それぞれの選択 #120 造園工事×株式譲渡

「一歩踏み出さなければ巡り会えなかった」
M&Aで掴んだパートナーとの出会い

2012年の創業以来、公園や街路樹の緑地管理ならびに特殊剪定・伐採を主軸事業としてきた吉村造園株式会社。樹木の性質を熟知した専門性の高い技術力で、多くの緑豊かな景観づくりに貢献してきた。2025年、同社は株式会社ユニバーサル園芸社へ株式譲渡によるM&Aを行った。その経緯と今後の展望を、吉村造園株式会社 代表取締役 吉村 哲詞 様、株式会社ユニバーサル園芸社 代表取締役社長 安部 豪 様に伺った。

  • 譲渡企業

    会社名
    吉村造園株式会社
    所在地
    埼玉県鴻巣市
    設立
    2012年
    事業内容
    造園工事、緑地管理
    資本金
    800万円
    M&Aの検討理由
    企業の更なる成長・発展のため
  • 譲受企業

    会社名
    株式会社ユニバーサル園芸社
    所在地
    大阪府茨木市
    設立
    1974年
    事業内容
    レンタルグリーン(貸し植木)事業、レンタルアートフラワー事業(室内壁面装飾、造花アレンジメント)、外構植栽・屋上緑化・壁面緑化事業、造園事業など
    資本金
    1億7,200万円
    M&Aの検討理由
    造園事業の領域拡大のため

誠実さと柔軟性で信頼を構築し、一歩ずつ成長を遂げた造園事業

まずは創業の経緯と事業についてお聞かせいただけますでしょうか。

吉村
吉村造園株式会社 代表取締役 吉村 哲詞 様(以下、吉村)

私の父が吉村造園を創業したのは約50年前のことです。当時、植木ブームだった時代背景もあり、脱サラして一人で事業を始めました。そのような環境で育ったため、私自身も幼い頃から植木に囲まれ、自然と馴染みがありました。父は仕事と趣味を両立させ、冬場はスキーのインストラクターを務めるなど、自由なスタイルで仕事をしていました。他の家庭とは異なる生活でしたが、それが我が家の日常であり、父の自由な生き方には肯定的な印象を持っていました。私自身も中学生の頃に、「もっとスキーに挑戦したい」と両親に頼み込み、実家を離れて長野県で競技スキーに打ち込むほどでした。高校卒業後は家業を手伝いつつ、冬はスキーをするという生活が、現在の仕事に関わる最初のきっかけとなりました。

しかし、事業に深く関わり始めた頃には、バブル経済が崩壊し、植木業界も下火になっていました。父が手がけていた植木の生産販売も年々厳しくなり、私が20代の頃には、「このままでは事業の継続は難しい」と仕事の先行きに不安を感じていました。それでも、その傍らでスキー選手として大会に出場するために、冬はスキー場にこもりきりの生活を送りながら、何とか日々を過ごしていました。

転機が訪れたのは30歳のときです。スキー選手としての活動に区切りをつけ、家業に本格的に取り組むことにしました。改めて事業の状況を見直すと、存続の難しさを感じましたが、同時に「本気でスキーに取り組んでいた分、仕事には本気で向き合えていなかったのではないか」と思い至り、一度自分の力でやれるところまでやってみようと決意を新たにしました。それまで造園の世界を狭い範囲でしか経験していなかったため、「より広い世界を見てみたい、広い世界で仕事がしたい」という思いも募ったのです。一人では限界があると感じたため人を雇い入れ、公共の仕事なども受注できるような体制を整えることを目指し、「吉村造園株式会社」として新たなスタートを切りました。それは、私が32歳のときでした。

事業は順調に推移し、拡大していったのでしょうか。

吉村

法人化当初は、個人のお客様のお庭の手入れが中心で、近隣の仕事がほとんどでした。販売用の植木を生産し市場へ卸す仕事もしていましたが、事業の広がりにはなかなか繋がりませんでした。組織として新たな顧客開拓が急務でしたが、経験も営業力も十分ではありません。そこで一度、ある大手造園会社で勉強させていただく機会を得て、資格を取得し、経営についても学びました。最初の数年間はとにかく必死で、休みなく働いていた記憶があります。

また、当時は下請けとして仕事をいただくことが大半で、元請けの意向に従わざるを得ない状況も少なくありませんでした。しかし、それでは会社としての成長は望めません。そこで、オファーがあれば多少無理をしてでもお受けし、少しずつ取引先を増やしていきました。特に意識したのは、「他社が敬遠しがちな仕事であっても誠実に取り組むこと」です。お客様に喜んでいただくため、常に柔軟な対応を心がけ、徹底してきました。そうした姿勢が徐々に評価され、人づてに仕事を紹介していただく機会も増えました。造園業界は意外と狭く、同業他社の仕事ぶりはよく見られています。元請けがどのような下請けを使っているか、という情報は詳しい方には自然と伝わるものです。厳しい状況下でも、自分たちにできる仕事を懸命にこなし、着実に結果を出していく。その積み重ねが信頼獲得に繋がったのだと確信しています。

その結果、徐々に人員も増え、会社の規模も拡大し、公共事業の入札にも参加できるようになりました。そこに至るまでには5、6年を要しましたが、公共事業に関われるようになると、元請け会社との交渉もある程度できるようになりました。これが、会社として自立していく上で大きなターニングポイントだったと感じています。

「一度話を聞いてみよう」5年、10年先を見据えた選択肢として踏み出したM&A

どのようなきっかけからM&Aを意識されるようになったのでしょうか。

吉村
吉村

M&Aを直接的に意識したというよりは、「ここまで育ててきた会社をどうしていくべきか」という思いが常にありました。吉村造園は若い社員が多く、未経験から入社して一生懸命頑張ってくれている従業員ばかり。彼らの将来を考えると、社長である私が年齢を重ねる中で、いつまでも全員の面倒を見続けられるわけではないという現実がありました。
事業承継に関しては、子どもには継がせず、能力のある適任者が会社を率いるべきだと考えていました。同族経営の難しさも見てきましたし、私が70歳まで社長を続けるのも現実的ではありません。加えて、60歳まで今のペースで仕事を続けたいかというと、そうではないという感覚もありました。会社を立ち上げてからの5年間は、経営者としてだけでなくプレイヤーとしても現場業務のすべてに関わっていました。仕事はもちろん好きなのですが、結婚した時期とも重なり、精神的にも肉体的にも本当に厳しかったのです。「このペースでは長く続けられない」「何のために働いているのか」と自問自答しながら、将来的には少し肩の荷を下ろしたいという気持ちがずっとありました。どこかのタイミングで誰かに事業を譲る必要性を感じていましたが、社員の中から社長を選び任せるというのは、そう簡単なことではありません。こうした背景から、M&Aが将来的な選択肢の一つとして浮かび上がってきたのです。

漠然とした不安を抱えつつも、どのように一歩を踏み出されたのでしょうか。

吉村

正直なところ、すぐM&Aを実行する気はありませんでしたが、5年先、10年先を見据えた選択肢としては十分にあり得ると考えていました。数年前から多くのM&A仲介会社からお話をいただいていたので、「これだけ話が来るのなら、どのようなものか体験してみるのも良いのではないか」「現状を変えるには動いてみなければ何も始まらない」と考え始めたのが1、2年前の44歳の頃です。本格検討は50歳過ぎからと思っていましたが、50歳で引退したい気持ちもあったので、「このタイミングで話を聞くのは面白いかもしれない」と思いました。ただ、実際に売れるのか、価値があるのかは未知数で、「まずは一度話を聞いてみよう」というのがスタートです。

M&Aキャピタルパートナーズの社名は有名でしたので、いただいたお手紙に対し、「一度お話を聞かせてもらえますか」と連絡をしたのが、最初の接点です。M&Aキャピタルパートナーズの担当である山口さんとはフィーリングが合い、良いタイミングでお会いできたと感じています。

山口さんの第一印象を詳しく教えてください。

吉村

お話の内容がきちんとしていて、プロフェッショナルで頼もしい印象でした。想像より軽快な方で、勢いのある会社という雰囲気も感じました。スポーツをされていたとお聞きした通り、体格もしっかりされていましたね。私も長年スポーツに打ち込んできたので、そういった点にも親近感を覚えたのかもしれません。

M&Aの世界の広さと新たな視界が今後の事業運営のプラスに

ここからは担当アドバイザーの山口さんにも加わっていただきお話を伺います。吉村様の第一印象をお聞かせください。

山口
M&Aキャピタルパートナーズ株式会社 主任 山口 周一(以下、山口)

「ストイックな方」という印象です。自転車で50〜60km走るなど、今でも従業員の方々に負けない技術と体力を維持するために鍛錬されていると伺い、感銘を受けました。「スポーツマンが経営者になった姿」を体現されており、その精神が会社全体に浸透しているからこそ、皆さん若くエネルギッシュに仕事をされている、というイメージを持っています。吉村造園は業界未経験者で構成されている非常にユニークな組織です。通常であれば経験者を採用したいと考えるのが一般的ですが、他社で採用されなかった未経験の方々を社長ご自身が育て上げています。他社で働くよりも高い給与水準を実現し、かつ離職率も非常に低いのは、社長の慧眼を感じました。

M&Aへのお気持ちがどのように変化していったのかお聞かせください。

吉村

山口さんから候補企業の情報をいただくと、「このような業種の会社も関心を示すのか」といった発見が多く、M&Aの世界の広さを実感しました。そこで、まずは勉強のつもりで、いくつかの企業と話をしてみたいという意欲が湧いたのです。ただし、その時点ではまだM&Aを実行する具体的な考えはなく、純粋に「知りたい」という気持ちが強かったです。トップ面談の機会があるなら、もしかすると冷やかしのようになってしまうとしても、お話を聞いてみたいという思いが勝りました。お相手が「どのような思いでM&Aを検討しているのか」「どのような思いでM&Aを成立させたいのか」を、直接聞かなければ分からないですから。自分がM&Aをするか否かよりも、相手の真意を知ることが、今後の事業運営にも必ずプラスになるという考えもありました。まだ費用も発生しない段階だったのも行動できた理由の一つです。

吉村様が可能性の一つとしてM&Aを検討されることを、どのようにお考えでしたか。

山口

M&Aは選択肢の一つに過ぎないため、「いつでも検討をやめていただいて構いません」という姿勢で接していました。単独で経営がうまくいっていて、吉村社長もお若いので、「ご自身で事業を続けられてはいかがですか」といった質問をさせていただいたほどです。ただ、吉村社長が50歳くらいで引退されたいお気持ちも伺っていましたので、進めてみるのも選択肢の一つだと思っていました。

我々の役割は、実際に候補企業と直接お会いになり、その熱意を肌で感じてもらうことです。“冷やかし”という表現がございましたが、そのような情報収集も歓迎です。我々は「このようなニーズがございます」と情報をお伝えするのですが、実際に貴社を「ほしい」と言ってくださる会社と直接お会いになることが何よりの情報収集になると考えているからです。その上で進めたいと思っていただけるのであれば、次のフェーズに進めば良いですし、そうではない場合は、またタイミングを見てお手伝いさせていただければと考えています。そして、吉村造園と吉村社長をご覧になれば、手を挙げる候補先が多数いらっしゃることは明らかでした。同業、異業種、ファンドと幅広くご検討いただき、最終的にフィーリングで「やるか、やらないか」をご判断いただければ良いというスタンスでサポートさせていただきました。

実際にプロセスを進める中でどのような発見がありましたか。

吉村

私の知らないところで、「このようにビジネスが動いているのだ」ということを強く感じました。M&Aを動かしている人たちがいて、さまざまなものを変えていく力を持っているのだと。畑違いの分野の話のようでも、実はどこかで繋がっていることが分かりました。例えば、ある会社がM&Aによって大きく成長し、表舞台に出ていくとうニュースを最近よく耳にしますが、そうしたダイナミックな動きの背景にある話を直接聞けるというのは、単純に「面白そうだな」「こんな貴重な話を聞かせてもらって良いのだろうか」という新鮮な感覚でした。さまざまな業種の方とお話できる貴重な機会を得て、体験させていただいたという感じです。

心を揺さぶり核心をついた77歳会長の言葉がM&Aを進める転機に

「本格的にM&Aを進めてみよう」と心が変わったきっかけはあったのでしょうか。

吉村 山口
吉村

お相手先からの非常に熱烈なオファーがきっかけです。特に、お相手先の会長(当時77歳)との出会いが大きな転機となりました。会長と直接お会いしてお話をする中で、私の考えていることや迷いのようなものまで、色々と見透かされたように感じたのです。初対面で、「もう(経営に)疲れたのか」と核心を突かれ、ドキッとしたのを今でも鮮明に覚えています。会長ご自身の「まだまだ現役でやる。このままでは終われない」というエネルギーに満ちあふれた気迫に触れ、この年齢で引退を考えていた自分が恥ずかしくなりました。「私の向くべき方向性は、違っていたのかもしれない」と強く実感し、M&Aを前向きに捉え、進めるようになりました。
お相手先の会長だけでなく社長も強い興味を示してくださり、これまで下請け仕事が多かった吉村造園が真正面から評価されることが率直に嬉しかったです。お話を聞けば聞くほど、理想の会社像に近いと感じ、「この人たちともう少し深く話をしてみたい」と思うようになりました。他の候補企業とも面談しましたが、最終的に「もし一緒にやるなら、この会社しかない」と感じ、M&Aに対する気持ちは大きく変わりました。

山口

吉村社長が会長に会われた後、「今日は会長に会えて本当に良かった。こういう感覚は初めてかもしれない」と高揚されていたのが印象的でした。お相手からのラブコールは本当に熱烈で、「吉村さんを仲間に迎え入れたい」という強いメッセージが私にもひしひしと伝わってきました。我々は仲介という立場ですので、特定の会社に肩入れすることはありませんが、土日問わずお相手の社長から連絡があり、その熱意は逐一、吉村社長にお伝えしていました。

吉村

お忙しい中、ここまで熱意を注いでくださることに心を打たれ、それが最終的な決断において非常に大きく影響しました。吉村造園は成長してきたものの、下請けの立場から抜け出せない構造がありました。そのため、「このM&Aでその壁をグッと越えられるのではないか」と期待したのです。お相手は、造園業界の尺度から見ればとてつもなく大きな企業です。「この選択は造園業界にも大きな刺激になる」とも思いました。話を聞けば聞くほど、良好な形で成功できる確信が強まり、「やるなら今だ。5年10年待つのは違う」という気持ちに変わりました。

成約するまでに大きな障壁はございませんでしたか。

山口

本当にありませんでした。まさに相思相愛で、お互いが尊重し合っていたため、スムーズに進行し、仲介としての私の介在価値があったのかと感じるほどでした。吉村社長からのご要望は、基本的に快く受け入れてくださっていましたし、大きな調整事項もなく、無事に調印の日を迎えることができたという印象です。本来であれば、利害が必ずしも一致しない部分が出てきて、お互いにストレスが溜まるフェーズがあるものですが、本件においてはそういったことがほとんどなかったように思います。

吉村

条件面も「そのままで結構です」と言っていただき、安心感と信頼感が大きかったです。「こちらの意向をこんなに尊重してくれることは、滅多にないですよ」と周囲に言われるくらい、非常に大切にしていただいていると感じました。従業員にも特に変化はなく、不安がる者はいませんでした。むしろ、以前お相手先の面接で不採用だった従業員が3名おり、彼らは「あのような大きな会社と一緒になるのか」と驚いていたようです。

山口

お相手の企業からの唯一と言える条件は、「吉村社長には絶対に辞めないでほしい」ということでしたね。

吉村

そうですね。途中で「これはもう辞められないな」と腹を括りました。会長からも、「そんな程度で満足するな」と厳しい言葉をいただき、奮起するきっかけになりました。そして「もう一度本気で頑張ってみよう」という気持ちに変わりました。

譲受企業が見出した確かな価値。最大の魅力は社長の“人柄”

ここからは、譲受企業である株式会社ユニバーサル園芸社 安部様にも参加いただきます。まずは事業についてご紹介いただけますか。

安部
ユニバーサル園芸社 代表取締役社長 安部 豪 様(以下、安部)

ユニバーサル園芸社は、創業者であり会長の森坂が、1968年に20歳で創業しました。創業の原点には、当社の経営理念にも通じる「人生二度なし」という強い思いがあります。観葉植物をオフィスや店舗の室内に設置するレンタルグリーン事業で取引を拡大し、大阪において確固たる経営の礎と市場での地位を確立しました。それが今日のユニバーサル園芸社の発展を支える揺るぎない土台となっています。バブル崩壊を機に東京へも進出し、確かな事業の足がかりを築きました。そして、このレンタルグリーン事業を軸としながら、お客様のお祝い事に合わせたギフトの提案のほか、オフィスの植栽や屋外の緑化管理など、派生的に事業領域を広げてまいりました。現在では、胡蝶蘭などを扱うギフト事業、生花事業、そして造園・植栽管理事業を展開しています。

M&Aに対する貴社のお考えを教えてください。

安部

ユニバーサル園芸社が2012年に上場したのは、自ら成長し続けなければならない環境に身を置くためでした。しかし、自社内だけの力による成長には限界があり、スピードも鈍化してしまいます。事業というのはどうしても時間がかかるものです。ここから売上1,000億円を目指していくためには、M&Aは欠かせない要素であり、上場企業の宿命のようなものだと考えています。

M&Aを行うことで、今まで見えていなかった世界が見えてくることもあります。それをどのように取りまとめていくかも大きな課題となっているので、吉村社長には、将来的には造園事業のグループ全体の運営にも携わっていただきたいという期待も持っています。

吉村造園に興味を持たれ、お話を進めようと思った理由を教えていただけますか。

安部

造園事業は国内市場規模が大きく、ユニバーサル園芸社のグリーン事業において極めて重要で成長余力の大きい分野です。その中で吉村造園を強く望んだ最大の理由は、吉村社長の“お人柄”です。M&A案件は、年齢を重ねられた経営者の方が後継者不在でご相談に来られるケースが多いのですが、吉村社長は40代と若く、経営や数字への理解も深い。戦略的思考と数字に基づいた経営判断ができ、アスリートの経験からくる精神力や目標達成能力にも期待しました。 変化の激しい時代で最終的に生き残るのは、現場で汗をかき、真摯に良い仕事を提供できる会社です。吉村造園はまさにそういった会社であり、会長も「彼はまだ若い、非常に将来が楽しみだ」と申しておりました。私も同感でご一緒できることを誇らしく思っています。

また、吉村造園の主要幹部の堀ノ江様との面談も大変印象的でした。M&A交渉で経営トップ以外にお会いするのは稀ですが、吉村社長は快く機会を設けてくださいました。堀ノ江様は、「これほどまでに吉村をワクワクさせるお話をしていただき、ありがとうございます。私たちだけでは、ここまで彼の気持ちを動かせなかったかもしれません」といった趣旨のことをお話しくださり、吉村社長への深い信頼と「社長を支えたい」という真摯な思いに感服しました。吉村社長のお人柄あってこその素晴らしいチームワークだと実感しました。吉村社長が社員の方々を非常に大切に思われ、自主性を重んじる経営をされているというお話は事前に伺っていましたが、改めてその素晴らしさを目の当たりにしました。

吉村

堀ノ江とは常に密にコミュニケーションを取り、M&Aについても率直に話し合っていたため、賛同を得られたことが非常に心強かったです。こうした社内の良好な関係性も、今回のM&Aがスムーズに進んだ大きな要因です。

限られた人生をともに頑張れるパートナーと新しい挑戦を

成約直後の率直なお気持ちや今後に向けた思いをお聞かせください。

吉村

成約で大きく変わった感覚はありません。やるべきことをしっかりやっていくことに変わりはなく、「新しい環境で新たな挑戦ができるのではないか」と楽しみです。

安部

無事に成約し、まずはホッとしましたが、ビジネスにゴールはなく、「ここからが新たなスタートだ」と身が引き締まる思いです。過去には、印鑑を押す寸前で「やはり、やめたい」とおっしゃるケースもありましたので、正直なところ、最後まで心配な部分はありました。ですから、無事に成約に至り、「まずは安心した」というのが率直な気持ちです。

今後の展開について、何か具体的なお考えはございますか。

安部

特段急いでは進めるつもりはありません。まずは現状の体制を尊重し、自主性を大切にしたいと考えています。しかし、私自身は常に進歩し続けたいので、吉村造園にとってもプラスとなる人材育成や情報共有の面でサポート体制を構築し、ともに成長していきたいです。早速、造園関連の新たな案件について吉村社長に相談し、関係先を一緒に訪問する動きも始まっています。

吉村

具体的なプランはこれからですが、培ってきた経験や技術を発揮できる場が増えるのは非常に楽しみです。グループの一員として新たな活動に参加できるのは刺激になり、自分にできることであれば積極的にチャレンジしたいと考えています。自分の世界が広がっていく感覚があり、非常に嬉しいです。

今回の取り組みにおけるM&Aキャピタルパートナーズの支援を、どのようにご評価いただいていますか。

吉村
吉村

山口さんには、客観的な立場から有益な情報を多角的に提供していただきました。何よりも、ユニバーサル園芸社の「温度感」、つまり私たちへの熱意を山口さんが的確に、そして熱心に伝えてくださったことが非常に大きく、感謝しています。私自身、M&Aの検討開始当初は成約まで至るとは思っていなかったので、山口さんの存在が、この素晴らしいご縁に繋がったのだと確信しています。山口さんにお願いして本当に良かったです。M&Aのプロセスには、私には計り知れないさまざまな制約や難しい調整事があるのだろうとお察しいたします。そのような中で、お相手企業の熱意をこちらにきちんと届けてくださったからこそ、今回の結果があると強く感じています。

安部

吉村様はM&Aを選択せずとも、問題なく事業継続できる状況でした。お元気で、業績も好調でしたし、何よりもまだお若いです。見送ることになっても不思議ではありませんでした。そうしたデリケートな状況を理解し、細心の注意を払って対応いただくよう山口さんにはお願いしていました。山口さんの素晴らしい点は距離感が常に適切だったことです。

M&A仲介会社の中には、熱心さのあまり、しつこく感じられてしまい逆効果になってしまう方や、逆にこちらが不安になるほどコンタクトがない方もいらっしゃいます。熱意を冷ますことなく、かつ吉村社長のお気持ちを最大限尊重しながら、絶妙な距離感で双方の調整を進めてくださいました。その調整力に大変感謝しています。

ありがとうございます。最後に、これからM&Aを検討する経営者の方々にメッセージをお願いします。

安部

M&Aの成否を分けるのは、結局のところ人だと考えています。最終的には「この人と一緒に、限られた人生をともに頑張れるか」という点が最も大切な判断基準になるのではないでしょうか。ご自身が心から共感できる相手、そして相手からも共感してもらえるような、価値観がマッチする会社を選ばれることが肝要です。

吉村

まず一歩踏み出してみることが大切だと感じています。もし途中で「違う」と感じれば、立ち止まったり、元の道に戻ったりすることもできます。必ずしも最後まで進み続ける必要はありません。ただ今回、一歩踏み出さなければ絶対に出会えなかった素晴らしい方々との出会いがありました。これが私にとって一番の収穫です。人との出会いは本当に貴重で、自分一人の力だけでは決して巡り会えないご縁もあります。M&Aは新たな出会いを通じて、これまで見えなかった新しい景色や可能性を見せてくれる、大きなチャンスを秘めていると感じました。

山口

お二方のお話はM&Aの本質を捉えていると強く感じます。今回の案件は、利害の対立やハレーションがまったくなく、本当にお互いが尊重し合い、まさに相思相愛で成約に至ったケースでした。双方の強い思いが結実したと感じていますし、両社のさらなるご成長が非常に楽しみです。

また、吉村造園の幹部の方が「うちの社長をよろしくお願いします」と頭を下げられた心温まる瞬間に立ち会えたことは、この仕事の大きな喜びであり、改めてこの仕事に携われて良かったと思えた出来事でした。こうした一つひとつの素晴らしい経験を含め、今回M&Aのお手伝いができたことを大変光栄に思います。

M&Aは企業対企業のマッチングですが、最終的には“人と人との繋がり”が極めて重要です。まずはM&A仲介会社から情報収集するのも有効ですが、私たちが提供できるのは整理した情報で、100%の熱意やニュアンスがそのまま伝わるとは限りません。M&Aは人生を賭けたご決断です。最終的にはご自身でしっかりとお相手とお話しいただき、ご自身の五感で判断することが最も重要で、後悔のない選択に繋がると信じています。その第一歩として、どうぞM&A仲介会社を情報収集のツールとしてご活用ください。初期費用をいただかず、ご支援させていただくのも、「直接会ってお話しいただき、フィーリングが合えば進めていただきたい」というスタンスだからです。我々が、経営者の皆様にとって最良のご縁を見つける一助となれば幸いです。この記事を通じて、そうした私たちの思いが一人でも多くの方に伝わればと願っております。


 

文:伊藤 秋廣  写真:小野 綾子 取材日:2025/5/8

担当者プロフィール

  • 企業情報部 主任 山口 周一

    企業情報部主任山口 周一

    新卒で日系生命保険会社へ入社。営業所長に任命され、法人様やオーナー様のライフプランサポートをはじめ、保険商品を通じて相続対策、税務対策、資産運用を中心に業務に従事。その後、多くの法人様が直面する事業承継問題の支援をしたいとの思いからM&Aキャピタルパートナーズに参画。

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