それぞれの選択 #17 フィットネスクラブ×株式譲渡

「大手企業とのM&Aで、やりたいことに邁進。」

譲渡企業
株式会社
ブルーアース
ジャパン
代表取締役
髙井道治

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譲受け企業
センコーグループ
ホールディングス
株式会社
取締役常務執行役員
白木健一

株式会社ブルーアースジャパンは、格安な会員料金と丁寧な指導のフィットネスクラブが話題を呼び、山梨県を中心に大手チェーンに負けないほどの会員数を抱え、多店舗展開を果たしていた。絶好調ともいえる経営状態の陰で、老朽化する施設のメンテナンス費用など“将来リスク”もあったのは確か。
さらなる発展を遂げるためにオーナーが選んだのが、異業種大手企業との友好的M&Aだった。
いかにしてその決断にいたったのか。M&Aを成功させたのちに、どのようなメリットを享受できたのか。
譲渡企業オーナーと譲受け企業の担当役員、両者にご登場いただきお話をうかがった。


お客様が本当に求める
サービスを安く提供して
成長

まずは、創業された経緯からお話いただけますでしょうか。

学生時代から、水泳選手として競技生活を続けてきて、将来は水泳の指導者になりたいという夢を抱いていました。しかし今から40年前当時は、それだけで生計が立てられるような時代ではありませんでした。父親の勧めもあって地元に戻り、消防署の職員になり、そこで10年間勤めることになりました。
それでも夢はあきらめきれず、勤務をしながら半分ボランティア感覚で、子どもたちに水泳を指導。
いつかは自分のプールが持てたらといいなという仄かな夢を抱いていました。

その後、突然に転機が訪れます。
水泳の先輩に誘われて、会社を立ち上げることになり、地方公務員を退職し、取締役兼ヘッドコーチという形で参画。念願かなって水泳の指導者になりました。それが33歳の時のこと。
会社の立ち上げメンバーの中に造り酒屋の跡取りがいて、彼が持っていた山梨市駅近くの土地にプールを建設しました。当時、各地でスイミングスクールがオープンし話題になっていた時期だったこともあり、オープン初日からたくさんの子どもたちが集まりましたね。

非常に順調に事業は滑り出し、その翌年には、甲府に2号店を出店する計画が持ち上がりました。
ところが地主は乗り気だったにもかかわらず、会社を設立してまだ1年足らずだったということで社内に慎重論が起こり、「やめておこう」という話に。
私自身はどうしてもあきらめきれず、その地主に対して、「会社としてはプールをやめるが、自分が個人的にやりたい」と相談したら、あっさり了承をしてくれました。私自身、今までは公務員と水泳のコーチにしか従事したことはなく、経営はもちろん、商売すら経験したことはありませんでした。

そこで、水泳仲間の先輩たちに事情を説明して出資の相談をしたら、こころよくお金を出してくれる人がたくさんあらわれました。とてもありがたいと思いましたね。地主の奥さんも、「それだけ多くの人が出資をしてくれるということは、髙井さんが今までたくさん信頼をされてきたからですよ」とおっしゃってくださいます。

地銀にも借り入れの相談をし、正直に「商売の経験はない」と伝えましたが、自宅と実家を担保に融資を受けることができたので会社を設立することができました。


会社を設立し、まず、フィットネスクラブの業態で事業を始めました。
地鎮祭をして、すぐにチラシを打ったのですが、当時から「入会金はゼロ円」をうたい文句にPRしました。その頃、入会金をゼロにするということは、日本中どこでもやっていなかったこと。チラシを出した直後は、電話が鳴りっぱなしで、その日だけで100人以上の予約が入りました。
前例のない「入会金ゼロ円」でスタートしたのは、出資をしてくれた先輩から「安いのが一番だ」というアドバイスをもらったから。その基本的な考えは、今でも経営ポリシーの中心に据えていますし、決して高級志向ではない自分の性格にも合っていました。もちろん、安かろう、悪かろうでは、会員は集まらないので、安くするための経営努力や工夫を重ねました。
オープニングスタッフは身内や知り合いを集めて人件費を削り、ジムに入れるマシーンを自分で配送し、掃除からお金の勘定まですべて自分でやるといった具合で、人の3倍は働いていました。

まとまった休みなんて取れませんでしたよね。


会社はどこまで発展したのですか。

平成9年には2号店をオープン。こちらもスタート時から黒字経営が続き、一時は大人の会員だけでも2,000人ほどにまで膨れ上がりました。

そこまで人気が出たのも、やはり月会費の値段が安かったからではないかと思うのですね。他社の月会費に比べると、10~20パーセントは安い。静岡県の焼津市に出店する際に、隣の藤枝市にオープンする予定があった大手の値段が月額8,000円ほどだったので、自分たちは月額5,000円にしようと考えました。経済は心理学だと思っているのですよね。
同じようなモノやサービスが並んでいたら、たいていの人は安い方を買うのです。

よく付加価値なんていいますが、お客さんがここに来る本来の目的は、「プールで泳ぎたい」「ジムで運動したい」というものです。例えば更衣室の洗面台に耳かきや綿棒が置いてあるかどうかが、お客さんが辞めるか辞めないかの選択肢にはなるわけがないのです。そういう余計なサービスは極限まで減らして、本質だけを提供し、値段を安くしているのです。

他のクラブは反対に、様々な付加価値をつけていましたが、それゆえに値段が上がっている。
まったく逆の経営手法を用いることでお客様に満足頂きたいと考えていました。

今後の発展と設備産業が直面する課題を解決
したい

M&Aを考え始めたきっかけを教えてください。

当時、店舗数は13まで拡大。年商10億円、経常利益も1億円を超えていました。先ほども申したように、けっこう働き詰めでしたので、早く引退したいと思うようになっていました。


ところが会社には潤沢な資金もあるけれども、当然のことながら借金もあり、老朽化した店舗は新たな借り入れを起こしてメンテナンスをする必要がありました。息子はすでに会社に入っていたので、彼に継がせようと思っていたこともありましたが、この膨大な荷物を抱えた会社を継がせるのもどうなのだろうかという葛藤もありました。

自分は裸一貫でやってきましたが、振り返れば、老朽化した設備という重たい荷物を沢山引きずりながら来ていましたし、それを丸ごと継がせるのは彼にとっても決して幸福なことではないだろうという結論にいたりました。

装置産業は長くやればやるほど負債が積みあがるものです。ある意味、この先、何かがあったら、個人経営では対応出来ないレベルに来ていると感じていました。

やはり大きなグループの中に入り、そういったファイナンスなどの煩わしい話から離れて、ビジネスに特化して頑張っていったほうが楽しいと考えるようになっていました。 

そう考えたときに、M&Aという手段があると思い至りました。大きなバックで支えてもらいながら、この会社を大きくしていくことで、従業員たちも安心して勤めていられるし、それがこの会社を発展させていくために最適な手段なのだろうと。
通常、M&Aを実施すると聞くと、何か会社に問題があるように思う人が多いかもしれません。

しかし、この会社は当時、絶好調で業績も非常に順調でした。ただ、会社の中の経営を紐解けば、将来のリスクは多く存在するという状態で、そこから打破するためにM&Aを活用したというのが正しい表現なのかもしれません。

M&Aキャピタルパートナーズとの出会いはどのようなものだったのでしょう。

実は、M&Aキャピタルパートナーズとお会いする前に、同業他社と話をしたことがありました。
その会社は着手金や毎月の料金など、M&A成功の有無にかかわらず、お金が結構かかってしまう。そこに違和感を覚えてお断りさせていただきました。その次に出会った会社は、提示金額に納得がいきませんでした。そして3社目にお会いしたのがM&Aキャピタルパートナーズでした。


「着手金ゼロ」という対応も魅力的だったのですが、何よりも担当者の人柄が良かったですね。提示された条件もさることながら、誠実に対応してくれたことに感謝しています。
譲渡先企業に求めていたのは同業者でないこと。やり方などを変えられて従属する立場になってしまうのだけは避けたかったですね。
そういった条件を提示したうえで、M&Aキャピタルパートナーズが紹介してくれたのが、センコーグループホールディングスでした。

最初に面談したときには、まだ半信半疑な部分はありました。最後に契約書に判を押すときも迷っていたが、それは仕方がないと思っていました。
何度も話し合いを進めて、相手の会社への理解を深めたうえでの決断だったのですが、この会社はやはり30年も自分が育ててきた子どものようなもので、娘を嫁に出すような感覚だったので、万々歳というわけにはいきません。会社を託すということは、自分から離れていくということと同義なので寂しさはありました。

ご家族の方の反応はいかがでしたか?

おおよそ8割方、話が決まってきた段階で、家族に打ち明けました。息子は途中から話し合いにも参加していましたが、「自分でやりたい」といった主張をすることはなく、素直に受け止めていましたね。妻に伝えた際には「肩の荷が降りて良かったね」と言ってくれました。妻もインストラクターとして働きながら、会社の経営について共有していたし、ほとんど休まずに働いていたので、わかってくれたのだと思います。

確かに、若いころから自分がやりたいと思っていた仕事で念願もかなったのですが、やはり年齢も年齢ですから、正直疲れていたのだと思います。そういうタイミングでM&Aキャピタルパートナーズが救世主のように現れたといった感覚です。

契約書に調印したとき、率直にどのような気持ちになりましたか。

調印したときには、自分が経営していれば毎年1億円の利益が出る会社を手放してしまったか……という思いと、“将来のリスク”という名の肩の荷が降りた安心感の両方があったと思います。
そろそろ、あれから2年が経過しましたが、当時のようなモヤモヤしたストレスは完全に消え去りました。


会社は誰のものか?確かに自分が株主で、その会社のオーナーかもしれませんが、そこには従業員がいてお客さまもいらっしゃるので、決して自分ひとりのものではありません。
もっと会社を発展させるには、自分が何歳になっても「私のものだ」と握っているよりも、ちゃんと良いお相手のところに嫁に出して、さらに磨きをかけていくのがベストです。 ずっと自分で抱えてしまっていては、会社は発展せずに2代目や3代目で潰れてしまいます。

今後、センコーグループホールディングスという大きな傘の下で、未来永劫つぶれない会社になれる。自分が作った頃よりもM&Aをしたことで会社が大きくなり、それがずっと世に残る。それは創業者としては大変嬉しいことです。
自分が産んで、ある程度育てた会社ではありますが、成人して社会に出て、さらに大きくするという考え方になれば、M&Aはとても有効な手段だと思います。

力を合わせて新たな領域へのチャレンジに拍車をかける

ここからは、譲受け企業であるセンコーグループホールディングスの白木様にも参加いただいて、お話をきかせていただければと思います。

まずは、御社の事業、およびライフサポート事業の概略からお聞かせいただけますでしょうか。

白木

弊社は、3年前に創業100年を迎えた歴史と伝統のある企業ではありますが、経済の状況変化に合わせて、ゆるやかに姿かたちを変えながら進化を続けてきました。現在は、資材や住宅の物流から、大手小売業やドラッグストアなどの量販系の扱い量も増え、いわゆる川上から川中へと物流が降りてきています。これから企業としてどのような成長を描いていくか。


もちろん中核である物流はこのまま進めていきますが、だんだん川下に降りてきているので、生活者のゾーンに対して直接アプローチ。そこにひとつの成長戦略の道筋があるととらえています。企業理念にも、「人々の暮らしと生活を支援する」というくだりがあるように、生活者と直接出会いのある市場に進出しようと考えていました。
そのような機運の中で、今から3年前にライフサポート事業推進本部を立ち上げました。

私たちはミッションやカテゴリーなど、入口を限定することなく、走りながら考えていこうというポリシーをもって活動しています。手始めにはじめたのがヘルスケア部門への進出です。
これは私たちの既存の事業からみたら全くの異業種であり、リソースも知見も不足しているのは確か。そこで外部パートナーとして優良な会社との出会いを求めていました。私たちがいう優良な会社の条件は、まずビジョンが明確にあること、そしてそのビジョンが従業員の中に浸透していること。
そういった企業とタッグを組んで、センコーグループホールディングスの力と合わせて拡大していく。その有効手段のひとつとしてM&Aをとらえていました。

ブルーアースの髙井社長とお会いした時の第一印象はいかがでしたか。

白木

髙井さんと会ったときに感じたことは、誠実な会社だということ。経営の幹部社員ともお会いしましたが、やはり同じような印象が強烈に残りましたね。実際にトップの方と会わなければ、その会社のことは分からないので、あまり予断を持たずにコンタクトを取るようにしています。

ーー高井さんはいかがでしたか?

高井

上場企業の経営幹部の方と会う機会は滅多にないので、雲の上の人と面会をさせていただいたという気分でした。

白木

私たちはファンドではないので、投資という感覚はありませんでした。紹介された会社を買い、ある一定の数字を出して企業価値を高めるという考えではありません。ゼロから立ち上げたライフサポート事業を、どのように作り上げていくか。それが私のミッションである以上、ブルーアースと一緒に将来のことを語り合っていく中で、自分たちが考えているライフサポート事業の作りこみに、ブルーアースが一緒に参画してくれるかどうかが重要なので、そういう観点で髙井さんとお会いして、その確信を得ました。

高井

私は、M&Aキャピタルパートナーズからは、何社も並行して話を進めるかと提案を受けたのですが、そういう同時進行が好きではないので、最初からセンコーグループホールディングス一本でお話をさせていただきました。白木さんと馬が合う感じがしましたし、今後の付き合いもできそうだという印象を持ちました。

白木

髙井さん自身は、何社か見比べて高いところに売るという感覚ではなかったし、髙井さん自身が会社に愛着を持っているのがよくわかりました。本来ならば、このまま経営を続けていくというのが好ましいのかもしれませんが、会社の成長を考えたとはいえ、M&Aをするというのは、髙井さんにとっても苦渋の決断だったのではないかと思いました。なので、自分たちも失礼があってはならないと思っていました。

一緒になってシナジーは生まれましたか?

白木

まだまだ途上ではありますが、一緒になったことで、お互いにメリットが生じるよう、しっかり考察を加えながら連携を深めている状況です。


ブルーアースはこれまで山梨を地盤としていましたが、未経験の地域に出店して勝負してみないかと提案をしている段階で、山梨でこれからもずっと戦っていくとしても、違ったマーケットに出ていかなければ、会社が成長しないということは髙井さんご自身も言っているので、そこはセンコーグループホールディングスが一緒になって進めていきたいと思っています。


ヘルスケア事業の中でも、介護や生活支援、食にかかわる関連企業があり、各々がお互いにサービスを持ち寄って新たなシナジーを生むべく取り組みも始まっています。例えば介護とフィットネスは親和性があるので、同じライフサポート事業本部の中にある会社同士、互いに力を合わせることができる。
髙井さんがやっていたときとは違う展開論が、一緒になることで出来るのではないかと思っています。

髙井

今年度は5店舗のオープンが予定されていて、これからも店舗数を増やし続けていく計画があります。
これは自分ひとりでやっていても絶対に出来ないことでした。今は資金面や精神面で強力なバックアップがあるので、前だけを見て一生懸命できる。自分の好きなことを思い切りできるのは非常にありがたいですね。
結果、それでセンコーグループホールディングスに少しでも恩返しができればと思っています。

最後に白木様から一言、譲受け企業の立場からM&Aの意義を述べていただけますでしょうか。

白木

未経験の分野に挑戦しようしているので、M&Aという手法を活用して自分たちのリソースを整備していくというのは必然的なこと。もちろん、M&Aだけでなく、業務提携や資本提携など緩やかな結びつきもあり、M&Aがすべてとは言いません。

しかし私たちは、新たにライフサポート事業を作ろうとしているので、一緒に力を合わせてもらわなければならない関係にあります。そうなると、かなり濃密な関係になれるM&Aがベストだったと、そう思っています。


これからも、この先もずっと。
想いに寄り添い続けていきたい。

(文=伊藤秋廣 写真=伊藤元章)2019/05/17


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