

人生の次のステージを見据えて。
独自技術で築いた事業の未来を託したM&A
創業から15年、独自の冷凍クレープ製造技術で特許を取得し、急成長を遂げてきた株式会社セブンズ。2024年、同社は食品製造大手のマリンフード株式会社への株式譲渡を決断した。創業社長はまだ40歳という若さにもかかわらず、なぜこのタイミングでM&Aを選択したのか。そして譲渡先に求めた条件とはどのようなものだったか。セブンズ顧問に就任した原田裕次郎氏と、マリンフード代表取締役社長の吉村直樹氏に詳しくお伺いした。
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譲渡企業
- 会社名
- 株式会社セブンズ
- 所在地
- 滋賀県野洲市
- 設立
- 2013年
- 事業内容
- 冷凍クレープ・ポップコーンの製造販売、イベント出店
- 資本金
- 1,000万円
- M&Aの検討理由
- アーリーリタイアのため
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譲受企業
- 会社名
- マリンフード株式会社
- 所在地
- 大阪府豊中市
- 設立
- 1957年
- 事業内容
- チーズやマーガリン・バター類の製造販売
- 資本金
- 9,000万円
- M&Aの検討理由
- 取扱い商品の拡充のため
安定への渇望から始まった起業への道のり
まずは創業の経緯からお聞かせください。

もともと私は、学生の頃から起業したいと考えてきました。20歳のときに、友人と共同経営に乗り出したものの、お金のトラブルが原因でわずか半年ほどで解散したという過去があります。投資詐欺で多額の借金を背負い、返済のためトラック運転手となって、休みもなく働き続けました。その後、機械設計を担当する会社員になったのも、兼業で効率よく稼ぎを増やすためです。普段は残業し、金曜日だけ定時で退勤後は月曜日の朝までトラックで稼ぐという休みのない生活を3年ほど続けて、なんとか借金を完済しました。
その後のリーマンショックで人員整理される様子を見て、雇われている働き方の不安定さを痛感します。本当に安定した状態とは、いつ、どこにいてもお客様がいて、自分が提供したサービスや商品に対してお金を直接受け取れる状態だと気付きました。友人に美容師がいますが、もし災害が起きて財産などを失ったとしても、1本のハサミと自分の腕さえあれば、彼はその日から人の役に立ち直接お金を受け取ることができます。手に職のない私が今すぐ勝負できる可能性があるのは飲食業ではないかと考えたのが、創業のきっかけでした。
クレープにたどり着いたのはなぜだったのでしょうか。
最初に私が漠然と想像していたのは、たこ焼き屋の屋台でした。そこで、知り合いのたこ焼き屋オーナーのもとで勉強したいと相談しましたが「クレープがいいのでは」とアドバイスされました。最初は、クレープといえば女性の食べ物というイメージが強く、抵抗感があったというのが本音です。
実際にクレープ屋を見学すると、思ってもみなかった魅力に気づかされました。お客さんも楽しそうに並んでいて、接客する店員もまた笑顔であふれていたためです。それまで私が思い描く屋台といえば、場所さえよければ売上が立ち、あまり笑顔もなく淡々と商品を渡すだけの店員の姿でした。しかし、クレープという商品には、お客さんも働く人を笑顔にできる可能性があることを知りました。
利益を上げること以外に関心のなかった私の価値観が、はっきりと変わりました。自分もクレープ屋を探求することで、たくさんのお客さんを笑顔にできるようになりたいと決意したのです。
そこからクレープ屋としては順調にスケールアップできましたか。

いいえ。思うように利益が手元に残らないので、四苦八苦が続いていました。移動販売を続けて自転車操業を繰り返していたうちは、事業としての成長性がまったくありませんでした。そこで店舗を構えたり、キッチンカーを複数台展開したりと、売上アップのために試行錯誤を続けます。
イベントでの出店依頼が多い週末と、暇を持て余す平日との差があまりにも大きかったので、ちょうどアメリカから日本に入ってきたばかりのキャラメルコーティングされたポップコーンの製造と販売を始めました。クレープと異なり常温保存できるのもポップコーンの魅力でした。平日はポップコーンの製造を本格化させて、土日はイベントでキッチンカーという二本柱がようやくできて、従業員も4、5人まで増やせるようになりました。
今も忘れられないのは、大阪でのイベントに出店した時の挫折です。地元の滋賀県内でそれなりにお客さんも付いてきていて、それなりに売上が伸びていたつもりでしたが、30店舗ほど集まった業者の中で、うちの売上が最下位だったのです。私自身は過去最高の1日売上を記録し、一番長い行列もできていたので、なぜなのか理解できませんでした。これまでは「井の中の蛙」だったことに気づかされました。そのせいで迷走した時期もあります。時間のかかるクレープでは勝てないと思い立ち、クレープをメニューから外し、チュロスやワッフル、かき氷などありとあらゆる商品に手を出しました。
しかし結局、既製品にほんの少し手を加えて売るのは、私たちでなくても、誰でもできることです。やはり自分たちにしかできないオリジナルな商品を作ろうと、再びクレープでの勝負を決意し、本格的な開発に取り組むことになりました。
その結果、世に送り出したものとはなんだったのでしょうか。
冷凍クレープです。以前からクレープの提供にかかるスピードを改善したいと構想していましたが、その開発に本格的に取り組むことにしたんです。急速冷凍庫など様々な設備を導入して試作を重ねました。
製品化した冷凍クレープを再び大阪のイベントに持参したところ、今度は開催期間を通じて常に1位か2位を獲得できるようになりました。さらに自社で販売するだけでなく、業務用クレープ生地や解凍不要でそのまま提供できるアイスクレープとして卸売を開始したことで、売上が一気に伸びたのです。製造技術の一部は特許を取得し、いよいよアクセルを全開にしようというタイミングで、コロナ禍がやってきました。
コロナ禍後にV字回復を成し遂げるも、自身の人生観が変わった
順調に成長していた中でのコロナ禍はどのような影響がありましたか。
売上が9割減になりました。キッチンカーを出店するイベントはないし、有力な卸先のアミューズメント施設や遊園地なども軒並み休業でした。自社の製造ラインは、半年近くもストップせざるを得ませんでした。ここでジタバタしても仕方がないので、初めて「遊ぼう、休もう」と決心し、旅行やレジャーを満喫しました。県外移動の自粛が呼びかけられていた時期なので、あまり大きな声では言えませんが、どの観光地もがら空きでした。思えば20歳過ぎから、休みなく働いてきた自分にとっては、初めて味わうゴールデンウィークやお盆休みだったのです。
そんな今までと全く異なる生活を通じて、こんな自由気ままな生活がしたくて、リスクを背負って起業したのだと原点を思い出しました。しかし、いつの間にか従業員や会社を守るため、取引先を裏切らないために「頑張らなければならない」という方向に頭が向いていたことに気づいたのです。もちろん家族や従業員を守りたいという思い、責務は変わりません。
実は自らの自由を求めて、この時点でもM&Aを検討したことがあります。しかし、売上が激減した時点では、買い手が現れないだろうと専門家から言われました。最終的にM&Aを成し遂げるには、会社をV字回復させるしかありません。私の得たい生き方を実現し、従業員や取引先を守るために再び闘志が湧いてきました。
具体的にはどのような施策でV字回復を実現されたのでしょうか。
売上改善よりも、粗利経営を断行しました。内製化を推進し、利益の出ていない商品は全部廃盤にするなど、商品数をかなり絞り込みました。そして、従業員の意識改革が何よりも重要だったと思います。月に1回、半日全員を集めてミーティングを行い、売上、粗利、販管費、利益の構造をパート従業員も含めて全員に共有するようにしました。
売上は家庭の収入、原価は食費、販管費は電気代や水道代や家賃。人件費は小遣いで、その下に残ったのが貯金だけれど、半分ぐらいは税金として消えていくなどと家計をなぞるように説明し、この粗利経営の目的は、最終的に皆さんの給料を上げることだと伝えました。こうした地道なアプローチを半年、1年と続けるうちに、パートさんからも改善提案が上がるようになりました。工場内での動線を考慮した物の置き場の変更など、一つひとつの工夫は些細なものが多いです。しかし最終的には、設備投資はごくわずかで、主に意識改革を推進しただけでコロナ前の2倍以上の生産性が実現できるようになりました。
人生の次のステージを見据えてM&Aを本格的に検討する
V字回復を実現した後、M&Aを模索したいという思いに変化はありませんでしたか。

その思いは変わりませんでした。むしろ強くなっていたと思います。以前に突然母を亡くした際、定年まで勤めを終えた父に旅行でもして気分転換するように勧めたことがありました。しかし「お母さんがいないのに、どこへも行きたくない」と言うのです。父は、母と第二の人生を過ごすことを思い描いて働いてきたのに、ある日それが叶わなくなってしまいました。「いつかやりたい」と思っていても、そのいつかは永遠に来なくなる可能性があるのだと悟った瞬間です。コロナ禍に上の子が生まれた私は、自分の子どもと向き合いたい、家族を最優先に考えた人生を送りたいと以前よりも強く思うようになっていました。そして会社を回復の軌道に乗せたことで、再びM&Aへ動き出したいと考えました。
業績が再び伸びてきたことで、さまざまな仲介会社からも手紙やメールが頻繁に届くようになりました。その中から3社に問い合わせをしましたが、M&Aキャピタルパートナーズの佐倉さんだけがあまり売り込みをしてこなかったことが逆に印象に残っています。押しが強い仲介担当者もいましたが、こちらから相談を持ちかけたくなるような距離感と関係性を築いてくれたのは佐倉さんだけでした。結果的にも、最高のパートナーを紹介してもらえたので、私自身もよい担当者を選んだなと思います。
佐倉さんから見た原田様の第一印象について教えてください。

初めてお会いした時から考え方がスマートで、ご自身の考えを言語化するのがお上手な方だと感じました。すでにM&Aについてもご自身で相当な情報収集と勉強をしていらっしゃるのが分かりましたので、私からM&Aに関する基礎的なご説明をする必要もありませんでした。最初の段階でどのようなお相手を選ぶのがよいのかといった具体的なステップから、ディスカッションを開始できたのも印象的です。
パートナーに求める第一条件は、まず私自身が経営から退くことです。佐倉さんたちと話す中で、それに加えて4つの円を頭の中に描くようになりました。私と家族、セブンズそのものと商品、従業員、そして買い手企業という4つの円です。これらがどの程度うまく重なるかを判断基準にしようと考えました。

原田様のようにM&Aにおける優先順位を整理されることは、とても重要です。原田様ご自身が40歳を迎えるタイミングということで、一般的な事業承継とは異なり、セカンドライフを充実させるための戦略的な判断をされていました。慎重に見極めたいという思いがありながらも、できるだけ早期にM&Aを実現させたいとお考えだったので、それがかなうサポートをしたいと考えました。
原田様がユニークだったのは、自社での営業活動をほとんどしてこられなかったということです。裏を返せば、それだけ商品に力があり、売り込みを行わなくても売上が伸びていたということでもあります。一方で、営業やマーケティングに長けたパートナーとご縁組ができれば、大きな相乗効果が得られるとも考えました。そこでまず100社程度の候補先のリストを作成して、原田様にご提案しました。ポイントは、先ほど原田様が仰ったように4つの円がどの程度重なりあうかで、営業やマーケティング力に定評のあるマリンフードもこのリストに含まれていました。
M&Aによる事業拡大への挑戦 同じく食品製造に誇りをかけてきた両社の出会い
ここからは、譲受企業であるマリンフード株式会社の吉村様にもお話を伺います。まずは貴社の事業についてご紹介いただけますか。

私たち、マリンフードはマーガリン、バター、チーズ、ホットケーキなどの製造・販売を行う食品メーカーです。 1956年の創業から約70年、学校やホテル、レストラン、喫茶店などへの卸売のほか、食品メーカーへの提供、近年は量販店での家庭用商品も取り扱っています。
私が社長になった当時、ほぼ100%業務用の商品だけを扱っていました。喫茶店のお客様が全国にいるとは言っても、さほどは伸びしろが見込めません。このビジネス構造が大きく変わったのは、「ガーリックマーガリン」を家庭用に売り出してヒットしたことです。先行して外国からの輸入品は販売されていたものの、私たちの商品が世に出ると営業の甲斐もあって、スーパーの店頭にはマリンフードの商品が広く並ぶようになりました。
これをきっかけに家庭用商品の展開が始まり、現在では家庭用の売上が80%を占めるようになっています。
M&Aに取り組むようになったきっかけは何だったのでしょうか。
実は非常勤取締役である息子(マリンフード株式会社 取締役 吉村 英毅 様)の影響が大きいのです。元来、私の発想にM&Aで会社を拡大していくという発想は全くありませんでした。長く自社の力だけで新製品開発や新市場開拓に取り組んできたつもりです。
息子は大学在学中の20歳で起業し、これまでに多くの企業を上場まで導いてきました。M&Aについても同様で、多数の企業を譲り受けた経験があります。話をするたびに社数が増えていくのは気になっていましたが、ついに100社を超えたと聞いて驚愕しました。そんな様子に刺激されて私もいつしかM&Aに興味をもつようになったというわけです。
セブンズの技術や事業について、最初にお聞きになった時の印象はいかがでしたか。
優れたビジネスモデルと、クレープ製造に対する探究心には驚かされました。それにクレープやポップコーンは、マリンフードの既存事業とはまったくバッティングしません。それどころか既存の取引先に新たな提案をすれば喜んでもらえるイメージも持てました。独自に生産性を高める努力も続けていて、利益もしっかり出ていたので、ぜひグループに迎え入れたいと感じました。
ただ、それだけ素晴らしい会社を作ったのに、私よりもはるかに若い原田さんがなぜM&Aで譲渡しようとしているのか、すぐには理解できませんでした。私は、社長になって45年が経ちます。辛いと思った事は山のようにありますが、社長を辞めたいと思った経験は一度もありません。全く対照的だと思いました。
お二人が初めてお会いになった時の印象を教えてください。

吉村さんは経営者として大先輩ですし、威厳のある方なのでお目にかかったときは怖い方なのではないかと身構えていましたが、破顔一笑、笑顔で話しかけてくださったことが強く印象に残っています。セブンズが日本だけでなく、アメリカでも特許を取得していることに触れ、日本のアミューズメント施設だけでなく、全米の施設にも営業に行こうと言ってくださいました。
先ほど佐倉さんに言われたように、私自身は新規開拓営業が性に合わなくてずっと避けてきたのですが、この方と一緒ならすぐにでもアメリカへ進出できるのではないかというパワーを感じました。
そうでしたね。景気づけのつもりで言った部分もありますが、セブンズにものすごいポテンシャルを感じたのは事実です。現にマリンフードの営業がセブンズの製品を持って回っていますが、評価は非常に高いです。アメリカ進出を見据えて特許まで取得しているのに、それを活かしてこなかったのはもったいない話ですからね。
面談では経営者としてのお二人の相性の良さを感じました。以前からマリンフードの営業力があれば、セブンズの確立された技術を販路にしっかり乗せて売上を伸ばしていけるという思いがありましたが、私が予想していた以上に活発な意見交換が行われました。
原田様が、パートナーを選ぶにあたって基準にすると決めた4つの項目に照らした際のマリンフードの評価はいかがでしたか。

他のいくつかの企業と比較しましたが、マリンフードは先述した「私と家族」「会社と商品」「従業員」「買い手側」それぞれのメリットが最もきれいに重なりあうパートナーだと感じました。私たちの手元にどれほど良い技術があっても、特許の権利はあと14年しか残っていません。これは仮に私がトップで居続けたら、何もできずに伸び悩んでしまっていたかもしれません。トップが交代することで、制限が取り払われ、一気にビジネスが伸びれば、従業員の人生も豊かになる可能性があります。そしてマリンフードが長年取り組んできた食品づくりとの相性もよいと期待されます。マリンフードの工場も見させてもらいましたが、私たちのクレープを規格化、量産化するノウハウも人材も、財務面でも何一つ心配がありません。セブンズや私だけでは叶えられない高いところに導いてもらえるはずだと確信できました。
一方で、セブンズは小さく家族同然に成長してきた企業ですので、異なる文化が融合することの不安はありました。従業員がこのM&Aをどう受け止めるか、戦力として活躍できるのかという不安も感じていました。売上よりも粗利を重視する経営をしてきたという事情もありましたから。
たしかにM&Aは、異文化の合流という部分はあると思います。しかし、人材の流動性がかつてないほど高まり、中途社員の出入りなどは一昔前と比べると活発になっています。異業種からの採用も多く、食品業界に携わったことのない人が机を並べて一緒に働くなんてことも珍しくありません。
文化が異なるといってもセブンズも、マリンフードも、安全でおいしい食品をお客様に届けることを目的にしてきたことは間違いないので、私はそれほど心配していないんです。
もっと言えば、私は原田さんに社長を続けたらと言ったんです。しかし、どうしても退きたいという意向でした。その潔い決断と思いを尊重しつつ、残ったセブンズの従業員とともに新しい経営陣が前向きに取り組んでほしいと思います。
新しい挑戦を始めたいと思ったときがベストなタイミング
今後の事業展開について、どのような期待をお持ちでしょうか。

マリンフードは、大切な事業の1つにホットケーキやワッフルなどシリアル商品の製造や販売があります。今回、ここに新たにセブンズのクレープを組み入れることにより、これまで培ってきた販売ノウハウとのシナジー効果は間違いなく生まれます。
シリアル事業は、食品をさまざまなジャンルで分けたときに世界最大の市場ではないでしょうか。こうしたM&Aを行うまで、私たちは品目の幅を広げることなく地道な事業拡大に取り組んできました。今回こうして新たなきっかけが生まれたことで、既存の商品にもよいインパクトが期待されると信じています。
ご自身の将来的な展望があればぜひお聞かせください。
今は2人の子どもを保育園へ送迎する時間を心から楽しんでいます。こうした家族との時間を大切にしつつ、将来的には地元・滋賀で経営者同士がつながるハブになりたいと考えています。私もかつてそうだったように経営者は孤独な存在で、なかなか身近な相談相手が見つかりません。そこで経営者だけがつながれるようなコミュニティを作って、経営から事業承継など生の情報にアクセスできるようにしたいと思います。ただし、雇用はしないつもりです。あくまで自分一人で自由自在にできる形を持続したいと思っています。こうして次のチャレンジについて考える時間が取れるようになったのも、M&Aによって手放すことを決めたおかげです。
今回のM&Aキャピタルパートナーズのサポートについて、評価をお聞かせください。
佐倉さん、高橋さんの常に親身な対応には心から感謝しています。譲渡側と譲受側の間に入るのは大変な役割だと思いますが、どちらか一方に偏ることなく、三方よしになるような誠実な姿勢は、本当に信頼できると思いました。今後、地元の企業でM&Aを検討している経営者がいたら、ぜひ紹介したいです。
原田様の希望が明確でしたし、早期かつ質の高い対応を求められていらっしゃることは常に認識していました。クイックレスポンスを心がけるとともに、正確で着実なサポートを行うことは意識していました。M&Aによる株式譲受は、マリンフードでの前例がなかったため、局面ごとの課題を整理しながら一歩ずつ前進するためのサポートを心がけたつもりです。
M&Aに関しては日々膨大な量の情報が飛び交っており、私のもとにもさまざまな企業から紹介が届きます。その中で自力で集められる情報は、ごくわずかです。また、互いにシナジーを生むようなよい出会いと言える確率も極めて低いものがあります。
今回も、紹介というご縁がなければセブンズとは巡り合えなかったでしょう。マリンフードとしては、今後もよい出会いを求めていきたいと考えていますので、M&Aキャピタルパートナーズさんには、質の高い情報そしてマッチングを期待しています。
最後に、これからM&Aを検討される経営者の方々へのメッセージをお願いします。
次のチャレンジをしたいと思ったときが、ベストなタイミングではないかということをお伝えしたいと思います。一般的に、40歳というのは事業承継を決断するには若いと思われるでしょう。しかし私の場合、事業を手放さなければ、新しいチャレンジについて考えるだけの時間を確保することはできませんでした。そして、自分が何歳まで生きられるかは誰にも分かりません。自分の人生で優先すべきことができたときは、「いつか時期が来たら」と先送りすることなく、まずは専門家に相談することからはじめてみるとよいのではないでしょうか。
企業の価値を最大化する、継続的な成長や発展を模索するというのはすべての経営者が常に考えなくてはならないことです。M&Aは、それを実現する有力な方法の1つだと感じています。譲渡企業にとって、自社の価値を最も高めてくれるパートナーを選ぶことができれば、未来は大きく変わるはずです。
今回、シナジー効果の高い両社のご縁組を支援させていただいたことを、光栄に思っています。今後の両社の発展を拝見するのは、個人的にも大変楽しみにしているところです。
これまで過去にM&Aを検討したことがなかったという製造業の企業様も多いと思いますが、経営環境が目まぐるしく変化する中で自社にどのような選択肢があるのかを聞きたいと考える経営者様も増えているとお聞きします。ご相談は無料ですので、ぜひお気軽にご連絡いただけたらと思います。
今回、両社の誠実でスピーディなご対応のおかげで、早期にご成約まで漕ぎ着けることができました。食品業界にも再編の波が来ており、周辺の動きが激しいと感じているメーカー様も多いのではないでしょうか。直接的な接点のなかった企業様同士をお引き合わせし、思わぬシナジーを生み出せるのは大きな喜びであると同時に、私たちの強みでもあります。今後も経営者様の悩みに寄り添ったサポートを続けていきたいと思います。

文:蒲原 雄介 写真:蔵屋 憲治 取材日:2025/5/7
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