北海道ブランドを世界へ。
50店舗展開の物産事業を次のステージに託したM&A
東日本大震災を機に北海道の企業から承継し、挑んだ北海道物産事業。わずか1店舗から始まった「北海道うまいもの館」を50店舗まで成長させたのは、持株会社であるみなとみらいDream 代表の生熊 康延 氏の手腕だった。事業のさらなる発展を目指した同社は、2025年4月に全株式を株式会社JALUXに譲渡した。空港外事業への積極展開を図る中、北海道というブランドを得たことで今後どのようなシナジーが見込まれるのか。生熊氏と、JALUXの飯島 裕司 氏、岡田 祐季 氏にお聞きした。
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譲渡企業
会社名- 株式会社みなとみらいDream(北海道フードフロンティア株式会社、株式会社ワンダービルトの持ち株会社)
- 所在地
- 東京都千代田区
- 設立
- 2004年
- 資本金
- ―
事業内容- 北海道産品の小売店「北海道フーディスト」「北海道うまいもの館」などの運営、フランチャイズ本部の運営
- M&Aの検討理由
- 後継者不在、企業の成長発展のため
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譲受企業
会社名
株式会社JALUX- 所在地
- 東京都港区
- 設立
- 1962年
- 資本金
- 25億5,855万円
- 事業内容
- 航空・空港事業、ライフサービス事業、リテール事業、フーズ・ビバレッジ事業など
- M&Aの検討理由
- 既存事業の強化のため
北海道の地域振興につなげる使命を負って事業承継
まず、生熊様のキャリアについてお聞かせください。

新卒で百貨店に入社し、20年以上にわたり一貫して財務・経理業務に携わってきました。その後転職し、横浜市内にあるヨコハマ グランド インターコンチネンタル ホテルでも財務を担当し、現在は専務取締役を務めています。そんな私が「北海道うまいもの館」の経営に携わったのは、不思議な巡り合わせだったとしか言いようがありません。
北海道うまいもの館のルーツは、もともと北海道電力が1店舗だけを都内で運営していた物産店です。北海道の地場産業を振興しようという思いから、立ち上げた店舗でした。発電所の建設によって、多少なりとも地元の農業や水産業に対して影響があることから地元への支援策として、東京駅八重洲口という恵まれたロケーションで物産店を運営していたのです。
これを貴社が承継したのはなぜだったのでしょう。
直接的には、2011年に発生した東日本大震災の影響もあって、北海道電力が本業とは直接関係のない事業を整理することとなり、この店舗の譲渡先を探していたためです。電力会社には小売業のノウハウがなく、事業は赤字が続いていました。すでに数社と交渉していたものの話はまとまらず、私たちが最後の候補で、残った道は会社を清算するしかないという状況だったようです。
私たちも長年ホテルを営んできましたが、小売店の運営実績は皆無でした。なんとか事業として存続してほしいという先方の意向もありましたし、財務のトップとして数字を確認したうえで経営のやり方次第では黒字化が可能だと判断し、事業の承継を決断したのです。ホテルが直接経営をしているように見せたくないという経営的な判断もあり、ちょうどその時点で設立していた子会社があったため、それを承継会社にすることとなりました。これが「株式会社みなとみらいDream」です。私の役割としては、ホテルの財務担当をしながらみなとみらいDreamの社長も兼務する形で物産事業をスタートさせることとなりました。
黒字化は可能だと判断した根拠についてお聞かせください。

まず財務状況を見て、26%程度だった粗利率に改善の余地があると感じました。また、これまでに電力会社が築いた基盤として、特徴のある魅力的な商品の仕入先が200社以上も揃っていました。これは、地元とのつながりがあった企業だからこそ築き上げることのできた財産だったと思います。取引先の中身を調べてみると、本当に良い会社が多かったことにも感心しました。
そして「北海道」というブランド力の強さです。北海道と聞いただけで、多くの方が美味しいものを想像するでしょう。これだけの圧倒的な力は、日本全国を見渡しても稀有なブランド価値です。私にはかつて百貨店に勤めた経験があったので、小売業のノウハウを取り入れ効率化を図れば、必ず黒字化できると考えました。
そして実際、赤字だった事業を引き継いでから、それほど苦労することなく軌道に乗せることができたのも確かです。粗利率を改善するといっても、長期的なパートナーシップを築きたいので、仕入先の方々に対して、無理な値下げ交渉は行っていません。問屋には、物流機能という重要な役割を担っていただいています。ただし、問屋機能の必要がない一部の商品については、メーカーとの取引を段階的に増やしていきました。
多店舗展開を始めた背景についてもお聞かせください。
事業承継の時点で多店舗展開は視野に入れていました。引き継いだ1店舗だけでは、事業として安定させ成立させるのは難しいのは明白だったからです。ただ、具体的な店舗展開の道筋は見えておらず、手探りの状態でした。思いがけないチャンスと引き合わせてくれたのは、入居していた店舗の建物を所有していた大手ディベロッパーでした。同社が手掛ける大型のショッピングセンターの中に、北海道うまいもの館の出店のお誘いをいただいたのです。この戦略があたり、ディベロッパーが期待していた以上の売上を記録したことで、新しい施設をオープンする際には必ず声をかけていただけるようにもなりました。
郊外型のショッピングセンターで北海道の物産を常設で扱う店舗は珍しく、地方物産への需要が高かったことが勝因の一つだったと思います。最近は都内の百貨店では、北海道の物産展は大人気の恒例催事となっていますが、常設店舗の競合が少なかったのは間違いありません。ただ、ここで無理に拡大することは避けました。店舗開発の専門部隊がなく、資金力にも限界があります。年間3店舗程度を出店し、不調な店舗は躊躇なく早めに閉店するという堅実な方針を貫きました。大手ショッピングセンターのおかげで、新規出店の基盤が整ったのはありがたいことでした。
直営店とフランチャイズ加盟店で50店舗を達成するも“本業”に転機が訪れた
10年あまりで50店舗に到達させたのは目覚ましい成長だったかと思います。

10店舗を超えた頃から、明らかにマネジメントの限界を感じるようになりました。それまでは自分一人で全店舗を掌握できましたが、商品選定から新商品の導入、各店舗のコミュニケーションまでを一人で行うのは困難になってきました。特に現場の店長たちとの意思疎通にも課題が見え始めていました。1店舗の時代から、トップダウンで決めてきた組織だったので、店舗が増えると私の考えが正確に伝わらず、かつ現場でも的確な判断ができない状態となっていました。
宣伝部や商品部、新商品開発といった専門家がいない状態で、店舗が増えても同じ組織体制をやろうとしていたのですから、今振り返れば、弊害が出るのも当然でした。そこで大きな転換点となったのが、新たな人材確保による権限の分散化です。以前にM&Aでグループに加わった店舗出身の人材に実務を全面的に任せることにしたのです。私は戦略面や経営判断に専念し、日々の運営は彼に委ねました。彼は現在も営業部長として貢献していますが、この役割分担により、再び成長軌道に乗ることができました。一人でやれることには限界があり、組織として機能させるためには適切な人材配置と権限委譲が不可欠だということを、身をもって学んだ経験でした。その後、フランチャイズによる店舗展開も始まり、現在は直営店とあわせて50店舗を数えるようになっています。
生熊様がご自身の手でここまで育て上げたにもかかわらずM&Aを決断したのはなぜだったのでしょうか。
正直に申し上げると、この事業をずっと続けたいと思っていました。12年間、手塩にかけて育ててきた事業でしたし、24時間365日、頭の中はほとんど北海道うまいもの館のことを考えていました。二足のわらじと言いながらも、私の心情としてはホテルが2割、物産事業が8割といったバランスだったからです。
転機となったのは、ホテルで避けて通れない大規模な改修工事が必要になったことです。2026年から3年間かけて全600室の水回りを一新する計画で、これには綿密なスケジューリング、資金計画が必要です。向こう3年の新たなミッションとして、私が指揮をとることとなりました。インバウンドが活況なものの、横浜エリアは外資系を含む優良ホテルとの競争が激化しており、この改修工事は競争力維持のために必要な投資でした。
これまで同様に両立しようとは思えなかったのですね。
工事は単純に予算を確保すれば済むものではありません。繁忙期は工事を抑えつつ、空室率とのバランスを考えながら工事計画を立て、修繕にかかるキャッシュフローの管理も求められます。財務担当役員である私が相当な時間とエネルギーを割かなければならない状況だったのです。
ホテル事業の重要な局面がやってきた以上、物産事業に十分な時間を割けなくなることは明らかでした。私が現場を離れ、中途半端にやって事業を停滞させるわけにはいきませんし、従業員のことを考えても、きちんと成長させていける会社に託すべきだと判断しました。工事の準備から逆算して、2025年3月末をタイムリミットとすることが決まり、それまでに結論を出す必要がありました。
尊敬する経営者から紹介されたパートナーに将来を託した
どのような経緯で、M&Aキャピタルパートナーズとコンタクトを取ったのでしょうか。
先輩の経営者に相談したところ、M&Aキャピタルパートナーズの大竹さんを紹介していただきました。その方は以前、大竹さんに譲渡の支援を受けた経験があり、丁寧な仕事ぶりを高く評価していました。多くの仲介会社からDMが届いていましたが、返信しようと思ったことは一度もありません。しかし、長年信頼している先輩からの紹介ということで、大竹さんだけに絞ってお願いすることを決めたのです。

初回の面談では横浜のホテルにお伺いしました。生熊様は非常に誠実で、ここまで事業を成長させてこられた実績への自信と責任感を強く感じました。一方、ホテルの修繕に本腰を入れるために、限られた時間の中で最適な承継先を見つけなければならないという明確な意志をお持ちのご様子でした。物腰も柔らかく、対話型の姿勢で接してくださいましたが、限られた時間内にスピード感を持って実行に移されたいと考えていることも明確に伝わってきました。
私たちは、はじめから候補先を絞り込み過ぎないことを意識しました。「従業員が安心して働ける環境を作り、さらに発展していただける会社を紹介してほしい」と生熊様のご要望がありましたので、ホテル関連企業に限定せず、幅広い業種から候補先を探すことをご提案しました。これまでの経営状況も良好だったことから、商社や投資ファンドをはじめ、様々な企業が関心を示すことは予想していました。その中で、しっかりとスケジュールを守ってくれ、合流後も真剣にビジネスへ取り組んでくれる企業、さらに価格的な面でも正当な評価をしていただけるパートナーを探すようご提案しました。
結果的には6、7社の候補とお会いしましたが、事業会社と投資ファンドの両方からご提案をいただくことで、比較検討しやすかったと思います。複数の選択肢を提示していただきつつ、それぞれのメリットや注意点を整理しながら、納得して選ぶプロセスが重要だと感じました。
初めて耳にしたときから「ぜひ成就させたい」と感じた
今回の譲受企業であるJALUXの事業概要をご説明いただけますでしょうか。

JALUXは、JALグループの商社として60年以上の歴史を持ち、航空・空港ビジネス領域での専門性を強みに、航空機エンジンのパーツ事業のほか、不動産や保険などのライフサービス事業、「JAL PLAZA」[JAL DUTYFREE」などの空港リテールビジネスを手がけています。
私が管轄するフーズ・ビバレッジ事業本部は農水産部と加工食品部の2部門で構成され、農水産物やワインの輸入、原料の加工のほか、土産菓子や空弁の開発事業、またその販路として24空港76店舗を展開する空港店舗「JAL PLAZA」の運営などを行っています。私は2008年から、加工食品をはじめ食品事業に携わってきました。

JALUXは、これまで航空・空港をキーワードに日本国内外で多岐に亘るビジネスを行っていますが、ほとんどがトレーディングによる収益です。
コロナ禍においては会社全体として大きな打撃を受けましたが、コロナ後は航空需要の急激な回復に伴い、2023年、2024年と過去最高益を続けています。
また、その一方で、会社を次のステージへと飛躍・成長させるために、これまでのトレーディング事業を最大限活用しながら事業投資を促進させるべく、2023年に事業共創推進室投資事業課が新設されました。私はここで全社の事業投資推進を担当しています。
初めて、今回の譲渡企業についての情報を入手した際には、どのようなことを感じられましたか。
岡田から初めて話を聞いた時点で「ぜひM&Aを成就させたい」と即答しました。今回の話が持ち上がる以前から、自宅近くの商業施設で、北海道うまいもの館の店舗を訪れたこともありました。北海道の各空港内に店舗を構える私たちとしては、誰よりも北海道ブランドの価値や魅力を知っているつもりでもありました。
空港の外へ店舗を展開するというのは、かねてから挑戦したいビジネスでした。食品事業の目指す戦略にマッチしていましたし、既存事業とバッティングする心配もありません。JALUXには独自の商品開発部門があり、海外へ展開するノウハウと組み合わせることで、大きなシナジーが期待できる点もプラスと考えました。
両社の顔合わせに向けての準備に力が入ったのではないでしょうか。
普段はあまり感情を表に出すタイプではありませんが、このときばかりは熱意を伝えたいとプレゼンテーションの準備を行いました。まずはJALUXの特徴を知っていただくことを重視し、JALと双日を株主に持つこと、全国24空港76店舗の空港店舗を展開していること、そして食品事業における当社の強みをご説明しました。そのうえで、具体的なシナジーとして、PB(プライベートブランド)商品の開発やJALの国内貨物輸送ネットワークを活用した展開などの提案をしました。
他にも商社系企業や投資ファンドなどからも手が挙がっていましたが、特に事業会社の中でJALUXの積極的な姿勢は際立っていたように思います。その熱意は確かに初回の顔合わせでも伝わってきました。
面談を受けて、たしかにJALUXとの事業シナジーが高いこと、そして真剣に検討いただいていることを強く感じました。他にも魅力的なオファーはいただきましたが、決め手となったのはJAL PLAZAでの小売ノウハウ、大企業としての資本力、そして組織運営力の高さでした。組織体制の強化は、優先的な課題として感じていたため特に重要なポイントでした。PB商品の開発や海外展開などは、私たちの力だけでは実現できませんでしたので、さらに事業を成長させていただけるイメージも持てました。
期限が迫る中でのデューデリジェンス(企業監査)はいかがでしたか。

率直に申し上げると、JALUXから届いた質問リストを拝見した時は、質問数の多さに驚きました。以前、私たちが引き継いだ際は、こうした細かな手続きはほとんど行っていなかったため、古い資料を掘り起こす作業は思っていた以上に大変でした。私と管理部長の二人がメインで対応しましたが、大竹さんが間に入って調整してくださったおかげで、なんとか期限内に完了できました。
年度末までに成約を迎えたいというタイムリミットがある中、ちょうど年末年始を挟むタイトなスケジュールとなりました。生熊様をはじめ多くの方にご負担をおかけしましたが、作業の一部はこちらで公認会計士にサポートを依頼するなど、お手伝いさせていただきました。
JALUXとしても本気で取り組んでいた案件なので、社内の稟議手続きを含めて相当なエネルギーを注ぎました。特に商品開発などのシナジーが相当見込めることから、JALUXに事業を移した後の事業計画の作成には特に力を注ぎました。
無事に成約を迎えることができたのは多くの方のご尽力があったからこそと感謝をしています。押印した瞬間は、想定した以上にホッとする気持ちがこみ上げてきました。それまでプレッシャーを実感したことはなかったのですが、会社経営の重責を常に背負っていたこと、そして適切な方にバトンを渡せるか緊張していたことを感じました。
私にとって成約の日は、使命感と責任感の内容が大きく入れ変わった日でした。成約まではなんとか成就させたいという一心でしたが、この日を境に「従業員の方々とともに事業をより良く発展させなければならない」という新たな責任を背負うことになりました。これほど大規模な小売事業のM&Aは初めての経験であり、不安がありながらも、早く成果を出したいという意気込みを強く感じています。
事業の成長や発展という点では、不安はありません。ただし一方で、12年間もの間、自分の生活の中心にあった事業を完全に手放す寂しさを感じていたのも事実です。特に、長年一緒に働いてきた店長たちとの別れは感慨深いものがありました。私だけが途中で旅をやめるようなものですが、彼らはこの後も、新しい体制のもとでがんばってくれるはずです。
シナジーを生み出すためにも、時間をかけて丁寧なPMI(経営統合プロセス)を行っていただきたいと感じています。
従業員の皆さんの反応はいかがでしたか。
成約が決まるまで、従業員には一切話していませんでした。3月末に開かれた店長会で初めて私が社長を離れることを伝えたので、随分と驚いたと思います。成約後の初めての店長会で送別会を開いてもらいましたが、その後動揺もなく新たな目標に向かって張り切っている店長が多いと聞いています。

店長クラスに向けては、成約日にまずJALUXがどのような会社で何を目指しているかを説明するとともに、今後も安心して働き続けていただけることを伝えました。活発に質問もあがり、前向きな雰囲気を醸成できたのではないかと思います。
ただし現時点では、成約からまだ1ヶ月程度で現状を把握している段階です。PMI(M&A後の経営統合プロセス)は慎重に進めるべき、大切な工程だと認識しています。
私たちの投資事業課も3名ほどの社員が伴走してPMIに取り組んでいます。会社内の社員の皆様の様子やどのようなルール・取引先がいるのかを把握させていただいています。従業員の方々も、様子をうかがったり、遠慮したりする部分もあるはずなので、しっかりコミュニケーションをとれる組織づくりを構築することが優先事項です。
組織の基盤を作った上で、中長期的にはトップライン向上と利益率の改善に取り組んでいきます。JALUXの強みである商品開発力や、「北海道」というブランドコンテンツを活用し、輸出強化や北海道PB商品の開発、販売強化に注力したいと考えています。
特にオリジナリティーのあるPB商品は、お客様に「またあのお店に行ってみたい」と思っていただく一つの方法としても、収益性を高めるという点でも重要なので、ぜひ期待していただきたいと思います。
海外展開も非常にポテンシャルが高いと思っています。アメリカとタイにある現地法人を活用し、北海道ブランドを世界に発信していくことは道内生産者の方々にとっても新たな販路となり、マクロな視点では日本の経済発展にも貢献できる取り組みだと確信しています。
生熊様ご自身の展望をお聞かせください。

すぐに頭を切り替えて、ホテルの大規模修繕を成功させることに邁進しています。また関連して、新しい事業も立ち上げました。これはホテルの元総料理長らと一緒に、年齢を重ねてフルタイムでの勤務から退いたシェフに活躍の場を提供しようという事業です。60代、70代の方々も体力は落ちたとしても、シェフとしての腕は錆びついていません。隠居するにはあまりにもったいない素晴らしい技術を社会のために活かしたいと考え、一流の調理人を自力では確保できない飲食店とマッチングさせていきます。
この事業とは別ですが、知人、友人で事業承継を考えている方には、ぜひ大竹さんを推薦し紹介したいと思っています。
このようなご評価をいただき、大変光栄です。私たちも、譲渡企業と譲受企業の双方がWin-Winとなるようなマッチングを常々心がけていますので、生熊様の構想にもとても共感いたします。
最後に今回のM&Aを総括していただけますでしょうか。
私たちのように成長を続けていたとしても、事業体制の存続に課題のある会社は今後増えるのではないでしょうか。そうした組織にとって、M&Aは必要不可欠な選択肢だと実感しました。会社にとって大きな決断であることはもちろんですが、プロセスの複雑さという点でも信頼できる仲介会社の存在はとても重要だと感じました。
親族への承継ならともかく、自力で第三者を探すのは限界があります。こうしてJALUXの皆さんと巡り合えたのは幸運でしたし、M&Aキャピタルパートナーズのサポートがあったからこそです。
相対での交渉だけでは情報量に限界があるのは、私たちも同じです。M&Aキャピタルパートナーズのような仲介会社を通すことで、想像もしていなかった素晴らしい会社に出会える可能性があります。それに加えて大竹さんからのレスポンスが早く、ストレスを感じることなく短期間で成約に至ることができました。
思い返せば、今回の情報を最初に得たのは、M&Aキャピタルパートナーズから配信されるメールマガジンで、そこで興味を持ち、大竹さんに商談をお願いしました。今後も事業投資を進めていく中では、アンテナを広げて多くの情報を集めることが重要だと感じています。
シナジーを明確に描ける両社だったこと、さまざまな手続きにも速やかに対応いただいたおかげで、成約までお手伝いができました。飯島様が仰ったように、取引関係のない会社同士のM&Aでの相対交渉は困難になる傾向があります。スムーズでなおかつ関係者が満足できる取引のために、私たちのような仲介役がいると考えていますので、微力ながらお役に立てたことを光栄に思っております。

文:蒲原 雄介 写真:平瀬 拓 取材日:2025/5/20
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