それぞれの選択 #143 回転すし店×宅配すし店

金子 飯塚
金子 飯塚

日本最北端の回転すし店が紡ぐ未来。
地域に愛された20年のブランドを次世代へ受け継ぐ

北海道稚内市にある日本最北端の回転すし店「花いちもんめ」は、地元の人に愛されながら、開店から20年を迎えた。今後も地域の人に、おいしさや楽しさを届け続けるため、創業者は同じ北海道内にある同業の寿司事業者へのM&Aを決断した。その決断までの背景と、未来にかかる期待とは何か。譲渡企業の有限会社タイタス前代表取締役の金子 正九氏と妻の前取締役・金子 美樹氏、譲受企業・株式会社札幌海鮮丸 代表取締役社長の飯塚 隆夫氏に詳しくお聞きした。

  • 譲渡企業

    会社名
    有限会社タイタス
    所在地
    北海道稚内市
    事業内容
    回転すし店「花いちもんめ」の運営
    M&Aの検討理由
    人材不足の解消、資本承継のため
  • 譲受企業

    会社名
    株式会社札幌海鮮丸
    所在地
    北海道札幌市
    事業内容
    宅配すし・持ち帰りすし店の運営
    M&Aの検討理由
    エリアの拡大、回転すし店への進出のため

日本最北の地でゼロから挑んだ回転すし店づくり

金子様が回転すし店を作った経緯からお聞かせいただけますか。

金子(正)
有限会社タイタス 前代表取締役 金子 正九様(以下、金子(正))

もともとは親族の経営する会社を承継するつもりで、飲食店とはまったく無縁の暮らしでした。ただ、さまざまな事情が重なり、別の道を探ることになったため、そのタイミングで「自分で経営をしてみたい」という思いが強くなりました。

当時の稚内には、家族で気軽に食事ができる飲食店がほとんどありませんでした。

北海道の方言で「あずましい」という言葉があります。心地の良い、くつろげるという意味です。飲食業に強い興味を持っていた私は、家族や自分が「あずましく」食事を楽しめる空間がほしいと感じていました。「周りに迷惑をかけないだろうか」と心配することなく、親や子、孫世代までが一緒にテーブルを囲み、食事や会話を心から楽しめる場所を作れば、きっと喜ばれるだろうと。これが創業の直接的なきっかけです。

場所選びにもこだわり、お店がついにオープンしたのは2005年ですね。

金子(正)

立地は重要だと考えていました。広大な土地が広がる北海道といっても、人の流れというものは存在します。人々の帰り道にある場所に店を構えなくてはなりません。平日でも休日でも、帰宅途中に立ち寄れる場所が、飲食店の立地として理想的だと思っていました。

現在の本店がある場所は、稚内空港と市の中心地のちょうど中間に位置する国道沿いのロケーションです。駐車場も十分に確保でき、建物の大きさもちょうどよいと感じました。私たちが開店するまで、小売テナントが入っては撤退するのを繰り返していたため「あそこは何をやってもうまくいかない」などと周囲からは猛反対されました。しかし、私は必ず成功できる場所だという確信があったのです。

特にオープン直後の3ヶ月は、すさまじい反響があったことを覚えています。新しい飲食店ができるだけでも地元では注目されるのに、さらに回転すし店は珍しがられました。ネタや味には自信がありましたし、実際に「美味しかった」との声もたくさんお聞きしました。ところが、少しずつお客様が減り始めたのです。当時はずいぶん悩みましたが、今思えば、店づくりの方向性が地元のお客様のニーズと噛み合っていなかったことが、一番の理由だったと思います。

どのような対策を取ったのでしょうか。

金子(正)
金子(正)

寿司だけを提供するスタイルを見直して、ファミリー層を意識したサイドメニュー開発を徹底しました。小さいお子さんが喜ぶ、唐揚げやフライドポテトなどが代表例です。今でこそ、麺類やデザートなど、回転すし店で寿司以外のメニューを注文する姿はどこの店でも見られます。主役のはずの寿司を上回る人気メニューも珍しくありません。しかし、20年前は全国チェーンも含めて、まだこうしたサイドメニューは邪道扱いされていたように思います。

ファミリーが安心して食事できる来店型の店舗を追及する中で、子どもが喜ぶメニューを次々と増やしていきました。自宅に残っていたベビーベッドを店舗に持ち込んだこともあります。すでに息子が使わなくなっていたものが残っていたので、試しに置いてみたら、多くのお客さんが利用してくれました。そんなに使ってもらえるならと、後に新しいベッドを購入しましたし、絵本コーナーも作りました。キッズスペースのある回転すし店は画期的だったはずです。

この成功を受け、2号店を出店したのはいつでしょうか。

金子(正)

2号店を出したのは、2年後だったと記憶しています。当初から、北海道全体へ進出したいと考えていました。競争を避けるため、競合他社の少ない地域に進出し、独自のポジションを築く”ランチェスター戦略”が頭の隅にあったためです。北から南へ、沿岸を覆うように店舗を増やして、いずれは都市部にも進出する構想でした。

ただ、隣町でさえ数十km離れているのが、広大な北海道の難しさです。稚内本店から店舗のある岩見沢まで移動すれば、もう往復するだけで1日が終わってしまいます。このような効率性の悪さがネックとなりました。採用自体には、今のような大変さはありませんでしたが、自前で管理職を育てるのは難しかったです。遠隔地の店舗には、思うように管理が行き届きません。私が一人であちこち飛び回って、エリアマネージャーのように見て回ることもしましたが、やはり限界がありました。いくら美味しい寿司を提供できても、組織がしっかりしなければ、経営が安定することはないと身をもって学んだ時期です。一時は4店舗ほどまで拡大しましたが、結局様々な事情で閉店する店舗も出て、現在は稚内と岩見沢の2店舗だけに落ち着いています。

夫婦二人三脚で乗り越えた経営の壁と体調不安

金子 美樹様が本格的に店舗の運営に関与するようになった経緯をお聞かせください。

金子(美)
有限会社タイタス 前取締役 金子 美樹様(以下、金子(美))

私が本格的に参画したのは3年前です。夫と結婚した後は、別の仕事を長くしていました。はじめは経理を中心に手伝うつもりだったのですが、繁忙期に手伝った事をきっかけに現場の一員として働くことも増えていきました。

 

金子(正)

妻が他の役員と共に店舗のマネジメントを進めてくれたのは、ありがたかったです。役員とともに、力を合わせてくれたおかげだと思っています。

具体的にどのような課題があり、どのように改善してきたのでしょうか。

金子(美)

現場の要望や報告が社長に届くまでに時間がかかり、なかなかスムーズに意思決定ができない状況がありました。管理を任せていた管理職の社員がいましたが、その方を通さないと話が進まない仕組みができあがっていたのです。物品購入の1つをとっても、結局話が進まない状況は、現場にもフラストレーションが溜まりますし、お客様のためにもよいことではありません。そういったことから、体制を一新しました。

また、現場に出るようにしたことで、見えたこともありました。私もサービス業で働いていた経験があったので、「こうした方がきっと働きやすいだろう」と感じることはたくさんありました。社長が現場に出られない分、細かいところまで目が行き届かなかったのはやむを得なかったと思います。社長一人に集中していたさまざまなマネジメントの負担を分散できたのも、意味があったかと思います。

金子(正)

妻が入ってくれたことで、私が直接見ていても分からなかった問題点が、どんどん明らかになっていきました。率直に言って、もっと早く改善しておけばよかったこともあります。信頼できる役員とともに、組織のボトルネックを解消してくれたことには感謝しています。

回転すし店は業態上、コロナ禍の影響も大きかったとお聞きします。

金子(正)

実はコロナによるマイナスの影響は、それほどありませんでした。すし店だけでなく、日本中の飲食店が少なからず影響を受けたと思いますが、私たちが被ったダメージは軽微でした。

要因は、地元の方々が熱心に支えてくださったからだと思います。コロナ禍でも変わらず来てくださる、長年のファンであるお客様がたくさんいらっしゃいました。稚内市内の方はもちろんですが、だいたい30キロぐらい離れた地域には、定期的にうちの店へ来てくださるリピーターが多いのです。

道内各地には、美味しい寿司を提供する店がたくさんあります。それでも「やっぱり花いちもんめがいい」と言って来てくださるのはありがたいことでした。東京などから観光で来られる方にも、毎年必ず立ち寄ってくださる方がいます。これには励まされました。

金子(美)

確実に人口は減り、お店も次々に姿を消している現状があります。そんな状況を知るからこそ、お客様からは「絶対になくさないでね」「ずっと続けていて」という声をたくさんいただいていました。地元の方々にとって、本当に大切な場所をご提供できるという充実感と責任感がありました。

金子(正)

経営環境が厳しくなっているのは確かです。特に仕入れの難しさは、創業の頃とは比較になりません。ここ5、6年くらいで急変した感覚があります。資源である漁獲量が減り、円安の影響もあって仕入れ環境が厳しくなってきました。

金子(美)

それを助けてくれたのが当社の役員でした。仲卸の出身で、独自のルートを持っていたためです。それでもコロナ前と比較すると、仕入れ価格は上昇し、私たちの利益率は悪化したことになります。

金子(正)

簡単に価格転嫁するわけにもいきません。企業努力によって、なんとかファンの方々の期待に応えてきたつもりです。20年間、地元に根づいた結果、人口が減る中でも、他の地域に負けないくらいの売上を上げてこられました。特に会社の状態は非常に良く、売上も過去最高を更新していました。だからこそ、この良い状態のうちに次の世代へバトンを渡したいと考えるようになったのです。

業績がいい時だからこそ。スピードを重視したM&A戦略

事業承継を考え始めたきっかけは何だったのでしょうか。また、その手段にM&Aを選ばれた理由もお聞かせください。

金子(正) 金子(美)
金子(正)

私自身の体調の問題もあって「あと何年できるだろうか」と考えるようになっていました。仮に無理して3年、5年続けたとしても、5年後にまた同じ状況になってしまう。そう考えたときに、今のうちに決断すべきだと思ったのです。

多くの企業も同じかと思いますが、このような地方では人材不足の問題は深刻です。特に会社経営の中核を担えるような人材の確保は難しく、仮に候補者が見つかったとしても育成するまではかなりの時間がかかるでしょう。それでは間に合わない恐れがありました。

金子(美)

従業員の将来を考えると、このまま事業承継の問題を先送りにするべきでないと思いました。社員は30代くらいの若い人が多く、働き盛りを迎える人も多いです。突然、社員を路頭に迷わせるわけにはいきません。

金子(正)

私も責任から解放されて、療養に専念したいと思っていました。そんな時、たまたま知り合いから「最近はM&Aが盛んだ」という話を聞いたのです。それまで、M&Aを身近なテーマとして考えた経験がなかったのですが、「M&Aは業績が良くなければうまくいかない」という話が印象に残りました。

私が無理に続けるのはよくないが、廃業は避けなくてはならない。とすると、誰かに引き継いでもらうことがベストだと思えました。業績が良い今だからこそ、良い条件で引き継いでもらえます。さらに従業員の雇用も守れる手段として、M&Aを検討することにしたのです。

M&Aキャピタルパートナーズにお任せいただいた経緯をお聞かせください。

金子(正)

以前からM&Aキャピタルパートナーズを含め、さまざまな仲介会社からDMをもらっていました。興味がないうちは目に留まることもなかった書類でしたが、手に取ったいくつかの封筒の中に、M&AキャピタルパートナーズのDMが含まれていました。

3社ほど問い合わせをしたのですが、その中で澤嶋さんの反応がずば抜けて早かったのです。どこから来るにしても遠い場所ですから、躊躇するのが当然だと思います。しかし澤嶋さんは本当にすぐ飛んで来てくれました。

澤嶋
M&Aキャピタルパートナーズ株式会社 企業情報部 主任 澤嶋 悠輔(以下、澤嶋)

東京から稚内まで距離はありますが、ゼロから事業を築き上げて発展させてこられた経営者様に、ぜひ直接お会いしたいと思いました。私は関西出身ですが、何かと北海道にご縁があり、これまでも道内企業で2件のM&Aをご支援してきました。

初めてお会いした時の金子様は、M&Aに対して心配や疑いがあるような印象もありました。そこで、より丁寧にご説明を進めることにしたのです。

飲食業の中でも、回転すし店のM&A事例や想定される譲受企業についても事前にリサーチし、お伝えしました。金子様のご心配をすべて解消できたわけではありませんが、希望を持っていただけたのではないかと思います。

金子(正)

私は心配性な性格で、M&Aに「怪しい」というイメージを持っていたのは事実です。ただ澤嶋さんとの対話を重ねるうちに、その不安は消えていきました。心配な理由をすべて受け止めてくださり、根拠を示した上で「大丈夫だ」と安心させてくれる仕事ぶりはプロフェッショナルでした。連絡した時のレスポンスもとにかく早いです。

ある帰り際にふと漏らした一言がずっと印象に残っています。「私自身が絶対に応援したいと思える経営者と仕事をしたいと思っている」という趣旨でした。そして「安心してください。必ずなんとかします」とも言ってくれたのです。自身の仕事に強い誇りと自信があるのだろうと感じさせられました。

金子(美)

私が初めて同席して澤嶋さんとお会いしたのは、2回目または3回目の訪問時だったと思いますが、提案書の質が高く、分かりやすかったのには驚きました。M&Aの知識がない私たちにも理解しやすい内容でしたし、社長から聞いていた通り「信頼できそうだ」と感じました。

M&Aのお相手となる候補をどのように選んだのかを教えてください。

澤嶋

金子様から「体調を考慮して、できれば今冬に入る前に話をつけたい」とのご意向があったため、スピード最優先として最短でのスケジュールを組む必要がありました。現実問題として、大手チェーンは、稚内という土地の特殊性からもすぐに成約するのは難しいと考えました。北海道内で展開し、かつ地域に根ざした経営をしている企業を軸として考えました。

ここで真っ先に思い浮かんだのが、札幌海鮮丸でした。別の取り組みでリサーチした際に、事業承継に対して熱心に取り組んでいることを存じ上げていたためです。もちろん1社だけでなく複数の会社をリストアップして金子様に報告しましたが、私が知る限りでは最も関心を示すのも札幌海鮮丸ではないかという予感もありました。

札幌海鮮丸の概要についてお聞かせください。

飯塚
株式会社札幌海鮮丸 代表取締役社長 飯塚 隆夫様(以下、敬称略)

札幌海鮮丸は札幌に本社を置き、出前専門店「札幌海鮮丸」を北海道と東北で50店以上展開しています。日本の食に特化した事業承継プラットフォームを展開する、まん福ホールディングスのグループ会社で、北海道に根差した出前寿司チェーンとして地域の食文化と共に歩んできました。

私たちは、単に規模を拡大することが目的ではなく、北海道の食文化を次世代にどうつないでいくかを大切なミッションの一つに掲げています。後継者不足に悩む中小企業を支援し、地域に根ざした食文化を守り続けることが、私たちの使命だと考えています。

私は、大学時代にアメリカのソルトレイクシティに留学し、すし店でアルバイトとして働き始めました。当時の経験が、この業界に飛び込むきっかけとなったのです。カウンター越しに寿司を握りながら、接客から会計まですべてを経験しました。帰国後は寿司に限らず、大手企業で創作和食店の立ち上げに関わるなど、さまざまな業態を経験しました。まん福ホールディングスに参画したのは3年ほど前。これは、札幌海鮮丸の事業承継がちょうど決まるタイミングでもありました。入社2ヶ月後には北海道に来て、札幌海鮮丸の経営者としての仕事を始めたという経緯です。

今回の「花いちもんめ」に関する話を聞いた時は、どう思われましたか。

澤嶋 飯塚 金子(正)
飯塚

札幌海鮮丸の得意分野である出前という枠にとらわれず、外食にはチャレンジしたいと思っていました。特に回転すし店は、チャンスがあれば、ぜひ取り組むべきだと考えていたので、絶好の機会だと感じました。

稚内は、北海道の中でも重要なマーケットです。札幌から各地へ進出している私たちにとって、稚内にある唯一にして絶対的な存在感を誇る競合が「花いちもんめ」です。気にならないわけがありませんでした。M&Aキャピタルパートナーズから話を聞いた時は、反射的に「やるべき」と感じたほどです。地域に根ざした素晴らしい企業とご一緒できる機会を、絶対に逃したくないと思いました。

金子(正)

まん福ホールディングスという社名を存じ上げませんでしたが、「札幌海鮮丸」の店舗の存在は知っていました。同じすし店でも業態が違うので、最初の段階ではいくつか候補をご紹介いただいた中の一社という程度の認識でした。

信頼を寄せる澤嶋さんからご紹介されたのと、できるだけ早期に話を進めたいという気持ちもあったので、まずはお会いしてみようということになりました。

同じ北海道、同じ寿司。共感が生んだ最良の縁組

実際にお会いした時の両者の感想をお聞かせください。

飯塚

まず金子さんと夫人のお二人のバランスが素晴らしいと感じました。役割分担をしっかりされていて、社長がこれまで築いてきたものを、夫人がしっかり理解されているのを感じ取って、ここまでの発展の理由を垣間見た思いがしました。

金子(正) 金子(美)
金子(美)

私たちはすごく緊張していました。お話を伺ううちに、経営のレベルが違うことが分かったのです。それぐらい飯塚さんはしっかりされている方で、プレゼンテーションも上手で、熱意を込めつつも丁寧に説明してくださいました。

金子(正)

緊張していたせいか、その日はいつも以上に体調が悪くて、あまり頭が回っていなかったように思います。ただ、その日受け取った提案書に飯塚さんたちの想いが詰まっていることは、後日受け止めることができました。私たちのこれまでの歩みを丹念に調べ、その一つひとつを評価していただきとても光栄に思いました。

一方で、店舗の課題についても的を射たご指摘をいただきました。特に私たちの目が届きにくい、離れた店舗についての意見を聞いた時に、より一層本気度を感じました。

澤嶋 飯塚
飯塚

「花いちもんめ」にとって、私たちと一緒になることがベストだと確信を持って臨みましたので、想いが届いたことは大変喜ばしいことです。寿司という共通言語があるからこそ、私たちが描く未来との共通項を見つけていただきやすかったのかもしれません。

そして改善点は、すなわち「伸びしろ」だと捉えています。これまで築いてきた基盤の上に、改善の余地が残されているということは、チャンスだとも言えるのです。

澤嶋

両者とも、寿司を愛してこられた様子が伝わってきました。それぞれが、真摯に取り組んできたことへの理解がどんどん深まっていく様子が見え、はっきりと相性の良さを感じました。あとは、金子様の希望したスケジュール通りに進むような段取りを組み、そのスケジュールを守ることが重要なフェーズとなったのです。

面談後、成約に至るまではスムーズに進んだのでしょうか。

金子(正)

本当にスムーズで、こんなに早く決まるとは正直に行って思っていませんでした。早期実現の他に求めていた条件は、従業員の雇用が守られること、そして店名を残すこと。その3点については、特に交渉が難航するようなこともなく、すぐにご理解いただけました。

飯塚

稚内で20年間愛されてきた財産、ブランドを残すのは、私たちにとっても当然のことです。むしろ、このブランドをさらに強化していきたいと考えています。従業員も事業を支えてきた貴重な人材です。引き続き働いていただけることは、私たちにとっても大きな力になります。

デューデリジェンス(企業の監査)についてはいかがでしたか。

澤嶋 飯塚 金子(正) 金子(美)
金子(美)

準備するのに苦労した書類はありましたが、いつも澤嶋さんが丁寧にサポートしてくれました。何が必要かを分かりやすく説明し、こちらが通常の仕事をしながらでも対応できるように配慮してくれたのはありがたかったです。

質問を投げかけた時のレスポンスも、とにかく早かったです。夜にメールのやり取りをしても、ほぼリアルタイムで返信をいただけたので、心強さを感じました。本当にありがたかったです。

澤嶋

社長と奥様が、誠実に対応してくださいました。必要な情報もすぐに出していただけましたし、隠し立てするようなこともなく、透明性を大切にされていました。お互いの信頼関係があったからこそ、スピード感を持って進められたのだと思います。

飯塚

澤嶋さんは机上で評論するだけではなく、常に自分自身が汗をかく方です。そしてどちらかの立場に偏ることなく、公平であることに努めていました。そんな姿勢から、信頼できる方だと感じていました。

地域に根ざしたブランドを守り、さらに強く

先ほど成約式を無事に終えられました。どのようなシナジーを期待していますか。

金子(正) 金子(美)

【成約式の様子】

飯塚

大きく期待されるのは、仕入れと物流面です。私たちには調達力がありますし、商品開発のノウハウもあります。一方「花いちもんめ」には稚内という土地や、独自の人脈を活かした仕入れルートを持っています。稚内の珍しい海産物を、他の店舗でも出したり、札幌海鮮丸のオリジナル商品を稚内で提供したりすることもできるようになるでしょう。

金子(正)

正直、肩の荷が下りたというのが一番大きいですね。20年間、決して楽な商売ではありませんでした。辛かった記憶もたくさんあります。だから寂しいというよりは、「ほっとした」というのが正直な気持ちです。ただ、本当に信頼できるパートナーに引き継ぐことができました。これからの「花いちもんめ」を、大きく発展させてくれると確信しています。

金子(美)

現時点ではあまり実感が湧いていません。まだ引継ぎも残っていますので、全力で取り組みたいと思います。ただ「いろいろあったね」と振り返りながら、早く私もほっとしてみたいと思います。

飯塚

「花いちもんめ」のブランドを、北海道を代表するブランドとして、さらに強化していきたいと考えています。地方経済を支えるという使命を果たしながら、北海道の食文化を次世代につないでいく。それが私たちの役割だと思っています。

これからM&Aを検討する経営者に向けたメッセージをお願いします。

金子(正)

私のようにM&Aへの不信感を持っている経営者も多いと思います。今回の成約をテレビや新聞にも多く取り上げていただいたので、今後は直接知り合いではない経営者からも質問されることが増えるでしょう。その時は、迷わずM&Aキャピタルパートナーズを紹介したいと思っています。心配する必要もなく、全部任せて大丈夫だと伝えたいです。

金子(美)

結局、M&Aは人と人のつながりだと感じています。アドバイザーである澤嶋さん、譲受企業の飯塚さんがいずれも誠実で信頼できる方だというのは、幸運なことでした。疑問に答えていただき、その積み重ねで信頼関係を築くことができました。いろんな方とお会いして情報を集める努力も必要なように思います。その中で、相性や信頼性を見極めるのがよいでしょう。

飯塚

人材不足による事業継承の問題は北海道に限らず、今後さらに増えると思っています。私たちは相談の窓口として、気軽に問い合わせていただける環境を整え、そういった企業と積極的に情報交換したいと思っています。

M&Aは単に会社を売るということではなく、従業員や地域の食文化を守り、次の世代につないでいくための一つの手段です。今は「花いちもんめ」ブランドを預かり、継承する責任を強く感じています。

澤嶋

スピード感をもってご成約できたことを喜ばしく思っておりますし、ご支援ができたことは大変光栄なことでした。北海道の地方経済を支えるために、これからも足を運んで、多くの方々とつながっていきたいと思っています。

 

文:蒲原 雄介 写真:伊藤 竜也 取材日:2025/11/4

担当者プロフィール

  • 企業情報部 主任 澤嶋 悠輔

    企業情報部主任澤嶋 悠輔

    京都大学卒業後、FA機器メーカーにて測定器を担当。中小企業を中心とした新規開拓営業を行い、2期連続営業ランキング首位を獲得。
    当社入社後は、IT企業や建設コンサル、食品卸など様々な業種だけでなく、大手企業のカーブアウトなどの多様なM&Aの支援を手掛ける。

お勧めの事例インタビュー


M&Aキャピタルパートナーズが
選ばれる理由

創業以来、売り手・買い手双方のお客様から頂戴する手数料は同一で、
実際の株式の取引額をそのまま報酬基準とする「株価レーマン方式」を採用しております。
弊社の頂戴する成功報酬の報酬率(手数料率)は、
M&A仲介業界の中でも「支払手数料率の低さNo.1」を誇っております。