M&A成約事例・実績
ご成約者インタビュー 
それぞれの選択

M&Aご成約者事例
#16

「M&Aを実施して自由を手に入れた」

譲渡企業

株式会社かわの(現社名:株式会社 Share Clapping)

窮地に立っていた実家を救うため、未経験の寝具業界へと足を踏み入れることに。持ち前の営業力と画期的なアイデアを駆使し、小さな寝具店からブライダル・プロデュース業へと転身を図り、成功を収めることになった株式会社かわの。飛ぶ鳥を落とす勢いで発展を続けた同社がなぜ、M&Aを決意することになったのか。前代表取締役である川野悦生様に、その決断に至るまでの経緯についてお聞きした。

黎明期に立ち上げたウェディングアドバイザーという仕事

まずは、創業された経緯からお話いただけますでしょうか。

25歳の時に、110年続く実家の寝具店を継ぎました。それまでは自動車のディーラーに勤務していて、営業力にはそれなりに自信を持っていました。長男でしたし、30歳になったら実家に戻ろうと思っていたのですが、経営が芳しくないから助けてほしいと親に懇願されて快く引き受けていました。赤字経営ではあったのですが、サラリーマンでしたからあまり実感もなく、“布団を売ればいいんでしょ”と軽い気持ちでいたんですね。でも、それほど甘いものではありませんでした。

やはり自動車の営業とは全然違います。客層も違うし、売り方もまったく違う。自宅を一軒一軒訪問するような営業スタイルでは相手の迷惑にもなるので、ちょっと戦略を考えて、名刺に「ブライダル・アドバイザー」という肩書を載せて営業を開始しました。

どうしてブライダルに着目を?

当時は、嫁入り道具として高額な家具や寝具の需要がありました。だからブライダル用として布団を売りたかったのですが、そこにブライダル情報の提供を付加することを思いつきました。まだインターネットが普及する以前の話ですから、皆さんも情報収集にお困りになっていました。そこで私が「ブライダル・アドバイザー」として、結婚式場の情報や布団以外に準備すべきものや結納のやり方みたいなノウハウを提供すると同時に布団も販売するビジネスモデルを思いついたのです。まだ日本にチャペル式の結婚式が導入されたばかりの頃で、ウェディング・プロデューサーが世の中に存在していなかった時代でしたね。

それから、広島中のホテルを回って一からコネクションを作って、とにかく実績を作って認めてもらおうと、一番大きいホテルに3組のカップルを送客したら、向こうはびっくりですよ。それまでは美容院からの紹介客というのはありましたが、まったく前例のない寝具店の若者がいきなり、3組ものお客様を送り込んだわけですから。その実績が認められて正式に提携をいただき、そこから他のホテルへと広がっていきました。

さらに式場の紹介だけでなく、宝石や家具店とも連携し、結納品も含め、結婚式にかかわるすべての商品を扱うようになりました。宝石店や家具店だって売り先が欲しいわけですから、自動車ディーラー時代に鍛えた“モノを売るプロ”である私に託すことに意義を感じてくれたのでしょう。当時、すでに広島中のホテルや式場と提携していましたし、お客様はどんどん増えていきましたからね。

やがて、ホテルや式場に送客するだけでなく、私がお客様の要望に合わせてオリジナルの結婚式をプロデュースするようになりました。ちょうど世の中的にもレストランウェディングが流行り始めた頃。お客様から「こういう式ができないか?」と相談を受けて、何のノウハウもなかったのですがチャレンジしてみようと考えたのがきっかけとなりました。

思い起こせば学生時代にイベントを企画するのが好きだったので、そんなノリで引き受けていましたね。思いのほかうまくいったので、ホテルとカジュアルの2本立てで事業を拡大しようと考え、それを機に広島の中心部に店を構えました。

その頃には私と妻、そしてディーラー時代の部下だった女性2人を呼び寄せ、4人体制で運営をしていました。家賃も高かったし、最初はカツカツでしたが、1年ほど経ってから転機が訪れます。

外国人カップルからご依頼があって、10台のオープンカーでパレードをした後に、広島の中心部にある大きな公園で120人くらい集めてオープンなウエディングをやりたいというのです。

もちろん、全面的にかなえて差し上げたのですが、たまたまその場にTVのロケが入っていて、翌日に大々的に放映されてからはもう、ひっきりなしに電話が鳴りっぱなしで、それから3年間ずっと、こちらから一切営業活動することなく、お客様が途切れることはありませんでした。

両親の時代から引きずっていた借金もすべて返済し、さらに直営のウエディング会場をオープン。従業員も増え、おかげさまで利益を生み続ける優良企業へと成長を遂げました。

承継問題の打開策としてM&Aを選択した理由

どうしてM&Aを意識するようになったのでしょう。

31歳の時に掲げていた10個のビジョンが、38歳の時にすべて叶ってしまったんですね。私はこれ以上、事業を拡大するつもりはありませんでした。目の行き届く30人くらい、3~4店舗という規模で良く、その中から次期社長を育成しよう、そして50歳になったら引退して、好きなことをやろうと。このまま続けていっても守りに入るだけ。であるなら、ビジョンが叶った今、それなりに成功しているうちに身軽になって、また一から新しいことにチャレンジしようと考えていました。 それで有望な若手二人を後継者として育成していたのですが、私が38歳になった時に彼らに託すといったら、二人とも社長になるのは難しいと言ってきました。自分は、2番手、3番手の立場でトップをサポートする立場が良いと。もちろん、彼らの意思は尊重したいとは思いましたが、とはいえ私にも私の人生があります。

他に方法はないだろうか?

しかし私の家族は娘が3人、親族は全員寝具店を営んでいて、誰かが承継する可能性は低い。そう考えた時にM&Aという選択肢が浮上しました。 M&Aであれば、従業員を守りながら会社を維持できるし、私も新しいチャレンジをするために必要なキャッシュを手にできる。

そこで銀行に相談したら「この会社なら価値があるから売れますよ、今がチャンスですよ」と何度も無理にあおってくる。その言動に、しっかりと私を見てサポートしてくれていないと感じてしまいました。こちらの条件さえきちんと聞いてもくれずに急がせている。まるで乗っ取られるような感覚だったのでお断りを入れました。まあ、こちらも切羽詰まっていたわけでなく、すぐに売る必要はなかったこともあります。

それから、勉強のためにM&A仲介会社が開催するセミナーに出席して、内容を確認。その後、すぐに数社に電話を入れて問い合わせをしたのですが、すぐに説明に来てくれたのがM&Aキャピタルパートナーズの担当さんでした。そこで私の思いを語ったんですね。金額云々というよりは、本当にフィフティフィフティで話ができる相手先が良いときっぱり言ったら、「私を信用してください」と、「しっかり探してくる」と言ってくれたのです。

当日は、3時間くらい話しましたかね。私は人を大切にするので、“この人ならずっと付き合えるかな”と思って、まずはM&Aキャピタルパートナーズさんだけに任せてみようと、他社と会うことはなかったですね。着手金が不要だという話にも期待が持てました。他社は情報提供だけでもお金を取るのに、ここは着手金を取らないということは、顧客に喜んでもらえる確信があるのだと、提案内容に相当自信があるのではないかと、そう思いました。

どうして、“この人ならずっと付き合える”と思ったのでしょう。

私の要望をしっかり聞いてくれました。私自身が何を大切にしているか、何をポイントにしているか、過去の経緯を紐解きながらしっかり聞いてくれた。私自身がそういう人間で、ウエディングを作るときにもしっかりお客様のお話を生い立ちから聞いていく。その姿勢が同じだと思いました。

M&Aキャピタルパートナーズが紹介してくれた企業は満足できたのですか。

一社目にご紹介いただいた企業は、やや要望とは異なる企業でした。しかし、私も彼を信じると決めた以上、妥協はせず待ち続けようと考えました。そうしたら、次にお話を持ってきてくださった相手先が藤田観光さんでした。実は、相手先の条件として、“同業者ではないところ”をとお願いしていたのですが、藤田観光さんであれば話が別です。実は、10年ほど前に藤田観光さんにうかがい、“ウエディングのなんたるか”をスタッフ全員で教えを請いにいったことがあったのですね。非常にリスペクトしていた会社さんだったので、これも縁だと、ぜひお会いしたいと繋いでいただきました。 すると、すぐに専務がお会いしてくださるとおっしゃる。しかも私のスケジュールを優先して調整をしてくださいました。その時点で、先方の誠意を感じていましたね。最初の面談はとても友好的ムードで行われ、専務の考え方も理解できましたし、とても好印象を持ちました。

しかし、最初から一度の面談で決定するつもりはなく、最低でも5~6回はお会いしたいと思っていましたし、専務にもそうお伝えしました。一番重要なのは、“社風が合うかどうか”です。大切にしているものが一致していないと、うちの従業員がやりづらくなる。それは絶対に避けたいと思いました。

うちの従業員がやりづらくなって、存分にパフォーマンスが発揮できなければ、それは買い手である藤田観光さんにもご迷惑がかかる。「双方にとってよくないですよね」と話したら、すぐにきてくださいと、もう翌週にはキーマンに会えるような段取りをその場で決めてくださいました。

新しいチャンレンジをするためのステップに

何度目の面談で決意を固められましたか。

4回目の面談を実施したあたりで、もう私の中では“藤田観光さんと一緒になろう”と決めていましたね。何度も広島まで足を運んでくださいましたし、本当にウチと一緒になりたいんだろうなという熱意を感じていました。過去に銀行を通じてM&Aの検討を進めたときの体験をお話し、“大手企業に飲み込まれるのは嫌だ”と本音ベースでお話をしたら、「絶対にそれはない。一筆書いても良い」とまでおっしゃってくれました。

M&Aって、会社を売って終わりではないですよね。もちろん、私も引き継ぎ期間は一緒に仕事をしていくわけですし、大切な従業員を託すわけですから、後で後悔しないよう、確認しておくべきことはすべて確認しておこうと思いました。

M&Aキャピタルパートナーズの担当者の動きはいかがでしたか。

M&Aキャピタルパートナーズの担当さんは、常にスピーディに対応してくれました。間に入って両社の意向を確認しながら調整をしてくださっていて、直接申し上げづらいことは全て、こちらの意図をしっかり汲み取ったうえで先方に申し入れてくれました。 もちろん、フィフティフィフティな立場ですから、完全にこちら寄りで進めることはできないとは思いますが、それでも彼は私寄りに立って交渉していると感じさせてくれていました。こちらの強気な発言を柔らかくして伝えたりして、まさに潤滑油のような役割を担ってくれました。時々、彼から電話があって「こういう感じの言い方をして良いですか?」とニュアンスまで確認してくれたりもしてくれました。交渉事って、言葉一つ間違えたらおじゃんになることもあります。彼がいなかったら、この話は成立しなかったと思っています。

最後に、現在はどのような状況でしょうか?

契約成立から4年が経過しました。当初、3年間は残って引き継ぐというお話でしたが、それも2年で移行が完了。元々、私なしであっても従業員だけで事業が回る体制作りをしていたので、非常にスムーズに引き継ぐことができました。株式会社かわのという社名は変更し、新たな社名であるShare Clappingとなったのですが、この言葉は、私が大事にしていた「人を幸せにすることで自分も幸せになる、皆に幸せを与えていこう」という考え方を汲み取ってくれたもののように感じます。それが非常に嬉しかったですね。私が作ってきたものを大切にして、さらに大きく育ててくれる、そんな従業員の姿勢を感じることができました。今では従業員も倍近くなって、北九州に新たな店舗をオープンするに至っています。これからも少し離れた場所から温かい目で見守っていきたいですね。 私自身は、当初の予定通り、広島での生活を引き払い、東京で一から新しいチャレンジをはじめています。数社のコンサルティングを行いながら、報酬なしで面白そうな会社や店舗に助言などをしています。責任やお金に縛られることなく自由に、自分が興味のあることにチャレンジしている、そんな日々を送っています。今はとにかく自由で楽しいですね。

(文=伊藤秋廣 写真=伊藤元章)2019/03/05

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