。10人弱の社員を抱えていたのですが、その半分が60歳以上になっていました。そうなると私が支えていくしかない。そんな状況も大きなプレッシャーになっていました。

いつまで延命を続けるのか?その先どうすべきか?色々なことを考えました。娘が2人いましたが、遅くに生まれた子で、まだ学生でしたから、後継者としては考えられない。休眠会社にして、医療機器のアフターメンテナンスだけを請け負うスタイルにすべきか…それも現実的ではありません。中には「斎藤さん、もうお客さんのところに顔出さなきゃいいんだよ」という、同じような立場の経営者の方もいたのですが、それは道義上できません。やはりお客様に対する責任もありますし、そもそもそんなことができる性分ではありません。これまでお客様との信頼関係を大切にしてきたのですから、簡単に引くわけにはいかないのです。答えがでないままに、ひたすら仕事に追われ、どんどん体調を悪化させていくばかりでした。

――事業承継のひとつのかたちとしてM&Aを意識されはじめたのは、その頃ですか?

インタビューイメージ_株式会社アイエスエム_06

ちょうどそういったタイミングで、地元企業から企業買収、いわゆるM&Aの申し出がありました。もちろん、それまでは一切、会社を売るなんてことを意識したこともありません。うちのような個人商店の延長みたいな会社を買ってくるところなんてないだろうと思い、“遠い話”でしかありませんでした。

しかし、こうしてうちを買いたいという会社があって、“こういう手もあるのか”と意識し始めることに。ちょうどそんな時にM&Aキャピタルパートナーズから手紙が届き、もう少し詳しく聞いてみたいと考えて、M&Aキャピタルパートナーズの担当者を呼ぶことにしました。最初にお声がけいただいた地元の企業は異業種であったため、仮にご一緒させていただいたとしても、結局、私が頑張り続ける必要があるのでは?という懸念がありました。できれば、私たちの会社の仕事をすべてわかってくれる会社と一緒になりたいと思い、M&Aキャピタルパートナーズのような第三者に相談してみようと考えたのです。


――実際に会ってみていかがでしたか?

インタビューイメージ_株式会社アイエスエム_07

最初にM&Aキャピタルパートナーズの担当者の話を聞いた瞬間から、話を進めてみようと思いました。決心は早かったのですが、やはり慎重になるので、色々な条件を提示させていただきました。

さっきも申したように、私たちの事業を理解してくれる、できれば同業が良いですし、お客様にご迷惑をかけたくなかったので、仕事のやり方も一切変えないでほしい。そして何より、60歳近い方も含め、すべての従業員が今までと同じように働ける環境を保障してほしいとね。好き勝手を言ったものだから、M&Aキャピタルパートナーズの担当者も苦労されたのではないかな。そこから決定まで、かなりの時間を要しましたからね。でも、最後まで私の思いをしっかり受け止めて、最適なパートナー探しに奔走してくださいました。

――検討期間中は、どのような気持ちでお過ごしだったのですか。

インタビューイメージ_株式会社アイエスエム_08

どこでも良いというのであれば、もっと早く決まっていたと思います。M&Aキャピタルパートナーズからはずいぶん、たくさんの企業様をご紹介いただきましたから。私の要望や譲れないこだわりみたいなものが多かったのだと思います。

正直、待っている期間はかなりきつかったですね。気持ちも揺れ動きました。M&Aの話は伏せてはいましたが、後継者がいないことを不安に思っている社員達から、「このまま変わらず事業を続けてほしい」と言われることもしばしばあり、“やっぱり私が続けていくしかないのか?”と考えたりもしました。でも、やっぱり、どう考えても無理なんですよ。私ひとりで経営と営業までカバーしていくのは体力的に限界でした。

昨年の4月から話を進めさせていただいていたので、今年の3月までに決まらなかったらもう諦めて、廃業しようとさえ考えていました。私の体力が残っているうちに、会社を解散して清算しようと。私が倒れてからでは遅いと思いましたからね。そんな悲観的な具体策を考えていた時に、M&Aキャピタルパートナーズから佐々木器材さんのご紹介を受けました。ギリギリのタイミングで私が理想とする会社のご紹介を受けた…。まだ決まったわけではありませんでしたが、一気にこれまでのストレスから解放されたような気がしました。

――ここからは、譲受企業である佐々木器材株式会社の稲葉篤社長を交えてお話を伺います。
稲葉様は、どのような思いからアイエスエムさんとのM&Aを進めようとされたのですか

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稲葉  それまでは一切、M&Aを意識したことはありませんでした。私自身、この会社に30歳で社員として入社し、先代である佐々木氏の後を継いで37歳の時に、代表取締役としてこの会社を任せていただくことになりました。そういった経緯がありますから、常に経営の勉強や人脈構築のため、医療関係者との意見交換会や銀行主催の異業種交流会に参加。視野を広げていく中で社会貢献に対する意識が強まっていきました。いまさら言うまでもなく、私たちが関わっている医療はなくてはならないものですし、高齢化社会が進んでいく中、これからも重要な役割を担っていくことは間違いありません。

私たちも微力ながら、そういった医療事業を後押しすることで社会貢献、特に地方医療に貢献したいと考えていた時に、M&Aキャピタルパートナーズ経由で、斎藤社長の会社のことをお聞きして、直感的に興味を持ちました。この会社と一緒になったら、微力ながら地方医療の発展に貢献ができるのではと。

――お互いの第一印象を教えてください。

インタビューイメージ_株式会社アイエスエム_10

斎藤 お会いする前に、「何事も相談しながら進めていきたい」というお手紙をいただいていて、とても丁寧な方だと思っていたのですが、実際にお会いしてみるとイメージ以上に物腰の柔らかい経営者で、ハートの温かさを感じました。

稲葉 第一印象として“穏やかな社長”だと感じましたが、創業から今に至るまでのご苦労話をお聞きして、本当にすごいと。私とは違い、創業者としてここまで20年にわたってご苦労されてきて、自分にないものをたくさんお持ちだと、尊敬の念を抱きました。その時点では、ご縁があるかどうかはわかりませんでしたが、ぜひご一緒させていただき、私も学びながらともに事業を進めていきたいと思っていました。

斎藤 私は、もう会う前から決めていましたね。そして実際にお会いして、この方ならお客様もうちの社員も守ってくれるだろうと確信しました。私自身、トップダウンで強引に経営を進めるタイプではなかったのですが、稲葉社長の経営姿勢にも同様のモノを感じました。

――正式に話がまとまった瞬間、斎藤社長はどのようにお感じになりましたか。

インタビューイメージ_株式会社アイエスエム_011

斎藤  ほっとした反面、代表の冠が外れたことに少々寂しさを感じました。しかし、M&Aによってオーナー経営者としての負担やプレッシャーが軽減された状態で、これまで同様の仕事ができるのですから、非常にありがたい環境であると思いましたね。

そして何よりも嬉しかったのが、お付き合いのある先生方が心から喜んでくれたこと。皆さんは、私がこの10年間、体調が優れない中で仕事を続けてきたことをご存じでしたからね。「本当によかったじゃないか」「斎藤さんが元気でいてくれたらそれでいいよ」といってくださいました。

現在は、アイエスエムの取締役社長と同時に佐々木器材の執行役員の任も拝命していますから、東京にある佐々木器材にもちょくちょく顔を出させていただいています。こちらは若い人が多いですからね。私自身、ワクワクするし元気ももらえます。代表を退任すると、仕事をしなくなる経営者もいらっしゃるようですが、私はちょっと感覚が違います。

アイエスエムは自分が興し、苦労して育ててきた会社ですから、今も変わらぬ愛着があります。稲葉社長は商才のある方です。私の力では、ここまでが限界でしたが、さらにアイエスエムを、そして佐々木器材を伸ばしていただけるものと確信しています。

――稲葉社長は今後、この2つの会社をどのように運営していこうとお考えなのでしょうか。

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稲葉  今の斎藤社長のお言葉にあるように、私は創業者ではないのですが、ご自身の会社に対する愛着というものを理解しているつもりですし、それを大切にしたいと思っています。

現在も、定期的に佐々木器材の創業者とお会いしているのですが、そのたびにご本人から、「自分の苗字が冠になっている社名を変えたらどうだ」とお話をいただきます。しかし私は、こうして会社を承継させていただいたことに対して大きな恩義を感じているので、創業者があって今の会社があり、今の私がいるので現状は変えるつもりはありませんとお答えしております。少々、古い考えかもしれませんが、私はそういうタイプの人間ですから、斎藤社長の思いをしっかり受けとめ、資本関係はあるものの、お互いに独立した存在として会社運営を進めていければと思っています。

もちろん、斎藤社長やアイエスエムの社員の方に合議をさせていただいたうえでの話ではありますが、守っていく部分は守り、変えていくべき部分は変えていかなくてはならないと思っています。それはお客様のためでもあり、ひいては佐々木器材、アイエスエム両社で働く社員のためでもあります。もっと働きやすい職場へと変えていく、そしてここで働きたいと思う社員を増やして受け入れる、そんな環境を整える必要がある。常に変化する社会環境を見据えながら、ベストでなくてもベターな道へと会社を導いていくのが経営者の役割であると自覚しています。

今年の3月に調印し、まだ2か月しか経過しておりません。1年後、2年後、あるいは5年後に、稲葉と組んでよかったよねと、斎藤社長からもアイエスエムの社員からも、そして佐々木器材の社員からも思ってもらえるよう、今が第二の創業期であると気持ちを引き締め、安心して勤められる組織づくりや事業展開を進めていきたいと思っています。

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斎藤  稲葉社長のおっしゃる通り、M&Aは成立した瞬間がゴールではなく、まさにスタート地点に立ったようなもの。これからが勝負です。一定の楽をさせていただきながら、こうして経営者の一員として参画させていただけるのが非常にありがたいですし、稲葉社長とともにまだまだ頑張っていければと思っています。

とにかく一時は廃業寸前まで追い込まれていたにもかかわらず、このような理想的環境へと導いてくださったM&Aキャピタルパートナーズと稲葉社長には大変、感謝しています。両者とも、私にとって救世主のような存在であることは間違いありません。

私のような地方の中小企業の経営者にとってM&Aは、あまり良いイメージを持てなかったり、そもそも関係のない話だと思っている人もいらっしゃるかと思いますが、断じてそんなことはありません。私は地元企業からのM&Aのオファーに対する窓口も含め、すべてM&Aキャピタルパートナーズにお任せして本当に良かったと思っています。担当者の方は、ずっと最後まで私に寄り添い、悩みを聞いてくれて、私という人間をしっかり理解してくれた上で、的確なアドバイスをくれたり、相手企業を探してくれました。

最高のパートナーに巡り合えたことで私の人生が好転し、すべてがうまくいっている、そんな喜びを実感しています。

インタビューイメージ_株式会社アイエスエム_014

(文=伊藤秋廣 写真=伊藤元章)2017/05/30

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