

40年の信頼が紡いだ、最期の想いをつないだM&A。
創業者の遺志を継ぐ新たな船出
創業者・横沢治二郎氏が40年にわたり育ててきた株式会社理創。後継者不在という課題に向き合ってきた横沢 治二郎氏は自らの重い病を宣告された後に、ソーバル株式会社へのM&Aを決断。数か月にわたる闘病の末、株式譲渡が成立したのは横沢氏が逝去するわずか数分前だったという。故人の遺志を継ぎ新社長に就任した、40年来の友人でもある西田尚信氏と、譲受企業・ソーバル株式会社の代表取締役社長 推津 敦氏に、成約までの経緯と将来展望についてお聞きした。
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譲渡企業
- 会社名
- 株式会社理創
- 所在地
- 東京都渋谷区
- 事業内容
- WEBシステムを中心とした
システム開発事業を行っている。 - M&Aの検討理由
- 後継者不在のため
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譲受企業
- 会社名
- ソーバル株式会社
- 所在地
- 東京都品川区
- 事業内容
- 制御系、通信系、画像処理、組み込み系ソフト&ハード及びビジネスアプリケーションの
開発を手掛けている。 - M&Aの検討理由
- 事業拡大・成長のため
高いプログラミング能力によって結ばれた強い絆と事業への強いこだわり
理創の会社概要、そして西田様と横沢様の出会いについて教えていただけますか。

理創は設立当初から、オープン系システムのソフトウェア開発、受託事業をメインに展開してきました。私たちの開発力、技術力は精密機器メーカー、電機メーカー、官公庁など各方面のお客様から高くご評価をいただいてきたと自負しています。創業から40年にわたって会社を率いてきたのは、2025年末に逝去した横沢治二郎さんで、私はその後任としてバトンを受け継いだ立場です。
横沢さんと私が知り合ったのは1984年、理創の設立前にまで話はさかのぼります。私は現在の新日本製鐵(現・日本製鉄)の研究所に勤めていて、アメリカにある石油探査を行う企業のシステム研究所に派遣されていました。そこで石油探査を専門で担うコンピューター用のOS開発を任されました。まだインターネットが存在しない頃のことです。測定結果を受信し、専用のネットワークで転送し、高速プリンターで出力するという一連のシステム構築が、私に課せられたミッションだったんです。
社運をかけると言っても過言ではない、重要なコントローラーのプログラム開発ということで、会社からは「予算に上限は設けない。だから、日本で一番優秀なプログラマーを雇ってほしい」と指示されました。さまざまな伝手を頼ってかき集めた情報の中から、最終的に絞り込んだ2名の中に横沢さんがいたのです。すでにプログラミングの分野では第一人者と目されるほど、横沢さんは有名な方でした。決して派手な印象を与えるタイプではなく、ものすごく優秀な仕事人という印象だったことは、今もよく覚えています。
横沢様の技術者としての印象はいかがでしたか。
あらゆることにおいて、きちんとしている方でした。ソフトウェア開発と聞くとゲームなどを連想される方もいるかもしれませんが、私が横沢さんに依頼していた種類のプログラムというのは極めて高レベルで、緻密な開発が求められます。そういう意味では、横沢さんの仕事は常に完璧に近かったと思います。3年ほどプログラム開発でご一緒しましたが、何かトラブルやバグがあった時の原因は、99%はこちらにありました。横沢さんが誤りを犯したことは記憶にないほどです。
当時、設計書はすべて手書きだった時代です。打ち合わせの際には、横沢さんは常に設計書の束を持参してきました。手書きなのに読みやすく整理されていることからも、緻密な性格なのだと分かりました。後年、理創のオフィスを訪れた際も、書類や雑誌といったさまざまな資料がきれいに管理されていたことを覚えています。そして責任感が強く、絶対に逃げないという信念があったことも、周りから信頼された要因だったと私は感じています。
その後も、西田様と横沢様のお付き合いが続いたのはなぜだったのでしょうか。

私はその後も長くアメリカに駐在し、その間は直接のお付き合いはありませんでしたが、お中元やお歳暮、年賀状などのやり取りは続けていました。再び一緒にビジネスをしたのは、私の帰国後です。新日鉄がIT分野への進出を決め、私が事業責任者に指名されました。早速大きな仕事が決まった際に、その開発を横沢さんに頼むために代々木に移転していた理創を訪ねたのです。
初めて知り合ったときはまだ個人事業でしたが、1985年に横沢さんは法人化して株式会社理創を設立していました。二度目の渡米前に設立直後の理創を訪問した際には、千駄ヶ谷にあるマンションの一室で、横沢さんと社員が2人ほどいた程度でした。横沢さんはここで一心不乱にプログラムを書いていた時期も長かったはずです。
理創は順調に経営規模を拡大していたのでしょうか。
後から聞いた話では、私がアメリカから帰国するまでは、なかなか波乱万丈だったようです。ある仕事では、受注額の3倍ものコストがかかり、経営が厳しい局面を迎えたこともあったとか。しかし、そんな事情は全く知らなかった私が、再び仕事を頼みに行ったのが経営の大きな転機になったと聞きました。
新日鉄という巨大企業と直接取引できるほどの会社だと、銀行からの信用が一気に上がり、それまでどれほど頭を下げてもかなわなかった資金調達ができるようになったそうです。横沢さんのご息女の紀美子さんは、子どもの頃に「うちの会社が存続できたのは西田さんのおかげだ」と言われて育ったそうです。それぐらい律儀で真面目な方でした。技術的なこだわりだけでなく、会社や社員への愛情も人一倍強かったですね。そして、プログラムの腕は間違いなく一流でした。依頼した仕事はすべてが成功までこぎつけたのは、横沢さんの力があってこそです。だから、私も横沢さんに対する感謝の想いは忘れられません。
手塩にかけて育てた会社を手放せずにいた創業者の葛藤
横沢様がどのようにM&Aを検討されるようになったのか、その経緯を教えていただけますか。

おそらく横沢さんは生涯ずっと理創を経営したかったのではないかと思います。会社こそ人生、会社が自分のすべてだと考える創業社長は、一定の年齢以上になると多いように思います。しかし、横沢さんには後継者がいませんでした。娘さんは別の仕事をされていましたので、まず身内に後継者はいなかったのです。次の候補として、理創設立時の社員で有力な方がいたのですが、親の介護の都合で出身地である東北に帰ってしまいました。そしてもう一人の候補が、私だったというわけです。しかし、私にも自分自身が経営している会社が別にありました。そのことを知る横沢さんは、なかなか私にも承継の話を言い出しづらかったようですね。これも後日、娘さんからお聞きした話です。
それでも横沢様は思い切って、西田様に相談されたのですね。
2024年末ごろあたりだったかと記憶しています。結果的には、亡くなるわずか1年前だったので、悩んだまま、ずいぶんと長い時間を過ごしたのでしょう。久しぶりに食事でもどうですかと誘われてお会いしたら「私ももう結構な年齢になりましたが、後継者がいません。西田さんが別の会社を経営しているのは理解しているけれど、ちょっと手伝ってもらえませんか」と言われました。昔、お世話になったこともありましたし、横沢さんが困っていることは伝わってきたので「サポートするなら全然構いませんよ」とお答えしました。
すでにこの時点でM&Aの候補先もいくつか、具体的な社名が上がっていたようです。宮下さんは、いつ頃から横沢さんとお会いしていたのですか。

初めてお会いしたのは2年前でした。つまり横沢様が西田様に、相談を持ちかける前のことです。
早い段階でお聞きしたのは、横沢様が4年ほど前にも一度、M&Aを検討したものの、最終締結のタイミングで破談となったという事実でした。当時は異なる仲介会社がリードしていたようで、相手先とも交渉を重ねて、条件も細かい点まで調整していたのですが、横沢様が白紙に戻したいと決断されたとお聞きしています。
なぜ破談となったのでしょうか。
横沢様からお話をうかがった限りでは、M&Aがどういうものかよく把握できないまま進められていたことや、途中で条件に大きなズレが存在していたことも理由だったようです。少なくとも横沢様は、拙速だと感じておられました。会社を存続させたり、成長させたりする手段として、M&Aや資本提携が必要だと頭では分かっていても、気持ちの整理が追い付かないというのはよくあることです。早い段階で違和感を持ったまま、当時のアドバイザリーに相談してもそれが解消されないままで話が進んだらしく、遅かれ早かれ破談になるのは当然の帰結とも言えます。
そこからどのようにサポートしようと考えたのでしょうか。
前回のご経験から、ご自身が分からないまま、言わばご自身が十分に理解できないまま話が進んでいくことに不快感や不信感が芽生えたのだろうと拝察しました。私は常に横沢代表と連携しながら、分からないことを一つひとつご理解いただけるように心がけました。この間、私から横沢様のご決断を急かすような言葉は一度も申し上げていません。
お会いしてから半年後にM&Aの専任契約を結ばせていただきましたが、その後も理創の特徴や社風、もちろん横沢様のお考えを学んでいきました。さらに数か月が経過してから、初めて複数の会社を横沢様にご提案したという流れです。この時点では、ご病気は発覚していなかったので、ご高齢になってきているとはいえ、焦って決めるお気持ちはなかったはずです。
横沢さんは、本音では我が子のように育てた会社を手放したくないという気持ちがずっと強かったんです。40年、人生の半分を過ごした会社ですから、その気持ちは分かります。その証拠に、病気が発覚して検査入院が必要だと言われた時も「数週間で帰ってくるので、私が元気になったらもう一度、しっかり考えたい。西田さん、付き合ってくださいね」と言われていました。一方で「M&Aをするのなら、ソーバル以外の選択肢はありえない」とも話していました。ただ、まさかそのまま横沢さんと会えなくなるとは、この時点では想像していなかったですね。
同じ時代を生き抜いた両者だからこそ感じたシンパシーが距離を近づけた
横沢様が「ソーバル以外はありえない」と仰った理由に迫りたいと思います。ここでソーバルの事業概要をお聞かせいただけますか。

当社は組込みからAIまでさまざまなソフトウエアのシステム開発に取り組んできました。アプリケーション、WEB・クラウドの開発、マニュアルやWEBの制作など多岐にわたるソリューションを提供しており、国内有数の独立系開発企業と評価をいただいていると自負しています。
創業者は私の父でしたが、創業が1983年で、理創の1985年とかなり近い時期です。これも一つのご縁だったかもしれません。私自身は2005年に入社、もともとは別のIT企業に勤めていて、後を継ぐつもりはありませんでした。詳しくは後ほど話しますが、横沢さんにお会いした時に父と似たものを感じていたんです。会社と仕事、そして従業員が大好きという点です。ただ親子の感情としては、強烈な個性とリーダーシップを持った父と働くのは無理だろうと思っていました。私自身も入社を望んでいなかったのですが、父の誘いに乗ってしまい、気が付けば入社していました。
M&Aへの取り組みはいつ頃から始められたのでしょうか。
2018年頃からで、これまでに3社とのM&Aを実施してきました。最初のケースは、経営者同士が友人というパターンでしたが、当時20数名だった社員が今では3倍まで成長しています。M&Aのお相手先として重要なのは、確かな顧客基盤があり、信頼できる従業員がいること、これが基本です。そして当社と社風がマッチする企業でなくてはなりません。いくら業績が良くても、社員を大切にするという価値観が一致しない限りは、M&Aを行っても無意味です。結婚と同じく、基本的には片方が幸せで、もう片方が不幸ということは起こり得ません。つまり両方が幸せになるか、または不幸せになるかしかないんです。何より相性の一致が重要だと考えてきました。
理創に関心を持ったきっかけについて教えてください。
スキルシートやお客様の情報を見せていただいた印象がとてもよかったのです。顧客や、日常的に扱う技術面での重複は少ないのですが、当社でもハンドリングできると感じました。ここがずれていると、一緒になってもあまりシナジーが期待できません。また横沢さんの人柄についても事前にお聞きしていて、信念の強い父に重ねて見る思いがしました。仕事への情熱が強く、四六時中仕事の話をしている様子も目に浮かぶようでしたから。ぜひお会いしてみたいと思いました。
理創は業績も好調で、優良企業だったため、すぐに関心を示す企業が50社ほど集まりました。さまざまな可能性がある中、最も熱心に、そして真っ先にメッセージをくださったのが推津様でした。横沢様に宛てたお手紙をしたためて、私に預けてくださったのは、推津様だけです。その熱意が横沢様に伝わったのは間違いありません。お手紙を読んだ時は嬉しそうにしていらっしゃいました。実は、私どもの仲介でトップ面談に進んだのも結果的にはソーバルだけでした。

トップ面談が当社だけだったとは知りませんでした。当社も父の代から従業員を大切にしてきたという点では自信があります。おそらく横沢さんもそんな思いで会社を経営されてこられたのだろうと想像ができましたので、ぜひ一緒にやりたいという思いを文字にして手紙に託したつもりです。
横沢様はお手紙を喜ばれた反面、まだご自身の中で譲渡の気持ちが固まっていないことから慎重なお気持ちもあったようです。お会いすること自体は問題ないけれど、面会を経てなし崩しに話が進んでしまった以前の苦い記憶もよみがえったそうです。結果的に手紙をいただいてから、面談に進むまで2ヶ月ほどかかりました。
実際にお会いした時の印象はいかがでしたか。
横沢さんの話で印象に残っているのは、創業から長い年月を経て、バブル崩壊とリーマンショックを乗り越えているIT企業は信頼できるという内容でした。資金繰りで大変苦労された昔話は、よく父からも聞かされていましたので不思議と話が合いました。同じ時代に歯を食いしばって事業を伸ばしてきたシンパシーを感じてもらえたのかもしれません。横沢さんは想像していた通り、純粋に今の仕事が心から好きだということも伝わってきました。
私は個人的な知り合いや他からの紹介も含めて、何度か横沢さんに頼まれて面談に同席した経験があります。ソーバルの推津さんたちとお会いしたのは、何回か打ち合わせを重ねたあとでしたが、その時の横沢さんが冗舌だったのに驚きました。他社との打ち合わせだと、横沢さんは挨拶する以外、ほぼ黙ったままだったんです。質問されても答えないので、仕方なく私が答えていたほどです。ソーバルとの面談における横沢さんを見ると「価値観が合う」というのはこういうことを指すのだと感じずにはいられません。
横沢様がソーバルを選んだ決め手は何だったのでしょうか。
一番大きかったのは、既存のお客様と社員の業務は変えないと断言してくれたことでした。他社は、意向表明書に取引先の単価変更の可能性や、プロジェクトや人員配置の見直しを明記しているケースがほとんどでしたが、ソーバルはそれとは逆で「保証する」と書いてありました。横沢さんが安心したのは間違いありません。
それでもなお横沢さんが「できることなら譲渡せずに、自分の手元に置き続けたい」と考えていることも伝わってきました。交渉の過程で条件変更を申し出られたときは、面食らいましたが、そのときも父の顔が思い浮かんだのです。もう、ご本人が決断するまでは待とうと考えました。
意向表明に対して返答の期限を設けるのが普通ですが、その締切が来ても「もしそれでダメになるなら構わない。仕方ない」というペースでした。そんな気持ちに寄り添ってくれた推津様には感謝の気持ちでいっぱいです。
急転直下、限られた時間で成約まで漕ぎつけるための連携が、奇跡を生んだ
そんな横沢様が突然入院されましたが、そのときの状況はいかがでしたか。
前年夏から少しずつ横沢さんの仕事を引き継いでいこうとしていたのですが、ほどなく入院が決まりました。ただしこの時点では退院時期も決まっていて、入院期間は3週間。抗がん剤の治療後、2週間は経過観察する予定でした。実質、何の引き継ぎもできないまま、帰りを待っていたのですが、結果的に肺炎を合併し、容態が悪化していきました。
当初、検査入院とお聞きしていたため、ソーバルをまたお待たせしてしまって申し訳ない、その程度にしか考えていませんでした。しかし、病状が重いと分かり、電話越しの声もどんどん弱っていくのが感じられ、やがて声がかすれて出なくなっていきました。そんな中で、「早期M&A完了を希望します」というメールが来て、そこから一気に動き出したのです。
宮下さんへメールを送る前日、ソーバルの話を進めることについて、私の同意を求めるメールも来ました。「それしかありません」と私は返答しました。
そこから先はさまざまな準備が急ピッチで進みました。本来なら何ヶ月もかかるデューデリジェンス(企業監査)のステップも、ソーバル側の英断で大幅に短縮していただきました。

時間がないと聞かされていたので、多少のリスクを背負ってでも我々ができることはすべてやろうと腹を括りました。しかし、もう横沢さんとは直接お会いできず、病状も分からなかったというのが本音です。
病気の性質上、無菌病棟に入られたため、家族しか面会ができなかったんです。ここで娘の紀美子さんが、横沢さんの意志をくみ取って、外部との橋渡しをしてくれました。彼女がいなかったら、本人の意思は確認できないままだったことでしょう。
ただ最終局面になって、横沢さんは契約書の内容を全部確認したいと言い出しました。もうそんな体力は残っていなかったはずですが、オーナーである横沢さんの意向を受けて、調印は1週間延ばさざるを得ませんでした。主治医と話した娘さんから聞けば、今日明日で何が起こってもおかしくないと言われたとのこと。1週間はもう絶対に間に合わないと分かり、すぐに宮下さんと連絡を取って「無理を承知でとにかく急いでほしい」とお願いしました。
本当に間に合ったのが奇跡だったとしか言いようがありません。ソーバルから理創への振込が完了して、口座で着金が確認できたタイミングと、横沢様が亡くなられたのはほぼ同時でした。あと10分、締結が遅かったら、着金が遅かったら、M&A成約よりも先に逝去されてすべてが水の泡だったかもしれません。
着金完了を娘から聞かされた横沢さんは、かすかに頷いたそうです。それが最後の意思表示だったのだと思います。会社の行く先が決まり、安心して息を引き取ったのでしょう。「間に合ってよかった」と安堵していたら、ものの数分で亡くなったと連絡がありました。もしあの時、手続きを早める判断をしていなかったら、間に合いませんでした。横沢さんの執念が実ったのかもしれません。
先に横沢様が亡くなっていたら、株式の相続手続きの完了を待たなくてはなりません。その後、ようやく会社に対して株主名簿の名義書換請求を行うこととなります。仮定の話をしても仕方ありませんが、過去には株主が亡くなってしまったことで譲渡の件が立ち消えになったケースは少なくありません。本当に紙一重だったと思います。
宮下さんは、最後まで横沢さんに全力で寄り添っていらっしゃいましたね。こだわりが強い創業社長と、譲受側である私たちの間に立って、本当にうまく整理してくれましたし、宮下さんは相当大変だったと思います。私たちに対しても「こうした方がいい」というアドバイスも的確で、仕事の質もそうですが状況整理や連絡、段取りも含め完璧だったと思います。
私自身、M&A仲介に対する印象が変わりました。これまで毎日何十通もメールが来たり、自宅まで追いかけてくるような会社もありましたし、世の中にあるM&Aに伴うトラブルの話も耳に入っていましたから。実は私が経営しているもう一つの会社も後継者がいないので、また何かあれば宮下さんにお願いしますとお伝えしたぐらいです。
光栄です。そのような言葉をかけていただきありがとうございます。一つ、M&Aの課題は、仲介者が急き立てるケースが多いことではないでしょうか。当社には営業担当者の売上目標やいつまでに成約させるという概念がありません。だからこそ、私の裁量で両者の想いに向き合い、ご希望のペースに合わせることができました。クロージングを急ぐのではなく、納得されるまでゆっくり時間をかけるという進め方ができたのだと思います。しかも前もって備えをしていたから、最後の最後に間に合わせることにも対応できました。本当にほっとしています。
想いを受け継ぐ。両社の発展を通じて個々の成長にもつなげたい
今後の理創をどのようにしていきたいとお考えですか。

まずは社員の方に安心していただくことが第一です。先ほどもあったように、現状を無理に変える必要は感じていません。今目の前の業務はしっかり継続しつつ、やがて一緒になったからこそのシナジー効果を出していきたいと思います。強いところは強く、弱いところはお互いに助け合いながらやっていく考え方が重要です。そして最終的には給与を上げることが社員の幸せややりがいにつながると信じています。そのためには売上とともに利益をしっかり残せる組織にしていかなければなりません。とはいえ、短期の成果に慌てなくても大丈夫です。上場企業グループの一員になったということで、その点も安心していただければと思います。
これまでの理創の社員たちは、横沢さんに大切に育ててこられた人たちばかりです。逆に言えば、この環境でしか働いてこなかったとも言えます。だから上場企業グループの一員となったことで、目先の心配をしなくてよくなったというのは本当にホッとしています。横沢さんは病気のことを明かさないでくれと言い続けていました。
大半の社員は亡くなるとは思っておらず、訃報とソーバルへのグループインの話を同時に聞かされたわけです。混乱してもおかしくありませんが、要となる社員と話をしたところ、皆一様に体制が変わったことで安心したという反応でした。横沢さんがこれまでも時々入院していたことを知っていたからこそ、内心は不安だったんでしょう。
最後に、M&Aを検討している経営者の方々へメッセージをお願いいたします。
M&Aは相手探しが大事だという考えに変わりはありません。目先の数字だけにとらわれず、将来一緒になった時に幸せになれるかを想像してほしいと思います。そこで具体的なイメージが持てるなら、きっとうまくいきます。何か気に入らないポイントがあれば、それはおそらく価値観の合わない人と結婚して一緒に生活するのと同じで、やめた方がいいでしょう。創業者は多かれ少なかれ直感を信じて経営してきたはずなので、直感を大事にしてよいのではないかと思います。
今回の件でいろいろ勉強させてもらいました。M&A仲介に対してよいイメージを持っていなかったのが率直なところですが、だいぶ印象が変わりました。やはりいろいろな会社に会ってみないと分かりません。目の前の相手がよい人か、悪い人なのか、綺麗事を言っているだけなのか。今回は宮下さんと出会えて横沢社長は運が良かったと思います。やはり、提供してもらえる機会をフルに活用して、比較検討することが大切だと思います。同時に、M&A後の姿をよく想像することも大事だと思います。
なんとか間に合わせることができましたが、多くの関係者が前を向きながら真剣に臨まれた結果だと思います。私は、尊敬する方の最期の瞬間まで一切の妥協無くやり遂げたことを誇りに思いますし、優良企業で温かみもあるソーバルとご一緒に最期に横沢様が安心して旅立たれたのなら、想いに報いることができたのではないかと思います。お元気なうちに契約書を取り交わしていたため、最後は相続人であるご家族と、本当に寄り添っていただいたソーバルと連携しながら調印手続きを進めました。そして今回は特に、ソーバルの手際のよさと、働かれている皆様の優秀さと温かさに助けられたことは強調したいと思います。
M&A成約がゴールではなく、これから先が両社にとっての重要なフェーズです。横沢様の遺志を受け継いだ理創の発展を心から願っております。

文:蒲原 雄介 写真:平瀬 拓 取材日:2026年1月29日
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