M&Aストーリー #02
弊社のアドバイザーが、
どのような想いでどのような仕事をしているか
具体的な事例でご紹介します
情熱を持ってオーナー経営者に接し、
決断のための労力を惜しまない-
NAKANO KATSUYA
中野 勝矢 企業情報部 課長出会い -M&Aの検討段階-
(2016年4月~)
M&Aのお手伝いを実施するうえで、中野勝矢が大切にしていることがふたつある。
「ひとつはオーナー様が人生をかけて築き上げてきた会社の譲渡という一大決心に対し、自分も人生をかけて全身全霊でお応えしたいということ。そしてもうひとつ、すべての会社にとって、M&Aが最良の手段というわけではなく、あくまでM&Aは選択肢のひとつであることを、お会いするオーナー様にお伝えすること。すなわち“熱い気持ち”と“冷静な気持ち”の両方を大切にしながら日々お手伝いしています」
そのように語る中野が、総合医療機器ディーラー、株式会社アイエスエムのオーナー斎藤 郁夫様に初めてお会いした時に、斎藤様が大きなお悩みを抱えていることを知った。
「現況をお聞かせいただくと、オーナー様ご自身が体調を崩されていて、経営を長く続けるのは難しいとおっしゃる。とはいえ、自分の代わりになる後継者は社内にも家族の中にもいない。個人保証をこのまま背負い続けるのも怖い。M&Aをするか、自主廃業するか、そのいずれかの選択肢しかないと考えている旨、ご相談を受けました」
ところが“自主廃業する”と一言で言っても、それほど簡単なことではない。同社が顧客とする医療機関は1000軒以上にものぼるため、廃業すると地域医療への影響は甚大だ。深い苦悩を抱えていたオーナー様に対して、中野は自然に感情移入をしていったという。
「何とかして差し上げたいという熱い感情が沸き立つと同時に、本当にM&Aという選択で幸せになれるのか?オーナー様が望むようなお相手が見つかるのか?と冷静になってオーナー様と接していました」
具体的検討期間①
-企業評価や買手企業探し-
(2016年4月~2016年6月)
決算書を見る限りでは、同業者と比較して非常に利益率も高いうえ負債も少なく、キャッシュフローも良好。まさに絵にかいたような優良企業ではあった。ところがひとつ懸念があったのは、売上の約半分がオーナー様ご自身のトップセールによるものだったという点。「“創業社長の魅力で経営が成立している”と見られがちな同社の状況を、正しく理解してくださるお相手が見つかるのかどうかがポイントになると、その時に思いました」
中野はまず、社内のネットワークに蓄積されている企業の譲受ニーズの中から、アイエスエム様の譲受にご関心を持たれる可能性があり、オーナー様も安心して任せることができそうなお相手候補を同業種、異業種といった観点から数十社抽出した。また、医療機器業界に知見のある社内のアドバイザーに対しても聞き取りを実施することにより、抜け漏れがないか確認し、追加のお相手候補を抽出した。
「その中からオーナー様のご要望に合致する企業を100社ほどセレクトして、私がまず片っ端から電話を掛け、お相手となるオーナー企業様の名称を伏せたまま“M&Aに関心があるかどうか”についてヒアリングをしました」
そのうえでオーナー様と協議の上、8社を選択。機密保持契約を締結した後に情報開示して交渉に入っていった。「可能性があることなら、すべてやりつくしておきたかった。やり残しが少しでもあると、後になってから、“あの時、やっておけばよかった”と後悔することになる。それだけは避けたかったです」
具体的検討期間② -トップ面談・基本合意-
(2016年10月~2017年1月)
機密保持契約を締結した後の情報の開示から譲受候補として名乗りをあげた2社とトップ面談を実施。1社は残念ながら、業務の進め方の違いから、その先に進むことはできなかったが、残りの1社から“ぜひ、前向きに話を進めていきたい”との回答を得ることができた。もちろん、オーナー様としても異論はない。中野としてもほっと一安心といったところだった。しかし、なかなかその後の検討が進まない状態に。1ヶ月半の空白期間が、オーナー様の不安を煽るかたちになってしまった。
「夜も眠れない日が続いていると、私の携帯にも何度かお電話をいただきました。当時の私としては、そのお話をお聞きして、オーナー様のお話を聞いて少しでも不安を和らげて差し上げるしか方法はありませんでした」
年が明け、やがてオーナー様の我慢も限界を迎えた。“3月までに決まらなかったら自主廃業しよう”と決意をしてしまったのだ。リミットは3ヶ月後。中野は何度も譲受候補企業に足を運んだが、なかなか結論はでない。待っていてもしょうがない-中野は苦渋の決断をする。
「一緒になったら良い会社になるとわかってはいましたが、今のオーナー様の状況を考えると、ここは一旦、破談にするしかないと考え、ご両者にそれぞれの状況を説明し、納得してもらいました。私としても苦渋の選択となりました」
しかし中野は、そこであきらめるわけにはいかなかった。もしかしたら、自分の調査不足かもしれないと自らを責め、前回とは違った目線で再び、相手先候補企業をリストアップ。3月末がリミットだとすれば、1月末にはお相手を見つけなければ間に合わない。すでに残り1ヶ月を切っている。スピード感は必要だが、仕事の質を落としてはならないという重圧の中、中野が出合ったのが佐々木機材株式会社様という企業だった。
「電話でお話をしたら興味を示してくださったので、翌日に会いに行ったらその場で“やります”と力強く答えてくださった。その言葉を聞いて鳥肌が立ったのを覚えています」
最終調整 -買収監査・クロージング-
(2017年1月~2017年3月)
中野が設定したトップ面談は終始和やかな雰囲気の中で執り行われた。両社とも同じ総合医療機器ディーラーでありながら、販路のエリア配分も、既にきれいにすみ分けがなされている。また、譲渡先企業である佐々木器材の社長は、オーナー様の経営思想を尊重してくださった。
「佐々木器材の稲葉社長は非常に男気のある方で、譲受の意向を正式決定する前から、“急がなければ3月末に間に合わないだろう”とデューデリジェンスに必要な弁護士、公認会計士に費用を払って手配をしてくださっていました。その甲斐もあって、残りの一ヶ月足らずで一気に話が進み、契約を交わすことができました」
中野自身、お客様同士が契約書を取り交わした瞬間に立ち会った際は、溢れる涙を止めることはできなかったという。「様々な思いが涙と共にあふれ出ました。オーナー様のお気持ち、オーナー様を支えてきたご家族や従業員の皆様のお気持ち、そして、アイエスエム様とお取引のある1000軒にも上る地域医療機関に通院されている患者様にご迷惑をかけずに済んだという、あらゆる重圧からの解放感があったのかもしれません」
もちろん、成約から数年が経過した今でも、両社の社長とのお付き合いは継続している。
お手伝いしたM&Aは正しい選択だったのか?
しっかり見届けていく責任がある。
取締役社長
斎藤 郁夫
1995年これまで勤めていた医療機器商社から独立、栃木県宇都宮市に(株)アイエスエムを設立し同社代表取締役社長に就任。地域の医院向けに様々な医療機器を提供し、順調に業容を拡大する。取引先との取引と従業員の雇用継続を目指してM&Aを決断。本件M&A後は取締役社長として留任するとともに、譲渡先である佐々木器材(株)の執行取締役を兼務し、両社のお客様と従業員のために尽力していく。
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