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“100年企業”を目指して
M&Aで信頼できるパートナーに出会えた

“100年企業”を目指してM&Aで信頼できるパートナーに出合えた

アズテック株式会社
代表取締役

北野 金吾

新生企業投資株式会社
バイアウト投資チーム ディレクター

田沼 正幸

アズテック株式会社 代表取締役 北野 金吾

1950年生まれ。大阪府出身。三菱石油で経理職に従事した後に、広告代理店に転職。同社オーナーに出資してもらった会社で、地域密着型タブロイド「豊中タイムス」を発刊。12万5千部発行という実績を残した。その後、医療機器商社に勤務した後、1994年にアズテック株式会社を設立。翌年には同社初のヒット商品となる「オートモップ」を開発、販売をスタートした。現在に至るまで、数多くのアイデア&ヒット商品を世に送り出している。

新生企業投資株式会社 バイアウト投資チーム ディレクター 田沼 正幸

前職は外資系リース会社に勤務し、自動車リースの顧客管理を担当していた。新生銀行グループに移籍後、債務整理のサポート業務に従事し、2014年からエクイティ投資業務を担当。常に対話を重視しながら、一貫して中堅中小企業の経営者に向き合ってきた。

――まずは北野様がアズテック株式会社を創業し、どのように発展させていったのか、
その経緯からお聞かせいただけますか。

インタビューイメージ_アズテック株式会社_01

今から24年前、私が44歳の時に、このアズテックという会社を立ち上げました。起業家としては、少し遅めのスタートを切っていますが、それまでに何度か転職を繰り返し、まるで“浮き草”のような生活を送っていましたね。

社会人としてのスタートは大手石油会社の経理マン、それから広告関係の会社に転職して、そこからスピンアウトした企業で幹部として、地域限定のタブロイド紙の発行業務に従事しました。事業そのものは順調に推移したのですが、出資元が撤退することになって残念ながらクローズ。会社を整理してから、何か新しいビジネスを自分でやりたいと考えていました。とはいえ、当時、着実に経済成長が続いていた時代であったにも関わらず、独立して成功する人は6%、サラリーマンの時より収入が増えるのは、ほんの一握りという状況。そんな話を耳にして、やはり世の中は厳しいなと思いました。

何の知識もなしに、むやみに独立しても難しいと判断。女房も子どももいましたから、
サラリーマンになるしかないなと考えました。そこで1日3通ずつ履歴書を書いて、どんどん送っていったら、たまたま医療機器を販売する会社からお声が掛かりました。その会社はちょうど東京支社を開設するタイミングで、新しい営業職を求めていたのですね。

小さな会社でしたから、そこで私は生涯、ちゃんと勤め通したかったのですね。効率よく仕事をして会社を大きくして、そこそこの立場に就くのが夢でした。ところが社長が変わって、息子の代になってくると少し風向きが変わってくる。二代目社長を保護するために、彼より年上の古株はどんどん整理されていくのですね。そんな様子を傍から見ていて、“このまま自分が50代、60代になっていったときに、先が見えているな”と思い、独立を意識するようになりました。

――インタビューイメージ_アズテック株式会社_02

私なりに、これまでの医療機器業界での経験を活かしたアイデアを計画書にして、信頼できる知人や仕入れ先の担当者に見せて、意見をもらっていました。すると、たまたま知人の父親が医療業界で98年くらい続いている会社のオーナーで、そのプランを評価してくださった。出資するからやってみろと言ってくれたのです。それで決心がついて独立。文京区本郷のマンションの1室を借りて、アズテックがスタートしました。

元々、前職では営業担当でしたが、仕入れについても一部携わっていたので、お付き合いのあった大手メーカーさんに協力を仰いで、粘着マットというかなりシェアの高い商材を扱う許可をいただきました。ところが、この商品はこれから確実に衰退する商品だということはわかっていました。完全になくなる前に新しい商品を考えなければ、生まれたばかりのアズテックは生き残っていけません。以前から温めていたアイデアがあったので、それをなんとかメーカーさんにご協力いただきながら試作し、世に出したのがオートモップですよ。
モップと薬液タンクが一体になっている商品で、これが非常に大きなヒット商品となりました。吸着マットを扱うことで、既に全国に広がっていた販路に乗せていった結果、全国の病院の90%以上が使用するという、驚異的なシェアを持つ商品となりました。

――スタートから順調な滑りだしを見せていたのですね。
商品だけでなく、組織づくりにも注力されてきたようですが。

――インタビューイメージ_アズテック株式会社_03

今まで何度か転職を繰り返し、どの会社も、なんとなく“会社のために人がいる”といった傾向にあると感じていました。私自身は、会社はあくまで、人のためにあるべきと考えてきたので、そういった観点から商品づくりや組織づくりに取り組んできたつもりです。

原始時代の部族に例えると、その長となる人間は外敵と戦って、自分の部族を守らなくてはなりませんよね。同じように、経営者は会社を守らなくてはいけないわけだし、そのためには力が必要です。現代社会における力とはすなわち、お金ですよね。お金を稼ぐためには、小さな会社ではありますが、何とか工夫しながら新しい製品を作っていく必要がある。人と同じことをやっていたら必ず負けるのですよ、うちのような規模の会社はね。

そして、真面目にコツコツ積み上げていくことが大切です。私は会社を設立した時から、
“100年計画”を打ち出していました。森と同じですよ。森を作るには100年はかかるし、一本一本の樹木を育てるには30年も40年もかかる。製品もそうですし、販路もそうですし、人もそう。長期的な視野に立って、コツコツ真面目に事業に取り組み、しっかりした製品を売り続けていれば、おのずと売り上げはあがっていくと確信していました。急激に売り上げを伸ばす必要はありません。むしろお客様も仕入れ先も、堅調に成長を続けている会社を信頼して付き合ってくれるのです。

――100年計画というと、失礼ながら、もはや北野社長だけでは成し遂げることができない、壮大な計画ですよね。そこにこだわる理由を教えてください。

インタビューイメージ_アズテック株式会社_04

歴史というものは大切です。例えば、10年続いてきた会社より、20年、30年続いてきた会社の方が社会的信頼を集めるようになるし、そこで働く従業員も安心できるし、誇りが持てるようになります。もちろんご指摘の通り、私一人で100年もの間、この会社を見守っていけるわけがありません。人間と同じですよ。子孫を作って、代々、遺伝子を受け継いでいくような感覚です。私はアズテックという会社を設立した時に、65歳まで社長を務め、その後は次世代に渡していこうと決めていました。なぜなら、そのくらいの年齢になってくると判断力も鈍るし、周りも遠慮するようになってしまう。

ところが、それがうまくいかなかった。会社の経営がうまくいっていれば、後継者に困ることはないだろうと高をくくっていたのです。後継者を意識し始めてからというものの、なかなか私の眼鏡にかなう人材が現れません。会社の経営で一番大事なのは営業力ではなく、しっかり財務を見ることができる力です。やはり名プレイヤーは監督になれないと昔から言うではないですか。そういう意味では営業だけでは難しい。私は転職を繰り返しながら、色々な業務経験を重ねたからこそわかるのです。

身内に継がせるという考え方は、設立当初からまったく持ち合わせてはいませんでした。以前勤務していた会社もそうでしたが、同族会社は客観的な判断ができない傾向があります。どうしても愛情が邪魔してしまいますからね。当初決めていた65歳というタイムリミットがとっくに過ぎてしまった。このままでは、100年計画が絵に描いた餅になってしまうと、非常に焦りだしましたね。

――M&Aを意識されるようになったのは、そのタイミングでしたか?

インタビューイメージ_アズテック株式会社_05

世の中にM&Aという手法が存在することはわかっていました。でも、自分には関係のないことだと、100年計画なんて考えもしないような経営者が、自分の損得だけを考えて実行するものだと思っていました。でも、話だけは聞いてみようと思ったのは、周囲の声があったからです。私が後継者問題で悩んでいることは家内も従業員も知っていました。「うちの社員は社長に甘え切っているから、このままいったらどうなる?」と私に疑問を投げかける社員もいました。家内も“私が倒れたら家族はどうなる?”という不安を抱いていました。今だったら、まだアズテックという会社の価値を評価してくれる企業が現れるに違いない。このタイミングは逃してはいけないのではないかと思い、M&Aキャピタルパートナーズに会ってみようと決意しました。

最初にいくつかの条件を提示しました。まずは同業とのM&Aは避けたいと。なぜなら、小さな会社ながら医療業界においてはそれなりに影響力があるし、異業種の企業と組んだ方が、しばらくアズテックが主導権を持ったまま事業運営ができると思いました。そして同業だと可能性も広がりませんよね。
同様に上場企業であったり、うちより規模の大きな会社をパートナーにするのも力関係で負けてしまい、従業員が力を発揮できない可能性があると。そして、アズテックというブランドの存続にもこだわりました。例え世代交代して、私の手から離れたとしても残る企業ブランド。“その初代オーナーは私なのだ”というプライドを持って、この先の人生を生きていきたいと思っていました。

そんな条件を並べる中で、いくつかの企業と面談を重ねていたのですが、なかなかうまくいかず、少しペンディングになっていたときに新生企業投資さんを紹介いただきました。“ファンド”と聞くと、どうしても利益を追求するあまり、私たちのように長期スパンで事業を考える会社とは相容れない部分があるのではないか、アズテックというブランド名を100年存続することが難しいのではないかといった懸念が生まれました。しかし、“新生企業投資は違うのだ”と強調。その時点で既に、私はM&Aキャピタルパートナーズの担当者の対応に信頼を寄せていましたし、彼がそこまで言うのならと、面談を受け入れることにしました。

――ここからは、投資会社である新生企業投資株式会社の田沼正幸様を交えてお話を伺います。
アズテック様に対する第一印象はどのようなものだったのでしょうか。

インタビューイメージ_アズテック株式会社_06

田沼  最初のご面談の前にアズテックさんのホームページをじっくり拝見しました。そこに創業者の“人”に対する並々ならぬ想いを感じて興味を持ちました。私たちは、銀行のグループ会社なので、決算書を通して会社の売り上げや利益を見ていくのですが、紙で見ることは紙でしかないので、やはり会社を創ってこられた経営者の“人となり”はじっくり拝見して理解を深めるべきと考えています。その経営者の考え方に我々がどこまで賛同し、リスペクト出来るかが重要な評価の軸になってきます。それは正直言って、担当者個人の心情も影響する部分はあります。やはり、“手伝わせてもらいたい”と思えるかどうかが重要です。

そして、最初の面談を迎えたのですが、その時に社長は「迷っている」と仰っていました。せっかくの面談の場ではありましたが、私たちも正直に「よく考えたほうが良いですよ」と申し上げました。無理に進めるのはお互いによくないことは明白です。しかし、そのままでは前に進まないので、時間をかけてお互いにシンクロできる「何か」を探る必要があると考えていました。

――新生企業投資株式会社様のスタンスとしては、積極的にM&Aを進めたいというものではなかったのですか。

インタビューイメージ_アズテック株式会社_07

田沼  恋愛と一緒で一方的ではうまくいきませんよね。やはり、お互いが一緒になりたいと思えることが重要です。特に事業の軸が違いますよね。片やお金の尺度で物事を見ることが得意な会社と、一方で事業や商品に重きを置いている会社ですから、それ以外のところで共通するキーワードやモノの考え方が見つかれば、お互いに幸せになれる可能性が高まると考えています。そこで、社長が大事にされてきた100年企業というコンセプトに触れました。私たちもその想いに興味を持ち、その為には何をすべきなのか、という話を2回目の面談あたりから重ねるようになっていました。

北野  100年企業という話をしっかり受け止めてくれたパートナー候補は、後にも先にも新生企業投資さんだけでした。実は、1回目の面談の後、私は諦めていたんですね。それまでも何度か、M&Aキャピタルパートナーズの計らいで何社かと面談をしたのですが、皆、1回で終わってしまった。だから、2回目の面談を実施したいとお声が掛かった時には、ファンドに対する不安は多少あったものの、正直嬉しかったんですね。アズテックの価値を認めてくれたのではないかと。そうなると、こちらとしても前向きな気持ちになりますよね。

田沼  金額的な価値観と、ものの考え方や理念といった価値観の両方が合致したのかなと思いました。片方だけという会社はかなりの数に上るのですが、両方が合致するケースはそれほど多くありません。年間100件ほど話しても、数件成立するかしないかというレベルですからね。アズテックさんとは、それから3回、4回、5回と面談を重ねました。そのうち大宮で夜、お酒を飲みながらお話をさせていただくようになっていました。

北野  そうでしたね。あれは3回目の面談からでした。私、一人が大いに盛り上がって話してしまいました。話をいっぱいしたいというのは、アズテックのこと、そして私のポリシーをわかっていただこうという気持ちがものすごく強いから、どうしてもそれだけたくさんの言葉が出てきてしまう。それで、いつもしゃべり過ぎたと、面談が終わってから反省するパターンですね。

――その頃にはファンドに対する不安はなくなっていたのですか?

インタビューイメージ_アズテック株式会社_08

北野  2回目の面談で前向きになって、ファンドに対する疑念はむしろ、良い方に捉えるようになっていました。なぜかというと、ファンドと組むことによってアズテックの名前が生きる可能性が高いと同時に、失礼ながら、業界のことや現場のことを彼らが深く理解しているわけではないから、私たちが主導権を持って仕事を続けていけると気が付いたのです。現場と新生企業投資さんのような事務方がバランスよく共存できるのでは?と思いました。

田沼  まさに、そこです。事業を進める為には金融のエッセンスも必要で、これまで北野社長はすべてを一人でこなしてこられた。そういうスーパーマンの跡を継ぐ二代目って難しいですよね。ですから、集団で経営していく体制になっていくべきで、そのときに経理や財務といったところは我々が全面的にサポートできる。でも、私たちは製品を開発したり、販売して歩くことはできない。ですから、ちゃんと業務領域を分けて集団で経営できる企業にしていきませんか?というのが私たちの提案だったのです。

まさに100年企業という理念は、社長個人の想いからアズテックさんという企業の想いに変えていかなくてはいけないと、そう申し上げました。議論を重ねた後に、私たちの方から提案書というカタチで書面を提出させていただいたのですが、そこに「2094年、創業100年に向けて頑張りましょう」というメッセージを添えさせていただきました。

北野  その書面は今でも大切に持っています。そこには私が今まで伝えたことがすべて、しっかり盛り込まれていて感動しました。

――5、6回も面談を重ねるケースは往々にしてあるものなのですか。

田沼  やはり長かったと思います。今まで私たちがお手伝いしてきた会社に比べるとアズテックさんは規模が小さく、北野社長の影響度が大きかったため、少しでもかけ違いのないようにしておく必要がありました。そして、100年企業を目指して集団経営を進めていくために、しっかり議論を重ねて準備をすることに多くの時間を費やしました。

――M&Aが成立した時には、どのようなお気持ちになられましたか?

インタビューイメージ_アズテック株式会社_09

北野  決定するまで時間がかかりましたし、それまでに中身の濃い打ち合わせや議論を重ねてきたので、その延長線上にあったというか、そんな大きなインパクトはありませんでした。社員も家族も、私が一度決めたことを貫く人間だとわかっていましたし、特に何もいうことなく、信頼してついてきてくれたという感覚ですね。いうなれば、延長線上の単なるプロセスですよ。そういう風に考えるとむしろ、これからの時間が大切ですね。じんわりとした勝負がずっと続いていくわけですから。

田沼  確かに仰る通りですね。この半年の間に、何度もお邪魔させていただきながら、これまで北野社長が一人でやってこられたことを、これからアズテックさんを担っていく若手社員と共有しながら、新しい組織を構築してきました。事業計画を作成し、幹部候補の方々にマネジメントに参画いただく機会を作りながら、緩やかに権限移譲を進めています。とにかく、成約以前からずっと議論を重ねてきたので、やるべきことは明確に見えていますから、それに向かって真っすぐ突き進んでいくことができる、そんな感覚です。

――ありがとうございます。最後にそれぞれの立場からM&Aの意義について、思うところがあったらお聞かせください。

インタビューイメージ_アズテック株式会社_010

田沼  経営者が高齢化した場合、次世代の血縁承継は一つの手段であって、必ずしもそれありきではなくなっているという傾向は事実としてあります。そうなると経営者にとって一番大切にすべきものは家族もそうですが、やはり社員であり、彼らにとって一番幸せな道は何なのか?と考えたときに、自立性が担保しやすいファンドと組むという選択肢は有効な手段の一つと考えられるのではないでしょうか。

M&Aキャピタルパートナーズは、銀行や証券会社など、これまでM&Aの仲介を行っていた組織の中で新進気鋭の立ち位置にありながら、創業者に寄り添うレベルがとてつもなく高い。譲り受けるものの大きさであったり、単なる企業の売り買いではないということを十分すぎるほど理解されている。経営者にとっては大切な社員の人生を託す相手ですから、それだけ信頼に足る人物を揃えておられるのだといつも感心しています。

インタビューイメージ_アズテック株式会社_011

北野  私自身、M&Aキャピタルパートナーズや新生企業投資さんとの対話を通じて、M&Aの意義に対する理解を深めることができましたが、まだまだ世の中にはM&Aの情報が不足しているように思えます。それは相手方の情報もそうだし、自分たちの会社がどのように評価されているのかを知る機会もなかなかありません。やはりM&Aキャピタルパートナーズのような会社が存在しなければ難しいですよね。

多くの経営者に対して声を大にして言いたいのが、後継者問題に直面する前に、M&Aもあくまで一つの選択肢として持っておいたほうが良いということ。そういった意味でM&Aキャピタルパートナーズが保有する情報量の大きさはもちろん、担当者の人間性も高く評価しているということをお伝えしたい。担当者の方とは、これからも個人的に付き合っていきたいと、そう思えるほど素晴らしい人物でした。うちの社員として欲しいくらいですよ(笑)。

アズテックが私の手を離れるくらいにまで体制が固まったら、第一線から離脱して、軽井沢に「北野ランド」を作りたい。そこは、社員やお客様、そしてその家族が集まることができる憩いの場所です。大人達はお酒を飲んで、子ども達はそこで工作をしたり自然と親しみながら遊んだりできる場所を作りたいと思っています。そんな個人的な夢も現実的になりつつありますね。

インタビューイメージ_アズテック株式会社_012

(文=伊藤秋廣 写真=伊藤元章)2018/01/30

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