M&A成約事例・実績
ご成約者インタビュー 
それぞれの選択

M&Aご成約者事例
#37

人生をかけてきた会社を手放す。
時を読み、誰に託すかが重要だった

譲渡企業

株式会社プリンセススクゥエアー

前社長から“預かった”会社と社員を守りながら、外的要因に左右されやすい不動産業界の荒波を乗り越え、着実に成長を果たしてきた株式会社プリンセススクゥエアー。圧倒的なリーダーシップを発揮しながら会社を引っ張ってきた出口博俊社長は、なぜ愛着ある会社に対して、M&Aによる譲渡を考えるようになったのか。決断に至るまでの経緯をうかがった。

“上に立つ”ということは、“背負う”ということ

まずは、株式会社プリンセススクゥエアーの沿革、および出口様が社長になるまでの経緯からお話しいただけますでしょうか。
出口

平成2年に某宝石会社の専務が、とある不動産を購入したのですが、大きな額の仲介手数料が不動産会社に入るのを見て、“不動産事業を始めよう”と考えて設立したのが、このプリンセススクゥエアーという会社です。当時、専務の不動産仲介を担当した不動産会社の担当者が、仲間を引き連れてプリンセススクゥエアーに参画。設立時に不動産が右肩下がりで赤字が続いたため、他の営業マンを入れようということで、当時、別の不動産会社に勤務していた私に声がかかりました。平成4年、28歳のときでしたね。私も部下を3人引き連れて入社したので、プリンセススクゥエアーの社員数は7人になりました。

何を求めてプリンセススクゥエアーに入社したのでしょう。
出口 博俊 様
出口

まず宝石会社の子会社であるということで安定性を見込んだのと、一緒に入社する部下の給料を保障すると約束してくれたことに社長の男気を感じたためです。平成4年当時は不動産が全く売れない時代だったため、前に勤めていた会社では、宅地建物取引士の資格を保持していた私以外のメンバーは給料が軒並み下がっていったという経緯がありました。

ところが入社してしばらく経ってから、プリンセススクゥエアーに累積赤字が3000万円もあることが発覚。親会社に支えられながら、やっと維持ができている状態にあることを知りました。私としては、部下を連れて乗りかかった船ですから、この会社を立て直したいと申し出ます。1年の間に必ず黒字化すると宣言して、事業の改革に乗り出します。そこで取り組んだのが、専任返しという手法です。買主はいないけれども、売却物件はたくさんある時代だったので、まずは社員全員になかなか見つからない買主を探すのを辞めさせて、売り物件を掴むことを優先させました。そして銀行に交渉して、売主の抵当権を外してもらい、任意売却に応じてもらえれば売れる状態になります。それを業者に卸して仲介手数料を得るのですが、この手法が見事に当たって、2年目から黒字化に成功。その勢いに乗って2つの支店を出し、私は役員に昇格しました。

そのアイデアはどこから生まれたのでしょう。
出口 博俊 様
出口

売主と媒介契約を交わし、物件の販売窓口となる“物元”にまわると、それが売れなければお金にならないので、あまり儲からないイメージがあります。よって、客付けにまわる人が多くなります。しかし不動産に人が集まってくるので、不動産を掴んでおけば自然にお客さんも集まってくるはずだと考えました。私たちが銀行に交渉して、売れなくて困っている売主の問題を解決してあげることで手数料をいただくという、Win-Winのビジネスモデルが当たったという感覚でした。

もちろん、売物件の確保は必死に取り組みました。当時は、オートロックがないマンションが多かったので、「マンション売りませんか」と飛び込み営業を掛けていきましたね。そういった意味では、他の不動産会社ではやりたくてもなかなか出来ない泥臭い手法だったのではないでしょうか。当時は銀行が潰れるような時代だったので、“学歴はなくても這い上がってやる”というガッツのある人間が私たちの会社に集まっていました。今の時代では成立しないやり方ですね。

そして、平成8年に私は社長の義理の妹と結婚し、常務に就任。会社規模も30人ほどになり、社長は宝石に関することしか分からないので、私が実質、不動産部門の責任者となっていました。しかし、平成10年に社長が大きな負債を抱えてしまい、再スタートを切るために不動産部門を切り離すことになりました。必然的に、私が社長となって引き取ることになったのですが、その時に会社の口座に残っていたお金は驚くほど少なく、1カ月でも数字が上がらなかったら倒産するような状況にありました。愕然としましたが、何とかするしかありません。そこで腹をくくりました。

入社時に発覚した負債の件もそうですが、出口さんは創業者ではないのに、いわば意図せず引き継がれた大きな困難に直面しても、まったく逃げることもなく、真っ向から苦境に立ち向かいますが、それはなぜですか?
出口 博俊 様
出口

父の影響が大きいかもしれません。父は、ある会社の設立メンバーの1人で、営業本部長として、500人規模の会社にまで育てあげた人間です。社員のために会社を守っている父の背中を見て育ったので、“上に立つ=背負う”ことだと考えていました。誰が会社を成長させるかといったら、その“上に立つ”者しかいません。上に立つ者は、逃げてはならないのです。

私は自分で創業していないので、この会社に対してずっと“預かりもの”のような感覚がありました。社長になるように言われて、逃げられずに引き受けたので、どこか“社長を演じている”という感覚もありました。父は「会社は、オーナー自身の考え方がおかしくなると側近は誰も止める事が出来ない。いくら役職員が一所懸命にやっても、所詮オーナーの一存で会社はどうにでもなる。オーナーにならなければ会社の行く末まで口出すことすらできない。」と嘆いていました。それを自分の会社の役職員たちには言わせたくないと思いました。自分の人生の半分ほどをこの会社に捧げてくれている役職員たちに後悔をさせたくない、それが社長の役目だと、そう思っていましたね。

その危機は、どのようにして乗り越えたのでしょうか。
出口 博俊 様
出口

これと言って、特別な対策を打ったわけでもなく、今となっては“自然に乗り越えていた”という表現でしか言いようがありません。もちろん、自分だけの力ではどうにもなりませんでしたし、社員の頑張りもありました。絶体絶命という場面に何度も遭遇しましたが、なんとか乗り越えてきました。何に守られているのか、その理由は説明できませんが、運が良かったとしか言えませんね。

もし私が会社を私物化していたら、社員たちはついてこなかったとは思います。“この人であればついていける”と思われるような社長であるべきだというのは、ずっと思い続けていました。上手くいっているときほど落とし穴があります。会社が上場するチャンスもありましたが、IRで嘘をつきたくないので見送ったこともあります。また、私たちの事業は銀行が融資をしてくれなくなったら終わるので、赤字にさせないためにも無理な投資をしないと心がけてきました。手堅く、コツコツと地盤を固めてきたことで、何度か訪れた危機を乗り越える体力がついたのでしょう。

社員が納得する大義名分が必要

出口さんが社長としてしっかりとした組織を作り、成長させてきた会社です。どのようなきっかけからM&Aを意識するようになったのでしょう。
出口 博俊 様
出口

当初は、成長戦略の中で不動産関係の会社を譲り受けるつもりでいました。不動産を保有している会社を譲り受けるということは、すなわち不動産を買うことと同義なので、手を広げて新しいことを始めようとしていたわけではありません。今から3年ほど前のことだったかと思いますが、当時、M&A仲介会社からのダイレクトメールがたくさん届くようになっていて、“どのような会社を譲り受けれるのだろうか?”と興味を持って、特に意識もせずに連絡した会社が、M&Aキャピタルパートナーズでした。

M&Aキャピタルパートナーズの竹内さんとお会いして、譲り受けで紹介していただいた会社とトップ面談まで進んだのですが、ちょうど「かぼちゃの馬車事件」が起きた頃だったので、開発をやっている会社は銀行融資が厳しくなる市況もあって苦戦するだろうと考えてM&Aを断念。実際に会社を譲り受けるとなると自分が兼任するわけにもいかず、“誰が社長になるのか”を具体的に考え始めたのですが、経営を経験している社員がいないので、会社を譲り受けるのは現実的ではないと考えるようになりました。

譲り受けるのではなく、譲渡へと意識が傾き始めたきっかけは、自分の父が脳梗塞で高次機能障害になってしまったことです。“もし自分もそうなったときに会社をどうしよう?”と急に不安になりました。そこで税理士や弁護士などを集めて事業承継チームを作り、スキームを考えてもらうことにしました。そこでもし私に何か不測の事態が起きた際には、息子を理事にいれて、家族信託をしようと考えたのですね。息子に会社の任命権を持たせて、役員2人を同意者に設定し、その役員が同意をしなければ社長になれないという家族信託契約を結び、遺言も作成しましたが、そこまで対策をしたところで、“息子に社員を全員背負わせられるのか?”と不安になりました。そこで一度、“自分の会社の価値を調べてみてもいいのではないか?”と考えるようになりました。

我々の会社は、システム化されておらず、営業マン一人ひとりに数字が付くという属人的な仕事をしています。役員たちの年齢層も高く、会社のブレークイーブンの半分以上が家賃収入でまかなえて安定していたので、無理にM&Aをする必要はないとも思ったのですが、竹内さんと話しているうちに、“自社に興味を示すところはどれほどあるのか?”と考えるようになっていました。

企業価値評価・相手候補先の紹介を受けて、どのような気持ちの変化があったのでしょうか。
出口

ちょうどグループの借入が100億円を超えてきたタイミングでした。長期で融資を受けるにも、私の年齢が60歳に近づいたこともあり、事業承継についての方針を決めておかなければ、銀行も積極的に融資をしてくれないだろうと思っていました。そして個人保証を外すにも、後継者が決まっていなければ連続性がないと言われるようになってきていたのも確かです。また、息子が昨年、社会人になったのですが、ちょうど息子が産まれた平成10年に私はこの会社を預かっていました。その息子が社会人になって家を出たタイミングで私も、“預かりものを手放す時が来た”と感じたのです。そこから大きく、気持ちが動いていきました。

 

竹内さんは、出口社長のご要望に合わせながら、柔軟に提案をされていったのですね。
弊社・竹内
竹内

そうですね。最初にお会いしたときから「上場する予定はない」と聞いており、会社規模が大きいため、ご子息や役員陣が会社を背負うにはハードルが高いと感じておりました。税理士・弁護士助言を受けてホールディングス化や家族信託等の形式的な承継対策は進めているものの、本質的な事業承継の課題は解決されていないと感じながらも、最初は“会社を譲り受けたい”というご希望だったので、それに沿ったご提案をしていました。2年半ほどお付き合いする中で、何度か株価評価もさせていただいておりましたが、譲渡に対する興味が高まってきたタイミングで、提案の方向を変えさせていただきました。もちろん、私たちは社長のご意向に沿った提案をすべきですし、ご選択いただくのはあくまで出口社長なので、判断のしやすい情報をご提供するよう心がけていました。

M&Aによる譲渡を意識するようになって、どのような会社に託したいと考えるようになったのでしょうか。
弊社・竹内、 出口 博俊 様
出口

我々の仕事は非常に属人的なので、まったくの異業種では相乗効果が見込めず、とはいえ、同業であってもやはり業務領域が被らないという点が、双方にとって相乗効果があるし、大義名分があると思いました。要するに、社員に対して説明がしやすいということですね。また、役員は株を少数持っているので、会社を譲渡しても役員たちにも退職金に相当するお金が入ります。今まで上場はしませんでしたが、もしかしたら上場時と同じくらいの株主としての経済的なメリットも受けながら、上場会社グループに入ることでの会社の信用度も上がるかもしれないので、それだったら役員たちも喜ぶだろうと思いました。こういった条件が揃えば、社員たちにも「会社が前に進むためのM&A」だと胸を張って説明できます。
こだわりを離すことで楽になることもあります。

実際に成約して、今、どのように感じていますか。
出口

私は成約後、しばらくは役員として会社に残るという約束だったので、譲渡先であるトーセイ株式会社から来た人たちと共に、代表取締役として引き続き経営に参画しています。また、譲渡の決断に至るまでには、社員に対する思いもあるし、今までやってきたオーナーの立場を手放す寂しさもありました。やはりこだわりを手放すのは非常に難しいですね。決断に至るまでの段階で、一番悩んだのがその点でした。しかし、さっきも言ったように結局は“預かりもの”という意識があったので、それを返す時だと思い決断したところはあります。

映画「フットルース」のセリフに「すべてのわざには時がある」という言葉があり、それがずっと私の頭に残っていました。なので自分が“この時だ”と思ったのなら、それを決行すべきだと、そう考えたのですね。過ぎ去った売却の決断を後悔しても仕方ないので、M&Aを行ったことでお互いの相乗効果を生み出すために、今、自分ができることを全力でやろうと考えています。もしも、私の考え方が新しい会社の方針と違っているなら、そこは潔く、他の人を社長に立ててもらって構わないという気持ちでいます。

今回のM&Aの一連の流れの中で、M&Aキャピタルパートナーズは、どのようにお役立ちできたでしょうか。
出口 博俊 様
出口

取引銀行には、「そんなに早く決断してもいいのか。もっと高く売れるのではないか、不動産を売却する時と同様に複数社に声をかけてセカンドオピニオンをとるべきだ」とアドバイスをされました。しかし個人保証を外す方向の売買なので、銀行には相談できなかったし、自分の中では金額も重要だが、それよりも、譲り渡す相手が真面目で、そして自分たちと企業文化が合うかどうかがとても重要だと考えていました。一連の出来事が吉と出るか、凶と出るかは分かりませんが、そこで悔いるか、それとも良しとするかによって人生は大きく変わります。私は人生の節目で常にそう感じてきました。今回のM&Aの決断も神様が与えてくれたのだと思っています。

人生においては、何かを捨てなければならないときがあります。こだわりを離すことで楽になることもある。これから会社はどんどん良くなっていくと思っています。どんな会社であっても、変化しなければ生き残ってはいけません。変化を嫌うのも厄介なこだわりのひとつ。会社に対して執拗にこだわってなんていたら、誰にとっても良いことなんて何ひとつありませんよ。私ができることと、トーセイグループの中に入ってできることは違うので、その中で、それぞれの役割を演じながら次の人生を歩んでいくつもりです。今までの“当たり前”を捨てていくことが必要ですね。

M&Aキャピタルパートナーズへの評価という意味では、セカンドオピニオンで他の会社に相談しなかったというのが、一番の評価の表れではないでしょうか。それまで2年間かけてやり取りをした過程があったので、いざ会社を譲渡すると決断したときも、他社でまた企業価値評価の算定をしてもらおうとはまったく考えませんでした。金額よりも一緒になった会社とのシナジーや、竹内さんとの信頼関係のほうがよっぽど重要だと感じていました。

ありがとうございます。最後に、これからM&Aを検討する経営者の方々にメッセージをお願いします。
出口

オーナー社長といえども、個人保証をつけて融資を受けていれば、会社にあるすべてのものが、言うなれば“借りているもの”で、自分のものなどひとつもありません。だから、ひとつ間違えるだけで全て持っていかれる可能性だってあります。そこまで自分の人生をかけてきた会社に対する愛着というのは、オーナー社長でなければ分かりません。それを手放すというのは、とても辛いし寂しいことです。だからこそ、しっかりタイミングを読んで決断することがとても重要です。

 

弊社・竹内、 出口 博俊 様

(左から)弊社・竹内、 出口 博俊 様

文:伊藤 秋廣   写真:伊藤 元章  取材日:2022/3/25

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