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患者のため、従業員のため発展的な事業継続が必要でした。

株式会社リード薬局 田代雅也

1992年~2001年まで空調機器の大手メーカーで技術職として従事。薬剤師である叔母の誘いをきっかけに、
2001年に高知県南国市で株式会社リード薬局を設立。2009年叔母の後を継いで代表取締役に就任。
叔母と二人三脚で12年間に亘り、総合病院の門前薬局として20名の従業員を抱え経営に従事。
本件M&A後は執行役として在籍、親会社のグループ会社の一員として従事している。

――まずはリード薬局を創業された経緯からお聞かせください 。

JA高知病院の移築が決定し、院外処方化の方針を打ち出していた当時の院長先生が薬剤部長の立場にあり、間もなく定年を迎えようとしていた私の叔母に、「新しい病院の⾨前で調剤薬局を開設しないか」と持ちかけてくださいました。薬剤師としての知⾒は充分にあった叔母も、会社経営はまったくの未経験。店舗づくりから設備導⼊、求⼈、許認可関係、経理実務などを⼀⼈でこなすのは難しいと、当時⼤阪の⼤⼿メーカーに勤務していた私に共同経営の話を持ちかけてきました。

生産技術職に従事していた私は、工場の生産ラインの構築や効率化などを担当。やりがいもありましたし、大変居心地のよい職場に所属していましたこともあり、話を聞いたときには、正直⾔って“まったくの畑違いだしな…”と躊躇したものでした。の⼀⽅で、以前から漠然とではありましたが、会社経営に興味を持ってはいました。ところが上司に相談すれば、「ちょっと待て」と引き⽌められるような始末。「ウチは、一般的にネームバリューもあるし、経営基盤も安定している優良企業。ここで辞めるのはもったいない」と説得されました。

しかし、何度も叔母から連絡をもらい、話を聞いているうちに徐々に気持ちは動いていきます。当時32歳だった私はまだ独⾝で⾝軽であったし、これはチャレンジする価値があると判断し、⼈⽣の中で最初の⼤きな決断を下したのです。退職してからすぐに失業保険を活⽤して専⾨学校に通い、簿記や社会保険の知識を習得。簿記の資格を取得して⾃信を付けてから、叔⺟と共に薬局の設⽴に取り組むこととなりました。それでも、銀⾏融資を引き出すための事業計画の策定、各種助成金を取得するための申請書づくりなどには苦労しましたね。

――店舗の立ち上げには、ずいぶんご苦労されたのではないですか。

当時、叔母が付き合いのあった薬の卸会社のカスタマーサポート部⾨の⽀援を受けながら、薬局の開設に関する許認可の⼿続きを進めていきました。
店舗の設計に関しては、薬剤師の立場から“使い勝手の良いものを”という叔母の望みを設計士に伝えるようにしました。⼀般的な調剤薬局は、病院の前にこぢんまりとした建物を⽤意しているイメージがあるかと思いますが、そうではなく、しっかりとした建屋と広々とした待合室、調剤室を⽤意したいという思いがあったのですが、そうなるとどうしても予算オーバーに。
財務を預かる私としては少々頭が痛かったのですが、銀⾏の融資を受けながらなんとかやりくりをし、叔母が理想とする調剤薬局をかたち作っていったのです。

立ち上げの際にもっとも苦労したのが薬剤師の確保でした。⾼知県内には薬学部を持つ⼤学はなく、有資格者の絶対数が不⾜している状況にありました。ハローワークに相談を持ちかけたり、新聞広告を打ったりしても反応はゼロ。叔⺟がJA⾼知病院から2名のベテランを引っ張ってきたり、⼤学の後輩に声を掛けたりしながら、どうにか7名を確保しました。薬剤師の確保には苦労したものの、患者さまはたくさんいらっしゃいました。

⼀番多い⽇には400枚もの処⽅箋が集まり、7名の薬剤師が全員、1.5人分の仕事をこなさなければならない状況に。私も毎⽇現場に出て接客をしながら営業時間終了後に売り上げの集計や帳簿付けなど、⾃分の仕事を⾏うしかありません。振り返ると、とにかく当初はがむしゃらにただ前に進んでいくだけと⾔う状態ではありましたね。朝早くから夜遅くまで働くというのは、⼤阪のサラリーマン時代と同じではありましたが、やりがいと責任の⼤きさが違います。従業員を雇っているわけですから、経営を上⼿く回していかなければ利益は出せませんし、⾚字になったら店を閉めなくてはなりません。ところが、⼀度⽴ち上がってしまったら病院にも患者さまにも迷惑が掛かってしまいますから、閉めるわけにはいかないのです。何としても事業を継続させなくてはならないという意識に⽀えられていました。

――どのような運営方針で、集客を図っていたのでしょうか?

病院の⾨前に店を構える調剤薬局ですから、こちらから積極的に営業をするわけにはいきません。
とにかく、一度来ていただいた患者さまにリピーターになっていただくしかないと考えました。具体的には、まずは、お待たせしないことと、丁寧に説明をし、「あそこの薬局は親切だったから」 という理由から、また来ていただけるよう努めました。通常の薬局では1台しか設置しない、1回に飲む薬をひとつに包む「分包機」 という機械を2台導⼊するというのも叔⺟のアイデアでした。それは患者さまのほとんどが体調の優れない方なので、少しでも早く帰してあげたいという配慮によります。当時はシステムもダウンしやすかったため、常駐している私がそれをすぐに復旧させたりしながら、とにかくスピーディな対応を⼼掛けていました。徐々に患者さまの信頼を集めるようになり、病院を替えても、私たちの薬局に処⽅箋を持ってきてくださる⽅もたくさんいらっしゃいました。

――店舗の経営そのものは順調に推移されていたようですね。

立ち上がってから1年⾜らずで順調に回り出し、さらに私の⽅でしっかりと経営を⾒るようになりました。サラリーマン時代に従事していた⽣産技術の仕事の⽬的のひとつにロス低減というものがあったので、そういった視点で業務を⾒直し様々な改善を⾏うことで利益もあがっていきました。
開設5年目には、違う病院の近くに支店を出店。その病院の先⽣も多くの患者さまを効率よく診られていて、それこそ最も多い日には100名以上の処⽅箋を持った患者さまに来ていただける状態でした。内科なので薬の量も多く、おかげさまで⽀店も順調に推移するどころか、効率が良すぎて、本店よりも利益率が⾼くなっていました。

外部の薬剤師から「リード薬局は忙しい」と思われ、薬剤師不⾜には悩まされていましたが、それでもベテランの薬剤師がいること、総合病院の⾨前に店を構えていることは、若い薬剤師にとってメリットが⼤きかったようです。⼀緒に働いた薬剤師の中には、私たちの薬局を卒業してから病院に勤務した薬剤師もいて、「リードで学んだことが役に立っている」と⾔ってくれます。そういった理由からリード薬局を選び、ピーク時には10⼈の薬剤師を確保した時期もありました。

――M&Aを検討するに至った経緯をお聞かせください。

1通のダイレクトメールがきっかけとなりました。差出⼈は“M&A”という名がついた企業。
ニュースで報道されているM&Aという⾔葉には、⼤きな上場企業同⼠の合併や買収のイメージしかなかったので、私たちには関係ないとそのまま2〜3⽇は開封せずに机の上に放置していたと思います。ところが、ふと⼿が空いたときに中⾝を⾒てみると、⽂中の「後継者問題」という⽂字が⽬に⾶び込んできました。

それまではまったく考えたこともありませんでしたが、もう70歳を⽬前とした薬剤師の叔⺟が引退したらどうするのだろう?資格を持たない私ひとりで会社を統制することができるだろうか?そもそも私が引退したらどうするのだろうか?親戚⼀同を⾒渡しても薬学を学ぶものもいないし、私の⼦どもの将来を限定するわけにもいかない。先ほども⾔ったように、病院の⾨前にある調剤薬局は、⼀度はじめたら閉めるわけにはいかないのです。そこで、まずは話だけでも聞いてみようと思いました。私もまだまだ若いですし叔⺟も元気なので、今すぐ“後継者”云々の話ではないにせよ、ここまで頑張ってきた私たちの会社が、どの程度の価値を持っているのかという点には興味がありました。そんな軽い気持ちでM&Aキャピタルパートナーズさんに連絡を⼊れたのです。

――最終的にM&Aを決断されたのは、どのような理由があったのでしょう。

まずは叔⺟に相談せず、私だけで話を聞いていたのですが、「このような資料が欲しい」と次から次に宿題が出てどんどん前に前に話が進んでいきます。けっして強引な印象があるわけでなく、⾮常に誠実に当社の価値を測ってくれていたのだと思います。説明を聞いているうちに、私の中でも意識が変わっていきました。当時、各地で調剤薬局バッシングが起こっていました。ある薬局の社⻑の報酬が破格であったり、患者さまにとって病院と薬局の両⽅に費⽤が発⽣することを疑問視する声があがったりしていました。また、医療費の中でも特に調剤にかかる費⽤を抑制する動きがある中で、材料である医薬品の仕⼊れにかかる消費税の増税を⽬前に控え、業界の先行きが徐々に不透明になっているような感覚がありました。

当時はまだ利益も出ておりましたが、良い時に動かず落ち⽬の時に動いても誰も助けてくれないだろうと思ったのです。確かに、M&Aとは違った⼿の打ち⽅もあります。例えば次々に多店舗展開するのも良いでしょう。しかし、そうなれば薬剤師がさらに必要になるし、現状でも苦労しているのにそれはまず不可能だろうと。ならば、⼤⼿企業の⼿に委ねれば、店舗を作るにせよ、薬剤師を⼿配するにせよ、スケールメリットを⽣かして医薬品を調達するにせよ、何かと有利になるのではと。私⾃⾝も、そういった⼤⼿企業のお⼿伝いをするのも魅⼒的だと感じたのです。

――田代さまが決断されたことに対し、周囲の人々の反応はいかがでしたか。

叔⺟には、当社の査定額が提⽰された時点で話をしました。相談と⾔うより、もはや私も彼⼥の背中を押そうと決意していましたね。⾦額はまんざらでもなかったようですが、やはりどこかに“もったいない”という意識があったようです。もちろん私にも同じような思いはありました。⼤⼿企業のサラリーマンと⾔う⽴場を捨ててまで選んだ選択肢ですし、ここを⽴ち上げた時から今までの苦労を考えたら、寂しさやもったいなさを感じないわけではありません。しかし、だからこそしっかりこの会社の⾯倒を⾒てくれるであろう⼤⼿企業に託すべきなのだという思いはありました。叔⺟には「このまま続けていたら、死ぬまで辞めることはできないよ」と説明し同意を得たのです。

従業員に対しては平成26年3⽉最終の⾦曜⽇の⼣⽅、⾼知市内で契約の調印をした後に説明をしました。最初はM&Aといわれてもピンとこない様⼦でしたし、労働条件も変わらず、今まで通りに働いてほしいと強調。週明けの⽉曜以降も何の混乱もありませんでした。あったのは「保険証変わるのですか?」という質問ぐらいなものでした。

――M&Aを実⾏するにあたって、もっとも重要視されていたのはどのようなことでしょう。

売り先となるパートナー企業に関して望むことはただ⼀点、従業員の雇⽤を守っていただくことだけでした。2社の候補先をご紹介いただき、それぞれに⾯談させていただいた際にもそれだけは念押しさせていただきました。売り先を決定したポイントを⼀⾔で⾔うなら、それは「熱意」でした。業界⼤⼿企業のM&A部⾨のトップがわざわざ⾼知にまで⾜を運んでくださり、アピールをしてくださいました。「私たちは⼈を⼤事にする企業だから、従業員については安⼼してください」と直接おっしゃってくださり、⼤変⼼強く感じたものです。やはり今まで頑張ってくれた薬剤師に報いたい。関係者全員がハッピーになるM&Aでなければやる意味がないと思っていました。また、トップが⾜を運んでくれたことでその後の話も早く、スピード感がありました。

あれから⼆年の年⽉が経過しましたが、誰⼀⼈退職者はいませんし、待遇はむしろ向上していると感じています。連続休暇制度の適⽤やベースアップも実施され、従業員全員が⼤⼿企業の⼀員になったメリットを享受しています。

――最後に、田代さま自身の率直な感想をお聞かせください。

私自身は、契約締結の時点で事業継承という⽬的が達成され、さらにその後も約束通り従業員を守ってもらえているので、大変満足しています。現場に出る時間を削って⾃分の仕事に集中することで、家族と過ごす時間が増え、これまでの仕事⼀辺倒の⼈⽣とは違った喜びを実感するようになりました。
さらに業界のリーディングカンパニーの一員に加わったことで、グループの成長の一助になれることにこれまでとは違ったやりがいを感じています。今年48歳ですから、まだまだ隠居するような年齢ではありません。これまで以上に、生まれ変わったリード薬局の発展に寄与していきたいと考えます。

年末近くに郵送された、たった⼀通のダイレクトメールからはじまり、翌3月末に契約を取り交わしたわけですから、本当にあっという間の出来事でした。
これも仲介してくださったM&Aキャピタルパートナーズさんや買い手企業のご協⼒をいただいた結果であると受け止めています。中にはゴールにいたるまで数々の障壁があって、契約まで時間が掛かるケースもあることでしょう。しかし、締結した際に得る達成感は格別のもの。私の⼈⽣において⼆度⽬といえる⼤きな決断でしたからね。

M&Aを専業とする企業があることすら知らなかったのですが、担当者の誠意や熱意があったからこそ、ここまでやってくることができたのだと思います。私たちの会社を価値あるものとしてアピールし、それを認めてくれる買い⼿企業とのマッチングを実現してくれたM&Aキャピタルパートナーズさんに感謝しています。

(文=伊藤秋廣 写真=伊藤元章)2016/02/25

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