度重なる調剤報酬改定による負担増と人材難を救ってくれた
埼玉県行田市で調剤薬局1店舗を運営する有限会社よつば薬局は堅実な経営手法により着実に成長を果たしてきた。同社は2023年、医業経営コンサルティングなどを強みとする総合メディカル株式会社へ株式譲渡によるM&Aを行った。なぜM&Aを進めようと考えるようになったのか、創業者である新井孝幸様に決断に至るまでの経緯を伺った。
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譲渡企業
- 会社名
- 有限会社よつば薬局
- 所在地
- 埼玉県行田市
- 事業内容
- 調剤薬局1店舗の運営
- 従業員数
- 11名
- 検討理由
- 将来的な後継者不在のため
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譲受企業
- 会社名
- 総合メディカル株式会社
- 所在地
- 福岡県福岡市
- 事業内容
- 医業経営コンサルティング、
医療モールの開発・運営、医業継承支援など - 従業員数
- 20,452人(連結)
- 検討理由
- エリアの拡大のため
院外処方への移行と共に、開業
まずは新井様が、有限会社よつば薬局を創業した経緯からお話しいただけますでしょうか。
私は、埼玉県行田市にある行田中央総合病院が開院した当初から院内薬局で薬剤師として働き始めました。勤務を始めてから約12年後、国の方針によって院内処方から院外処方への移行が始まりました。私が学生の頃から、将来的には院外処方が主流になるという話を聞いていたので“いずれは調剤薬局を開業してみたい”と思い続けていました。院外処方に移行されるタイミングで当時の院長に開業への思いを伝えました。
薬局長という立場だったこともあり、病院の経営側に付いて「事務長も兼任してほしい」と引き留められましたが、すでに決心をしていた私の意志は固かったですね。行田中央総合病院の門前にて薬局を開業し、引き続き貢献をしていく旨を伝えることで、快く送り出していただきました。37歳の時です。
最初は、大きな調剤薬局グループに支援していただきました。店舗を建ててもらい、開業に必要な仕組みや設備のすべてを用意していただいたので、私は開店前日まで病院勤務をすることができました。病院を辞めた翌日から、調剤薬局グループの社員として3カ月間勤務し、その後自分の資金で薬局を譲り受け、名実共にオーナーとなりました。
勤務されていた病院の門前で開業ができたということであれば、開店当初から、患者様が一定数いらっしゃったということでしょうか。
そうですね。実は私たちの調剤薬局以外に、近くでもう一店舗同時にスタートしたのですが、ありがたいことに行田中央総合病院の患者様全体の9割の方がよつば薬局に来てくださりました。病院に勤務していた時、私は常に窓口で対応していたので、薬局を開業することを患者様にお伝えしていましたし、“いつもの薬局の場所が病院の外になっただけ”のような感覚で、患者様も安心してくださったのだと思います。そのような状況のため、オープン初日から薬局運営は順調でした。薬局を建ててくれた調剤薬局グループから数カ月間、職員がサポートで入ってくれていたので、その間に従業員を募集し、拡充していきました。
薬局運営は順調に推移していたのですね。どのようなことを心がけてお仕事をされていたのですか。
同じ調剤という仕事でも、病院内で薬を出すのとは意識が変わっていきました。病院勤務時代とは違い、院外処方になると相手は患者様であり、お客様です。対応も少しずつ変えていきました。例えば、処方する際、お話を聞くことが増えました。他の薬局で出されている薬との飲み合わせや体調の変化を確認して薬をお出しするようになりました。
相手のことを考えて丁寧な対応を心掛けると、患者さんは喜んでくれて、来店者は増えていきました。仕事が増えてくると、さらに従業員を集める必要が出てきます。しかし、院外処方の移行への流れから、周囲にも院外薬局がどんどん増えました。それによって薬剤師が不足し、さらに人件費が高騰していきました。開業した頃は新聞広告の求人欄に薬剤師の募集広告を出せば、人材が集まっていましたが、全く人材を集められなくなりました。そして、薬剤師の年収は上がっていくばかりです。なかなか人が集まりづらい環境にありました。
とにかく忙しかったですね。立場としては社長ですが、少人数なので経理や総務、雑用のすべてを私がやらなくてはなりませんでした。土曜日も営業していましたし、病院から指定された当番の日には、日曜日にも店を開かなくてはなりませんでした。
よつば薬局の薬剤師は、勤続年数が長いほうだと思いますが、人材に余裕はないため、誰かが休めば全て私が補わなければなりません。週6勤務はあたりまえで、20日以上連続での勤務も珍しくなく、私は子どもの学校行事には一度も行ったことがありませんでした。経済的な不安はありませんでしたが、とにかく大変でした。
自分の薬局への評価が背中を押した
新井様がご苦労を重ね、成長させてきた薬局です。どのようなきっかけからM&Aを意識するようになったのでしょう。
50代の頃は、65歳になるまで、このまま頑張って働き続けようと考えていました。少なくとも、お世話になっていた行田中央総合病院の院長が現役でいらっしゃる間は、自分は辞めないと心に決めていました。
しかし、度重なる調剤報酬改定により、次第に薬局の運営が厳しくなってきました。また、薬剤師になるための大学が、急に4年制から6年制に改正されました。その間の2年間は新しい薬剤師が世に出てこないという状況となりますし、6年間学んだ人に対しては、給料もそれなりに上げる必要が生じます。また、体調を崩したり、趣味のスノーボードやバイクで怪我をしたりしても休むことができないという状況で、私自身に目を向けると、 “もしも私の身に何かが起こったら、この薬局はどうなってしまうのだろう?”と急に不安になりました。
あたりを見渡しても、この薬局を引き継ぐ後継者候補は見当たりません。私には娘と息子が一人ずついますが、二人とも薬学とは違う道に進んでいました。大手広告代理店に務めている私の娘の夫が「継ぐ」と言ってくれたのですが、彼がこれから薬剤師になるために大学に入って、6年間学んだ後の自分の年齢を考えると“さすがに厳しいだろう”と感じました。
後継者不在の問題をM&Aで解決できるのではないか?と思ったきっかけを教えてください。
私よりも年下の近所の薬局仲間で譲渡した人が何人かいて、その方々から体験談を聞いた時から、M&Aも選択肢のひとつとして考えられるなと、ずっと頭にありました。また、当時さまざまな仲介会社から電話が来たり手紙をいただいたりもしていました。そんな中、情報収集を目的として、M&Aキャピタルパートナーズの方に定期的にお会いして、世間話をしながらM&Aの流れなどについてご説明を受けていました。今から4~5年前のことですね。鈴木さんの前任者にあたる方です。最初は、情報収集の一環という温度感でした。そして前任から引き継がれる形で鈴木さんが来てくれるようになりました。
ここからは、担当アドバイザーの鈴木さんも交えてお話を伺います。どのように支援をしていかれたのでしょうか。
私は、基本的に調剤薬局業界専任で支援をしており、前任者から状況の共有を受けたうえでよつば薬局へお伺いしました。M&Aはあくまで選択肢のひとつです。まずは、最もわかりづらく見えづらい第三者への承継の“見える化”のお手伝いをさせていただこうと情報提供をしていました。
単なる情報収集から、“話を一歩前に進めてみよう”と思われるようになったきっかけはどのような理由なのでしょうか。
鈴木さんとの会話の中で、「ご自身の薬局の価値を知りたくないですか?」と聞かれ、“どれほどなのだろう?”と興味を持ちました。私自身が“納得できる価値”を持っていることがわかったので、前に進めてみようかなと考えましたね。M&Aキャピタルパートナーズとは違う仲介業者とも面談をしたのですが、仲介業者によって、譲受企業の候補先や譲渡金額の提示が違うことを知りました。
さまざまな企業がお相手先候補にあがっていましたね。鈴木さんは、業界を熟知されている人だからこそ、譲渡金額だけの話ではなく、M&Aを実行した後の話など、さまざまな観点からアドバイスをくだりました。
よつば薬局の経営状態はかなり優良です。今後、業界に変化が起こるかもしれませんが、新井様が現役でご活躍している限り、今すぐに動かなくても問題はないと考えていました。将来的に選択肢のひとつとしてあり得るのであれば、良い条件が引き出せるタイミングになってから選択されるのも良いのではないかと考えていました。
よつば薬局に対して数社から譲受のご意向があったため、新井様が望む条件を提示していただけるよう仲介者として支援しました。その時点で、M&Aをやるか、やらないかではなく、どの会社と一緒になるかという状況になっていたように感じています。
そうですね。おっしゃる通り、候補先と条件が提示されて、自分の中で“やらない前提”ではなく、“やる前提”に変わっていきました。
多くの仲介会社とお付き合いされていた中で、なぜM&Aキャピタルパートナーズを選ばれたのでしょうか。
鈴木さんの前任者が、かなり前から訪問や電話で定期的に連絡をくれていました。直近で始まった付き合いではありません。長い時間をかけて築いてきた関係の中で、私が置かれている状況や会社のことを理解してくれているからこそ、M&Aキャピタルパートナーズにサポートしてもらうのは自然な流れでしたし、最適だと考えました。ですから、色々な仲介会社の方が来ても、「M&Aキャピタルパートナーズに頼むから」と伝えていましたね。
今回のお相手先である総合メディカル株式会社を選ばれたポイントについて教えてください。
提示いただいた譲渡対価はもちろん、“屋号の変更がないこと”という条件を受け入れてくれたのは大きいです。屋号にこだわりがあるわけではないのですが、急に変わってしまうと周りの方や患者様が戸惑うと思います。ゆっくり浸透していけば良いですね。最後まで残った3社の候補は、どれもしっかりとされている会社でした。調剤業界では、仕事の進め方や経営方針が大きく違うということはあまりないため、方針の食い違いなどが生まれるような不安はありませんでした。
積み上げてきたものを承継できる
成約時の率直な気持ちをお聞かせください。
肩の荷が下りたという感覚になったと同時に、“これで終わったのか”と感じました。肩書きが社長から会長に変わったのもあり、あまりみんなから声を掛けられなくなった気がして、寂しい気持ちにもなりました。
現在は、週3勤務となり、土曜日は隔週で半日ずつ出勤しているのですが、忙しさから解放され“ちょうどいい”感じがしています。新しい生活習慣に慣れ、今はリラックスして、気持ちよく働かせてもらっています。現時点では、1年ごとの顧問契約を何年か続ける予定でいます。“給料をもらいたい”というのではなく、全く人と関わらなくなるのは問題だなと感じたからです。60歳になると残りの人生を考えるようになりますから、年齢に応じて、“ちょうどいい”働き方が選べるのはとてもありがたいです。
M&Aキャピタルパートナーズはどのようにお役立ちになりましたでしょうか。
手続きに関する細かな作業を全てお任せできたので、私自身は全く手がかかることはありませんでした。鈴木さんは調剤薬局専門アドバイザーとして多くのM&Aに携わっているので、その経験に裏打ちされた情報量も多く、とても安心できましたし頼りになる存在でした。好青年でとても良くしてくださったので、成約してこの後、会うことも関わりもなくなるかと思うと非常に寂しい気持ちになります。
そう言っていただき、大変うれしいです。オーナー様に成り代わって提案、支援をすることを信条にいつも行動しています。新井様のお悩みをお聞かせいただき、少しでも良い選択となるようご支援させていただきました。良いご縁組みとなり嬉しく感じます。
ありがとうございます。最後に、これからM&Aを検討する経営者の方々にメッセージをお願いします。
M&Aについて明確にイメージできる人はどれくらいいるのでしょうか。“会社を売って、買収される”くらいの認識をお持ちの方も残念ながら少なくないように感じます。今回、実際にM&Aを経験して感じたことは、自分が積み上げてきたものを、少し形は変わるかもしれないけれども継承していけるということです。とても素晴らしい取り組みであることは間違いないと考えています。
このようなご縁組みはあくまでも選択肢のひとつです。今まで通り経営していくことも、親族や従業の方に承継することも、第三者に譲り渡すことも、どれもが選択肢として考えられます。経営戦略や事業承継のご判断をするための基準となりうる情報を収集いただくことに悪いことはなく、ぜひ積極的に情報収集はしていただく方が良いと考えています。
今回の新井様へのご支援のように、これからも経営者の皆さんの経営戦略の一助となる情報提供をさせていただき、M&Aをお選びいただいた際には全力で良縁成立のご支援をさせていただきたいと考えています。
(左から)弊社 鈴木、新井様
文:伊藤 秋廣 写真:小野 綾子 取材日:2024/3/7