それぞれの選択 #122 ECコンサルティング×株式譲渡

城市 新谷
城市 新谷

M&Aを諦めかけた先に見つけた、
同じ熱量で夢を描けるパートナーとの出会い

「人生の楽しみ、魅力あるシーンの提供」を企業理念に掲げ、EC事業のコンサルティングから自社ブランド運営など、豊かなライフスタイルを提案してきた株式会社BY THE PARK。2024年、同社は株式会社プラザホールディングスへ株式譲渡を決断した。その決断に至った経緯と今後の展望について、株式会社BY THE PARK 城市 浩二 様、株式会社プラザクリエイト 新谷 隼人 様に伺った。

  • 譲渡企業

    会社名
    株式会社BY THE PARK
    所在地
    東京都渋谷区
    設立
    2016年
    資本金
    600万円
    事業内容
    ECコンサルティング
    M&Aの検討理由
    更なる成長発展のため
  • 譲受企業

    会社名
    株式会社プラザホールディングス
    所在地
    東京都中央区
    設立
    1988年
    資本金
    1億円
    事業内容
    写真・映像・通信に関する事業
    M&Aの検討理由
    サービス拡大のため

多様なブランドの成長を支援するECコンサルティング事業を確立

創業の経緯と事業についてお聞かせいただけますでしょうか。

城市
株式会社BY THE PARK 代表取締役 城市 浩二 様(以下、城市 )

BY THE PARKの原点は、前職での経験にさかのぼります。17年前、知人からアパレルブランドを始めるから一緒にやらないか?と声をかけてもらいアパレルブランドを立ち上げ、セレクトショップ向けに卸の仕事を行っていました。
しかし、店舗数が限られていることや近年はショップごとのオリジナル商品が主流のため、販売数が伸び悩んでいました。その状況を打破しようと考え尽くした結果、「自分たちで売り場を作ろう」という結論に至り、インターネットでの展開を構想したのが始まりです。その後、ZOZOの創業メンバーの一人だった方とのご縁から、黎明期の「ZOZOTOWN」に出店させていただいたことが転機となりました。
当時は、「インターネットで服を買う」ということ自体がまだ普及していませんでした。名だたるセレクトショップがノウハウもない中、手探りでインターネット展開を始めた時代だったのです。それを「一つのモールにしよう」と最初に提唱したのがZOZOで、「ZOZOに行けばすべてのセレクトショップの商品が見られる」という圧倒的な魅力がありました。「ZOZOに出店できれば一流とみなされ、必ず売れる」という時代だったのです。その時代の波に乗れたことが、事業の大きな成功要因だったと感じています。
私たちがZOZOに出店できた一方で、審査が厳しく出店できないブランドを持つ友人たちが多くいました。そうした友人たちのために、私たちのショップが彼らの商品を取り扱うようになり、「間接的にZOZOで販売できる」というルートがいつの間にか確立されていったのです。結果として、自分たちの商品を売るだけでなく、さまざまなブランドのEC運営に10年ほど携わることができ、この経験で得たノウハウは非常に大きな財産となりました。その後、40歳で独立しました。

さまざまな経験を積まれた後、独立されたとのことですが、そのきっかけを教えてください。

城市

前職は4人から始まった会社でしたが、最終的に50〜60人規模の組織になっていました。組織が大きくなるにつれて、さまざまなことに気を遣う場面が増え、「本来自分たちがやりたかったことにフォーカスしにくくなっている」と感じるようになったのです。「自分の夢に向かってもっと自由に挑戦したい」という思いが強くなり、退職して独立する道を選びました。独立した当初、具体的な事業計画があったわけではありませんでした。
しかし、ありがたいことに、私のEC運営経験をご存知の方々から「ぜひ運営を手伝ってほしい」と次々にお声がけいただき、それが自然とコンサルティング事業の始まりとなったのです。
私の根底にあるのは、「人生は一度きりなのだから楽しく生きたい」という思いです。そこから派生して「多くの方の人生に、楽しみや喜びを創造できる場を提供したい」と強く願っています。また、私自身は何かをゼロから生み出すより、裏側からサポートする方が得意だと感じています。「人からの依頼を断れない」という性格も手伝ってか、「城市のところに行けば何とかしてくれる」という評判が広まり、増え続けるオファーに応えるために社員を増やしていきました。次第に仕事も増え、事業が拡大していき、ECコンサルティングで事業基盤を築きました。ある程度の蓄えができ、ここ1、2年ほどで、「洋服を通じた遊びの楽しさ」を伝えていくために、自分の好きなアパレルブランドの日本代理店業務を始めるなど、次のステップに進むことができました。

「半年で成果を出します」。圧倒的な熱意と実行力が警戒心を信頼へと変えた

事業を順調に拡大されている中で、なぜM&Aという選択肢が生まれたのでしょうか。

城市
城市

きっかけは大きく2つあります。1つは事業の夢が広がったとき、自己資金だけでは限界があると感じたことです。ECやアパレル事業の次のステップとして、人が集まって情報発信ができるカフェのような“フィールド”も作りたいと考え始めましたが、それを実現するリソースがありませんでした。
もう1つは、私自身の人生設計です。40代後半になり、「55歳でビジネスの第一線から引退したい」という目標から自分のキャリアを逆算して考えるようになりました。50歳までに何をやっておけばいいかを考えた際、「今のペースでは自分が理想としている場所に到底たどり着けない」と気づいたのです。そこで、他社の力を借りて成長を加速させる必要性を痛感し、その具体的な手段としてM&Aが選択肢に挙がりました。会社の最終的な形として「たたむか、継承するか、売るか」を考えたとき、たたむという選択肢は、従業員や取引先への責任を考えると現実的ではありませんでした。従業員を路頭に迷わせるわけにはいきません。また、目まぐるしく変わっていく時代の流れの中で、私たちのインターネットコンサルティングという事業は、後世に継承していくイメージも持てませんでした。
そして何より、従業員の将来を考えてのことでした。創業時から一緒にやってきた仲間たちが年齢を重ねていく中で、現場のプレイヤーから管理者へとキャリアアップしていくには、より大きな組織と資金が必要不可欠です。自己資金だけで運営する不安定な会社ではなく、「従業員が安心して長く働ける、より安定した会社にバトンタッチしたい」という思いが、M&Aを考える大きな動機となりました。

加えて、自分自身の限界も感じていました。今のままでは、いずれ会社の成長も頭打ちになる。それは従業員の未来を閉ざすことにも繋がります。会社と従業員がともに次のステップへ進むには、資金や情報など私が持っていない力を持つ方々と一緒になることが必要だと考えたのです。

とはいえ、当初からM&Aに積極的だったわけではありません。税理士の紹介で他のM&A仲介会社と2社ほどお話はしていましたが、「良い会社があれば」というくらいのスタンスで、特に焦ってはいませんでした。M&Aキャピタルパートナーズとの出会いは、自宅に一通の手紙が届いたのがきっかけです。たくさんのM&Aに関するダイレクトメールが会社にはよく届いていましたが、家に届いたのが初めてでしたし、テレビCMやニュースなどで有名な会社だったので、「興味本位で自分から電話をかけてみた」というのが正直なところです。

興味本位から、最終的に信頼し、任せようと思われた決め手を教えてください。

城市

正直に言うと、私はアパレル業界に長くいた人間なので、「スーツをビシッと着こなした、いかにも頭が良くて仕事ができます」という雰囲気の人たちに騙されたくない、という警戒心はありました。だからこそ、M&Aキャピタルパートナーズの田中さんに会ったとき、「契約は半年でいいです。1年かかるのは嫌です」と、はっきり伝えたのです。でも田中さんは、「分かりました。半年で成果を出します」と力強く返してくれて。
そこからが本当にすごかった。これまでのM&A仲介会社とは比べ物にならない、しっかりと精査された提案を、驚くほど迅速に持ってきてくれました。その圧倒的な熱意と実行力を目の当たりにし、「この人たちなら信頼できるかもしれない」と直感しました。そして本格的に話を進めることにしたのです。そして、私の会社を“売る”という視点ではなく、深く“理解”しようとしてくれたのも大きかったのかもしれません。「この会社には何が合うのか、何がベストなのか」という点を真剣に考えてくれた。だから、「一度この人に任せてみようかな」と思えたのです。他のM&A仲介会社の方ともお会いしていましたが、本格的に進めようという気持ちには至りませんでしたから。

「もう、やめましょう」。理想の未来を描けず一度は白紙に戻したM&A

ここからは担当アドバイザーの田中さん、角田さんにも加わっていただきお話を伺います。城市様の第一印象をお聞かせください。

田中
M&Aキャピタルパートナーズ株式会社 企業情報部 主任 田中 裕基(以下、田中)

「非常に誠実な方」だと感じました。M&Aの面談では、自社の魅力を最大限に伝えようとされるのが一般的ですが、城市社長はそうした飾る部分が一切なく、ありのままをお話しくださったのが印象的でした。例えば、「うちの従業員数は少ないです」といった会社の課題から、「他のM&A仲介会社とも話を進めていましたが、少し停滞している状況です」といったデリケートな情報まで、包み隠さず、ありのままにお話しくださったのです。その裏表のないお人柄に、強く信頼できる方だと感じました。

我々の進め方は、他のM&A仲介会社とは少し違うかもしれません。まず、無理にM&Aを進めるようなことはしません。城市社長がご自身のタイミングで「任せてみよう」と思っていただけるまで、定期的にご連絡を差し上げる形をとっていました。半年ほど、月に2回程度お電話などで状況を伺い、本格的にご検討いただくタイミングを待っていました。そして「一歩、前に進めてみようか」というお言葉をいただいてから、一気に熱を入れてご支援させていただいた、という経緯です。城市社長と同じくらい会社を理解して今後のビジョンや城市社長の思いを共有すること、そして、社長と会社を好きになる。私が最も大切にし、力を入れたのはその点です。

角田
M&Aキャピタルパートナーズ株式会社 企業情報部 部長 角田 貴洋(以下、角田)

お話を伺い、ニーズがあることを確認してから、田中を中心に支援を行っていきました。本格的に動き出してからの半年間で、彼の突破力によって多数の候補先を提案できたことが、城市社長の意識を変えるきっかけになったのだと思います。私の役割は、彼が切り込んだ後の地固めをすることです。結果として、城市社長にとって「最良の選択肢」となるお相手を見つけ出すことができたというわけです。

お相手候補となる企業とのトップ面談は、どのように進められたのでしょうか?

城市

それが、たくさんの数のトップ面談を、田中さんがセッティングしてくれたのです。最初は普通だと思っていたのですが、後から聞くと普通ではなかったようですね。ただ、嫌な気持ちはまったくありませんでした。「忙しいな」とは思いましたが、せっかく自分が育てた会社ですから、多くの選択肢を見るのは当然だと。さまざまな会社の経営者とお話しする中で、次第に楽しくなっていったのも事実です。

多くの経営者と面談される中で、M&Aに対するお気持ちはどのように変化していきましたか。

城市

実は、十数社とお会いした時点で「もうやめましょう」と田中さんにお伝えし、私の中でM&Aの検討は完全に終わったことにしていました。「MACPは一生懸命やってくれたが、私がいいと思える会社は見つからなかった。M&Aとはこういうものか」と諦め、「私には合っていない。違う選択肢を探そう」と決めたのです。なぜなら、どの会社の方とお会いしても、自社の成長の未来や理想の姿に近づけるイメージがわきませんでした。M&Aはあくまでも理想にたどり着くための手段の一つですから、その道筋が見えない以上、「私にとってこの選択肢はあり得ない」と思ったのです。

田中

たくさんのお相手をご紹介する中で、最終的には事業シナジーよりも、城市社長の“想い”に共感できる企業でなければ意味がないと気づきました。それまでは、社長にさまざまな選択肢をご覧いただくという軸でご紹介していましたが、最後に「この会社こそ、社長と同じ想いを持ち、目指している方向性が一緒です」と、ご紹介させていただいたのが、今回のお相手先です。

角田

田中はいい意味で、本当に諦めが悪いのです。城市社長もお忙しい中、「もういい」というお顔をされていたと思います。その状況でも諦めず、「最後にこの1社だけお願いします。この会社とだけは会ってください」と面談を強くお願いしました。彼の押しの強さが結果として城市様にとって最良の提案となり、今回のご縁に繋がったのだと思います。

未来をともに創れると確信した、ビジョンが重なるパートナーとの出会い

ここからは、譲受企業である株式会社プラザクリエイトの 新谷様にも参加いただきます。
まずは事業についてご紹介いただけますか。

新谷
株式会社プラザクリエイト 代表取締役 新谷 隼人 様(以下、新谷)

現在、全体で約200億円弱の規模となるプラザクリエイトですが、その原点は、創業者である大島が始めた写真プリントショップにあります。フランチャイズモデルでピーク時には1,200店舗まで拡大しましたが、デジタル化とともに写真プリント需要は減少。その後、モバイル事業を新たな主力事業として成長させてきました。3年前に私が社長に就任してからは“第二創業期”と位置づけ、変化に対応しながら新規事業の創造に挑戦しています。

時代の変化に合わせて事業ポートフォリオを変えてこられたのですね。
M&Aを検討されるようになった背景をお聞かせください。

新谷

M&Aが有力な選択肢の一つであった背景には、2年ほど前から始めたアパレル事業の課題があります。モノ作りは自社でできても、それを販売するためのノウハウが欠けていたのです。その販売力を、人材採用で強化するのか、あるいはM&Aでグループに迎えるのか、両方を並行して検討していました。

今回のお相手としてBY THE PARKとお話を進めようと思った決め手を教えてください。

新谷

決め手は大きく3つありました。まず、我々がアパレル事業に挑戦する上で不可欠な販売ノウハウと販売先をお持ちだったこと。次に、黒字経営を続ける経営手腕への信頼感です。そして、城市社長ご自身のお人柄です。「すぐにでも売りたい」という前のめりな姿勢が一切なく、非常に慎重なそのお人柄が資料から伝わる堅実な経営姿勢と完全に一致していることに強く惹かれたのです。
さらに我々の心を掴んだのは、その先にあった大きな可能性です。我々は写真事業で培ったオンデマンド生産技術をアパレルに応用し、業界の大量生産・大量廃棄という課題を解決したいと考えていました。我々に欠けていた売り方と売り先、その両方を持つBY THE PARKと組むことで、その構想が初めて現実のものとなる。ビジョンを共有し、「一緒に大きくなりたい」と心から思える、理想的なお相手だったのです。

城市
城市

多くの他社との面談では、「我々と組んで何ができますか」という話が中心でした。それに対して新谷社長は、ご自身の夢やこれからのことについて、ほとんどの時間を使って語ってくださり、その中で「みんなの広場づくりをしよう」という言葉が出てきたのです。私がやりたいサーフィンなどの遊びを通じたフィールド作りと、大きな枠の中では繋がっているかもしれないと感じました。また、グランピング施設やカフェ事業など、本業とは異なる取り組みにも惹かれ、「非常にユニークなビジョンをお持ちの経営者だ」と強い関心を抱きました。それで、「M&Aを再度取り組んでもいいかもしれない」という気持ちになったのです。何十社もの経営者の方とお会いしましたが、自社の夢を語る方は本当に珍しく、その夢に自分も「乗っかれそうだな」「一緒に夢を見られそうだな」と感じました。それと同時に、自社の次のステップが、そのとき初めて見えた気がしました。「第一線を退いたとしても、会社や事業が続いていく未来が見えた」というところです。

新谷

「プラザクリエイトは“広場”をつくる会社であり、城市社長と新しいアパレルの広場をつくりたい」という思いは、担当の田中さんに託していました。ただ、それだけでは足りないと感じ、自分の言葉で直接その熱量を伝えたいという思いから、「田中さんが伝えてくれた以上に、私は本気です」という主旨を、改めて城市社長にお伝えしたのです。

田中

我々もその気持ちは城市社長にストレートにお伝えしました。城市社長の反応は非常に良かったですね。お二人とも、同じ想いをお持ちでしたので、そういう意味では相思相愛でした。

細部に潜むM&Aの重大リスク。プロの厳しい視点が安心感に変わった瞬間

新谷社長は、今回のM&Aのプロセス全体を通じて、M&Aキャピタルパートナーズの対応で特に印象に残っているエピソードはありますか。

新谷
新谷

M&A成約の最終局面で、とあるスケジュールの遅延問題が発覚したときのことです。手続きの都合で、予定より2営業日ほどスケジュールが遅れる可能性が出てきたのです。私は正直、「2日くらいなら大した話ではない」と楽観視していました。夜10時頃にその状況をメールで共有し、翌日相談しようと思っていたくらいです。
ところが、その直後、角田さんから何度も電話が入りまして。「社長、それは破談になりかねない、極めて重大な問題です」と、厳しめの口調でご指摘を受けました。私は「大丈夫ですよ」と言ったのですが、「いえ、大事なことです」と譲らない。そのプロとしての厳しい姿勢に、最初は驚きました。

角田

前提として、私たちの管理不行き届きが原因ではあったのですが、オーナーである城市社長からお仕事をお預かりしている以上、絶対にあってはならない事態です。たとえ2日でも、その間に城市社長が不安を感じ、信頼関係が崩れてしまうリスクを看過することはできませんでした。

その後の対応はいかがでしたか。

新谷

対応は迅速かつ、見事でした。その夜のうちに解決策を協議し、翌朝には田中さんと角田さんが本来は難しい手続きを調整してくださったのです。最終的には、当初のスケジュールに間に合わせることができました。
この一件を通じて、自分たちが「大したことではない」と思っている細部にも、M&Aのプロは重大なリスクを察知して、回避するために全力を尽くすのだと実感しました。田中さんのような突破力のあるパートナーに加え、厳しい視点でリスクを管理し、正しい方向に導いてくれる角田さんのような方がいてくださる。そのチームとしての総合力に、改めて安心感と信頼感を覚えました。

ゴールではなく、スタートラインに立つ。素晴らしい仲間と新たな価値を生み出す

成約直後の率直なお気持ちや今後の展望をお聞かせください。

城市

安堵したという気持ちは不思議とありませんでした。それよりも、「これからプラザクリエイトの力になれるだろうか、ご迷惑をかけずにやっていけるだろうか」という責任感や緊張感の方が大きかったです。その気持ちは、今でも変わりません。一緒になる未来に面白さや可能性を感じた一方で、しっかり貢献できるかという不安は常にあります。

そのような城市様の思いを、新谷様はどのように受け止めていらっしゃいますか。

新谷 城市 田中 角田
新谷

城市社長は、初めてお会いしたときから今に至るまで、印象がまったく変わりません。とにかく責任感が非常に強い。今回、我々が求めていたのは、「売って終わり」にするのではなく、M&A後も仲間としてともに事業を推進し、新たな挑戦を強いリーダーシップで成功に導いてくれるパートナーでした。正直に申し上げれば、M&A後に創業者の方が同じ熱量を保ち続けるケースは、決して多くはありません。
しかし、城市社長はまさに我々が理想としていた人物で、幸運にも出会うことができました。M&Aから一年近く経ち、経営メンバーとしてご参加いただいていますが、改めて「グループ全体をより良くしてくれる素晴らしい仲間が見つかった」と感じています。

城市

私の中でM&Aは、会社を次のフェーズに進めるための手段という認識でしたから、辞めるという選択肢はありませんでした。ただ、周りからは売って終わり=引退と見られることもあるのだと知りました。「もう引退するの?」と聞かれるたびに、「いえ、そんなつもりはありません」と説明する中で、そうした形のM&Aが世の中にはあるのだと客観的に認識しました。だからこそ、事業を推進し続ける上で強力なパートナーを得た今、「これから一緒に未来を創っていける」と、改めて前向きな気持ちになっています。

具体的なお取り組みは始まっていますか?

新谷

すでにいくつか始まっています。象徴的なものとしては、私たちが運営していた原宿・神宮前のカフェ事業をBY THE PARKに移管し、全面的にお任せしたことが挙げられます。これは、城市社長が描く「リアルな場所(フィールド)で新しいブランドを世に出したい」という想いと、我々の「オンデマンド生産でアパレル業界の無駄をなくしたい」というビジョンが、まさに一致したからです。城市社長のセンスで、アパレルとカフェが融合した素敵な空間が生まれることを期待しています。

実際にお任せしてみると、私がまったく発想しなかった企画が次々と生まれてくるのです。雑誌とコラボしたポップアップストアの開催や、オフィスをカフェに移転・統合するなど、城市社長が発揮されるオーナーシップ、スピード、そして発想力には、日々驚かされています。
こうした城市社長の活躍を目の当たりにすると、M&Aとは「仲間」を見つけることなのだと改めて実感します。もちろん自社の役員との議論も重要ですが、“同じ経営者”という立場で壁打ちできる相手がいることの価値は、まったく次元が異なります。対等な立場でビジョンを語り合えるパートナーの存在は、本当にありがたいですね。

今回の取り組みにおけるM&Aキャピタルパートナーズの支援を、どのようにご評価いただいていますか。

城市

何よりもまず、私の会社を深く理解しようとしてくれた上で、ただ売却するのではなく、最良のマッチングを考えてくれたことに感謝しています。私の性格上、そこが非常に大きかったですね。

新谷
新谷

私も感謝している点が大きく2つあります。まず、何よりもこの素晴らしいご縁を繋いでくださったこと。そして、M&Aを進める上で本当にタフで誠実なサポートです。今回は最終的な成約まで9ヶ月近くかかり、通常の案件よりもかなり長い期間だと思います。その間、こちらからかなり無理な交渉をお願いする場面もありましたが、それでも常に前に進めるための最善策を探し、粘り強く交渉を続けてくれました。
また、コミュニケーションにおける安心感も絶大でした。このような案件では、連絡が滞ることが最大の不安要因になりがちですが、その心配が一切なかったのです。特に田中さんは驚くほど迅速に対応して下さり、夜10時過ぎの連絡にも即座に返答してくれました。こちらの温度感や危機感を常に共有してくれるその姿勢のおかげで、最後まで安心して進めることができたのだと感謝しています。

ありがとうございます。最後に、これからM&Aを検討する経営者の方々にメッセージをお願いします。

城市
城市

アドバイスと言えるほどのことではありませんが、M&Aにおけるゴールは、経営者一人ひとりまったく違うのだと思います。売却してリタイアされるのも一つの正解ですし、私のように事業をさらに成長させるためにパートナーを求めるのも、また一つの正解です。大切なのは、ご自身が「どうしたいのか」というゴールを明確にし、それを担当アドバイザーの方と徹底的に共有することではないでしょうか。それぞれのゴールに向かって最適な道筋を見つけることができれば、きっと幸せなM&Aに繋がるはずです。

新谷

現代は、デジタル技術の進化により、少リスクで起業できる時代です。その結果、小規模ながら高収益な会社や新しい形のビジネスが次々と生まれています。そうした経営者の皆さんは、「現状維持か、さらなる拡大か、あるいはM&Aで新たな力を得るか」という選択に直面されているのではないでしょうか。
「このままでいい」という考え方も一つですが、事業を大きくすることは「より多くの人に価値を提供し、感謝される機会を増やす」素晴らしい挑戦だと私は考えています。そして、その成長を加速させる強力な手段がM&Aです。自力では50年かかる目標が、例えば10分の1の期間で実現できる可能性を秘めています。特に、かつての王道であったIPOのハードルが上がっている現代において、M&Aを抜きにした成長戦略を語るのは、もはや非現実的と言えるかもしれません。だからこそ、会社の立ち上げ段階から将来のM&Aを戦略的な選択肢として視野に入れ、「どう事業を創り、企業価値を高めるか」を逆算して考える視点を持つか否かで、ご自身の夢を実現できる確率は大きく変わってくるのではないでしょうか。

最後に、角田さんと田中さんから今回の取り組みの総括と読者の皆様へのメッセージをお願いします。

田中 角田
田中

本件は、M&Aキャピタルパートナーズの一気通貫のスタイルだからこそ実現できたM&Aだと感じています。担当者を譲渡企業側と譲受企業側で分ける分業制の会社も多い中、我々は一人のアドバイザーが双方を深く理解することを徹底しています。オーナーの本当のニーズは、資本金や利益といった数字だけでは測れない、細かなニュアンスの中にあるからです。例えば「M&A後も長く伴走したい」という買い手の想いが、売り手の年齢やライフプランと本当に合致しているか。そういったご本人たちでさえ気づいていないかもしれない本質を深く理解し、最適なマッチングを実現できるのが我々の強みです。その意味で、今回のご縁を繋ぐことができたのは、我々だからこそという自負があります。

角田

まず、城市社長のお人柄が素晴らしく、心からお手伝いしたいと思える方でした。そして新谷社長の推進力と、素晴らしい当事者の皆様に恵まれたことが成功の最大の要因です。我々は幸運にも、その間に入らせていただいたに過ぎません。
その中で、新谷社長から「M&Aキャピタルパートナーズがいたからこその安心感があった」というお言葉をいただけたことが、何より嬉しい評価であり、この仕事の醍醐味です。素晴らしいご縁に恵まれ、仲介者としての役割を少しでも果たせたのであれば、これに勝る喜びはありません。誠にありがとうございました。


 

文:伊藤 秋廣 写真:小野 綾子 取材日:2025/6/11

担当者プロフィール

  • 企業情報部 主任 田中 裕基

    企業情報部主任田中 裕基

    前職は自身にて、保険や証券を扱う代理店を創業。TOT基準達成等の実績を残したが、従業員の拡大に悩み、会社を譲渡。
    その経験を活かしながら、創業経験者として、オーナー様に寄り添った支援を信条に活動している。

  • 企業情報部 部長 角田 貴洋

    企業情報部部長角田 貴洋

    東証プライム上場の大手不動産会社にて、収益不動産の投資運用業務に従事。
    2017年当社に入社し、不動産業、専門商社、ヘルスケア等、幅広い分野で数多くの実績を残す。

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