それぞれの選択 #174 鉄筋加工・鉄筋工事業 × 鉄筋加工・鉄筋工事業

先代への後ろめたさを越え、選んだ最善の道。
同業だから描けた、鉄筋工事の次の時代

昭和39年の創業以来、60年以上も鉄筋工事を手がけてきた東和建鋼社。二代目社長として会社を率いてきた代表取締役の田中 司津夫氏が下したのは、同業のグループに入る決断だった。譲受企業・国井興業もまた、代表取締役社長の井出進氏が二代目として組織を刷新してきた会社だ。同じ埼玉県内に工場を構えながら、接点のなかった両社。これまでにない経営の厳しさを感じていたという田中氏と井出氏は、なぜこの決断に至ったのか。二人の二代目に、将来に向けた展望とともに思いをお聞きした。

  • 譲渡企業

    会社名
    株式会社東和建鋼社
    所在地
    埼玉県さいたま市
    事業内容
    鉄筋加工・鉄筋工事業
    M&A検討理由
    後継者不在のため

  • 譲受企業

    会社名
    国井興業株式会社
    所在地
    埼玉県熊谷市
    事業内容
    鉄筋加工・鉄筋工事業
    M&A検討理由
    事業基盤の強化と両社の
    強みを生かした成長を図るため

「職人の気持ちを知れ」父に送り出された修業時代が基礎に

はじめに、東和建鋼社の事業についてお聞かせください。

田中
株式会社東和建鋼社 代表取締役 田中 司津夫様(以下、敬称略)

当社は鉄筋加工・工事業、マンションなどの建物の骨組みとなる鉄筋を加工し、配筋する仕事に取り組んできました。ゼネコンから工事の依頼をいただき、材料となる鉄筋を浦和(埼玉県)にある自社工場で曲げたり切ったりして加工を施してから、トラックで各現場に運び込むのです。これを現場で協力会社の職人たちが図面どおりに組み上げていきます。
設立は昭和39年、先代である父が東京で興し、息子の私は二代目です。鉄筋工事業といってもやり方はさまざまで、自社工場を持たず施工だけを請け負う会社もあります。当社は、1,000坪ほどの工場で材料調達から加工、施工までを一貫して担ってきました。

ご自身は、早い時期から家業を継ぐおつもりだったのでしょうか。

田中

まったく考えていませんでした。私は中学からゴルフに没頭し、この道で身を立てたいと思っていたのです。大学までゴルフ漬けの毎日でしたが、強豪ゴルフ部には日本中から有力選手が集まっていて、上には上がいるのだと思い知らされました。ほどなくしてゴルフの道を断念した私は、父にゴルフをやめることと、父の会社に入りたいという旨を伝えました。父は「お前にできるのか」などと言いながら、どこか嬉しそうな顔を浮かべていたことを、今でもよく覚えています。
ただ、大学卒業後に入社できるのかと思っていたら、「建設業はよその会社の飯も食っておかなければならない。それに、まず現場で職人をやってこなければ、経営者になったときに職人の気持ちがわからないだろう」と父から言われました。それで横浜にある鉄筋工事会社へ勤めることになりました。工場での材料加工から始まり、現場で図面を見ながら、床や壁の組み方を教わる日々でした。今のように労働時間の管理が厳しくなかったので、深夜まで現場で鉄筋を触っていたことは何度もあります。勤め先は何社か変わりましたが、結局入社するまでの修業期間は10年近くになりました。
現場の環境も、今とはずいぶん様子が違いました。今でこそ大卒の職人も少なくありませんが、当時はほぼ皆無。気性の荒い人が目立つ世界で、気の弱い人間ではなかなか一緒に仕事はできなかったと思います。ただ、ここでの経験のおかげで、私は全く物怖じしなくなりました。相手がどのような態度でも平静でいられるメリットは大きく、経営者となった今も当時の経験に感謝するほどです。

厳しい業界だと伺いますが、東和建鋼社への仕事の依頼が途切れずに続いてきた理由は、どこにあるとお考えですか。

田中
田中

一言で言えば、仕事の中身ではなかったかと思います。鉄筋工事は外から見えにくいため、誰がやっても同じだろうと思われるかもしれませんが、決してそうではありません。建物の安全性にかかわる極めて重要な工程です。正直に言えば、昔の安全基準は今ほど厳しくなく、現場での施工精度に対する要求も大らかなものでした。現場の監督も細かいことは言いませんし、求められるのは精度よりも速さで、施工管理などという言葉もあってないようなものだったのです。
しかしこの20年ほどで、そうした過去の常識は一変しました。大規模な地震が起きれば、どこかの建物が倒壊して鉄筋が露わになります。その結果、この施工法では強度が足りない、継手が外れているといったことが白日の下にさらされるわけです。耐震偽装の問題が大きく報じられたこともありました。こうした状況を受けて、鉄筋の構造についてより厳格さが求められるようになったのは間違いありません。鉄筋そのものも、昔の倍近くまで太くなり、扱う本数も増えました。以前に比べると、施工の難易度は上がっていると言えます。
当社は、自社検査の徹底に取り組んできました。自分たちで隅々まで確認し、仕上がりを整えたうえでゼネコンにお渡しします。そこから現場監督、設計事務所、さらに第三者による検査と、チェックが四重に及ぶことも珍しくありません。そこまでやって当たり前という水準に、先んじて自社を合わせてきたつもりです。ゼネコンの厳しい目を持った方達に、育てていただいたと表現するほうが正確かもしれません。

仕事を任せてもらうという点での苦労はいかがですか。

田中

営業活動も、もちろん重要です。やはり、一朝一夕で仕事を獲得できる領域ではありませんから。建設会社の購買部との名刺交換から始まり、まず見積もりだけでも声をかけてほしいと申し上げます。しかしわずかながら見積もり依頼は来るものの、こちらの腕前が分からないうちは発注してくれません。ある程度会社の知名度が上がり、「東和建鋼社はいい仕事をする」と証言してくれる人がいて、ようやくお試しで一度任せてもらえるのです。10年単位で信頼を積み上げるということを、一社、また一社と繰り返してきました。

今後の営業を担える人間は…。自問から始まったM&Aの検討

もともと事業承継についてはどのようにお考えだったのでしょうか。

田中
田中

自分の手でしっかりと会社を育て、しかるべき後継者が見つかれば経営を託し、その後も私自身の体が動く間は、会長や顧問といった立場で関わっていく姿を描いていました。親から引き継いだ会社ですので、M&Aを選択することには、先代に対して申し訳ない気持ちがあったのも事実です。
そんな考えが変わったのは、昨年の後半ころだったでしょうか。業界全体の仕事が目に見えて減り、手が空くようになりました。そうなると、頭に浮かぶのは営業の必要性です。営業に回らなくてはならないぞと考えたとき、ふと気づいたのです。私は70代の中盤に差し掛かろうとしています。では、私の後に営業を担える人間がいるだろうか、と。
私はこれまで、ゴルフやお酒のお付き合いを通じて関係を築き、それを仕事につなげてきました。当社の社員は40代前後と若く、仕事ぶりも堅実な者がほとんどですが、ゴルフをする者も酒席が得意な者もいません。建設業では珍しい状況なのかもしれませんが、今の若い人としてはごく普通のことなのでしょう。もちろん、ゴルフやお酒が得意でなければ営業が務まらないなどと言うつもりはありません。ただ少なくとも当社とお客様の関係は、私が長年、そうした場を重ねる中で築かれてきたものです。このような方法を、今から教えて身につくものではないでしょう。
そのように思い至ったとき、それまで会社に届いても開封することもなかったM&Aの案内に、初めて目を通しました。

どのようにしてM&Aキャピタルパートナーズを選ばれたのでしょうか。

田中

最初は別の仲介会社に話を聞いていました。返送用紙を送ったら、すぐに連絡を受け翌日には担当者が会いに来てくれたのです。熱心で丁寧なご説明を受けたのですが、初めてのことですから、一社だけ話を聞いて決めるのも躊躇がありました。そこで次に連絡を差し上げたのが、M&Aキャピタルパートナーズです。こちらも吉田さんからの連絡が早くて驚きつつも、すぐに時間を取ってもらうことになりました。
吉田さんの話を聞いて、直感的にこの会社にお願いしたいと決めました。何が決め手だったか、言葉で表現するのは難しいのですが、今となっては、あのときの自分の勘を褒めたいと思います。私は子どもの頃から、人との巡り合わせに恵まれているとよく言われてきました。今回もそうだったのかもしれません。
先にお会いした会社にお断りのご連絡をした際、担当者は快く承諾してくれましたので、私も本格的に吉田さん、そして山本さん(M&Aキャピタルパートナーズ株式会社 企業情報部 主任 山本 柊)のお二人の伴走を受けることになりました。

吉田さんは、田中様に初めてお会いしたときの印象はいかがでしたか。

吉田
M&Aキャピタルパートナーズ株式会社 企業情報部 吉田 拓矢(以下、吉田)

初めてお目にかかったのは2025年10月末です。直近3期分の決算書を拝見しましたが、経営の堅実さには目を見張るものがありました。鉄筋工事業は、建設業界の中でも専門工事に分類されます。元請のプロジェクト状況の影響を受けやすく、業績の波が生じやすいことも特徴です。その中で、東和建鋼社は毎年しっかりと利益を出し続けています。これは並大抵のことではないと、山本とも話していました。
その数字を支えているのは言うまでもなく、田中様のお人柄と胆力です。先ほど営業手法のお話がありましたが、ゴルフをたしなみ、お酒を酌み交わす人が社内にいたとしても、同じ結果にはならないでしょう。田中様の内面からあふれ出る魅力があってこそ、築かれてきた関係なのだと思います。

譲受企業の候補先は、どのような方針で探したのでしょうか。

田中

どのような会社にお声がけするのか、どう選んでいくのかは吉田さんと山本さんにお任せしましたが、一つだけお伝えしたことがあります。「関心を持ってくださった会社とは、できるだけしっかりとお会いしたい」ということです。書類の上だけで判断するのではなく、実際に工場を見ていただき、こちらからも先方へ足を運び、自分の目で確かめたいという希望は強く持っていました。また、先方の会社へ伺う際には、吉田さんにも同行していただきました。最初に候補の会社を一覧で示していただいたときには、よくこれだけの会社をリストアップしてくれたものだと驚いたほどです。

吉田
吉田

まず伺ったのが、田中様がどのような将来を目指し、そのためにどのような条件を大切にされているのかという点です。そのうえで、私どもがこれまで関係を築いてきた企業や、ニーズを把握している企業の中から、この会社と組めば大きな力になるのではないかという仮説を山本と練り上げ、打診させていただきました。東和建鋼社の企業概要書をもとにご説明したところ名乗りを上げてくださった会社は、さまざまな業種にわたりました。
多数の会社とお会いいただくことには、田中様へのご負担を考慮すると迷いがあったのも事実です。しかし、最終的にご決断されるのは田中様ですので、きちんと一社一社とお会いしたいというご意向を尊重いたしました。対面だからこそ感じ取れるものが必ずあるはずです。それが最終的なご判断を支える材料になると考えました。

同業同士が惹かれあった共通点と仕事への想い

譲受企業である国井興業の事業概要について、またM&Aに対する基本的な方針をお聞かせください。

井出
国井興業株式会社 代表取締役社長 井出 進様(以下、敬称略)

国井興業は埼玉県熊谷市に拠点を置く鉄筋工事会社です。工場は熊谷にありますが、現場の8〜9割は都内を中心とした首都圏にあります。材料の仕入れには強みを持っていると自負しております。
私も田中社長と同じく、創業者を父に持つ2代目です。先代が大切にしてきたのは、幅広いお客様とお付き合いすることでした。父は特定のゼネコンと狭く深く付き合うのではなく、大手か中小かを問わず、あらゆるゼネコンと取引をしたいと常々口にしていたものです。当社の規模からすれば欲張りな目標ながら、私もその言葉を胸に刻んで今日まで来ています。
M&Aについては、長く縁のないものだと思っており、今回が初めての譲り受けとなります。関心がなかったわけではありませんが、親しい経営者からはM&Aの実行後に苦労している話もよく聞いていました。今回、話をお伺いしたいと思ったのは、同業の会社だと知ったからです。
機密保持契約の締結後に東和建鋼社だと知った瞬間、私の中でピンとくるものがありました。この業界は、多くが一匹狼のような存在だと見られがちです。そんな一匹狼同士が一緒になるなどという姿は、想像ができませんでした。ただし、東和建鋼社とは直接の取引がなく、同業の組合での接点もありません。よく存じ上げていないからこそ、かえって良いのではないかと感じたのです。

トップ面談では、お互いにどのような印象を持ったのでしょうか。

井出

初めてのことで、どう臨めばよいのか分かりませんでした。田中社長は業界の大先輩であり、長く会社を率いてこられた方です。そんな方と同じことは私にはできませんし、下手なことも申し上げられません。言葉で何かをお伝えするよりも、当社のありのままを見ていただくしかないと考えておりました。
前提として、私の中で一つ決めていたのが、田中社長がお元気なうちは引き続き東和建鋼社の経営を担っていただくことです。もしグループに入っていただいても、経営の方向を大きく変えるつもりはありませんでした。
実際にお会いすると、田中社長は非常に丁寧に迎えてくださいました。こちらを立ててくださる姿勢と、真摯に向き合うそのお人柄に触れて、安心したことをよく覚えています。
また工場を拝見して感じたのは、立地の良さです。当社の本社がある熊谷からは車で1時間以上かかりますが、現場の多くが都内にあります。都心に近い場所に拠点を持てることは当社にとって大きな意味があり、むしろ好都合だと感じました。

田中
田中

井出社長は、折戸専務、財務ご担当の方とともに工場見学に来てくださいました。質問攻めにされるかと予想していたのですが、工場を見て回りながら「ここならもっと力を発揮してもらえる」「遠方の現場の加工を東和建鋼社で担ってもらえたら助かる」と、専務とお二人で話されているのが聞こえてきます。お二人ともお若いのに加えて、社員の平均年齢も30代後半と伺い、その若さと勢いにも惹かれましたし、井出社長の人を引きつける力を感じました。見学から面談までは2時間ほど続きましたが、違和感が一つもなかったことはよい意味で驚きでした。
今だから言えますが、お会いする前の私は国井興業にあまり良い印象を持っていなかったというのが正直なところです。業界では昔から名の知れた会社で、見積もりで競合すればとても太刀打ちできない価格が出てきたこともあります。営業現場でお見かけする方も、少し近寄りがたい雰囲気を感じていました。ところが、社長と専務が「当社も苦労して会社を変えてきたんです」と話してくれ、私が知っている国井興業のイメージはすっかり変わりました。

井出様は、どのように会社を変えてこられたのでしょうか。

井出

私が入社した当時、業界でのイメージは決して良いものではなく、同業の方からも厳しいお言葉をいただきました。

このまま会社を引き継いだとしても将来が暗いと思った私は、社長就任後、関係が途切れてしまったお客様のもとを一軒ずつ回り、どうにか挽回の機会をいただけないかとお願いして回ったのです。新たなお客様の開拓も手探りでしたね。入社直後に、父からは「鉄筋のことよりもまずゴルフを覚えろ」と言われ、始めて1週間後にはお客様とラウンドに出ていました。

井出

今のように、仕事の中身を手取り足取り教えてもらえるような環境ではなかったため、その分、取引のなかった大手ゼネコンを一人で訪ねてまわりました。ところが、一度うまく仕事を終えても、それだけでは次の発注につながりません。それに思い至り、上層部とも関係性を築いてきました。先ほど紹介のあった田中社長の営業手法を、私も選んできたことになります。

また、社員の待遇や福利厚生の改善にも努めました。今では業界でもトップクラスにあると考えています。とはいえ、こうした変革を進めるのに私一人では限界がありました。専務をはじめ、同級生の仲間たちを呼び寄せて体制を整え、今に至ります。同業の組合でも、雰囲気が変わったと言っていただけるようになったのは最近のことです。もし10年ほどかけた変革の取り組みがなければ、今回のご縁もなかったと思います。

M&Aの最終的なご決断に至るまでには、どのような経緯があったのでしょうか。

田中

候補を3社に絞らせていただき、そこからさらに2社を残してからも随分と悩みました。異業種の会社で熱心に誘ってくれる若い社長もいらっしゃいました。若い方々がチームで生き生きと働いている姿に魅力も感じましたが、よくよく考えると、自分がその輪に入って一緒にやっていけるのだろうかという思いも頭をよぎったのです。
最終的に決め手となったのは、同じ鉄筋工事業同士であることでした。規模は違っても、事業の形は同じです。グループに入った後に何をすればよいのかが見えますし、当社が取ってきた仕事はそのまま続けられ、国井興業の仕事をいただいて忙しくすることもできます。そして、やはり井出社長をはじめとする若い方々の力にも惹かれました。

井出

意向表明では何をお伝えすべきか、なかなか考えがまとまらず、M&Aキャピタルパートナーズのお二人にも相談しながら練り上げました。そして「東和建鋼社の田中社長、そして社員の皆さんがどうすれば幸せになるかを第一に考えてほしい」というメッセージを伝えることとしました。それに、一緒になってもいきなり何かが変わるわけではありません。時間をかけて、できるところから段階的に始める意向も、率直に申し上げました。

吉田

一生に一度のご決断ですから、どの会社がよいと私どもから申し上げることはありません。ただ田中様がそもそも何を目的にM&Aを検討し始めたのか。そこに立ち返り、各社と一緒になれば何が実現できるのかを整理するお手伝いをいたしました。印象に残っているのは、田中様が「自分が従業員だったら、どの会社と一緒になるのが一番安心できるか」と考えて、国井興業に決められたことです。井出社長も社員の皆さんを第一に考えておられます。その根幹が近しかったことが、互いに選び合う結果につながったのではないでしょうか。

検討開始から成約までは、半年ほどと伺いました。

田中

当初は1年ほどかかると伺っていました。しかし話を進めていくと、心理的な負担が想像以上に大きく、耐えられないのではと感じたのです。それに一人でいると、どうしても考え込んでしまいます。そこで吉田さんに「できるだけ早く決めたい」とお願いし、スピードを上げて進めていただきました。

吉田

国井興業にとって初のM&Aでしたが、M&Aに関連する知識に明るく、確認しておきたい事項を整理して積み上げてくれる担当者がいらしたのは幸運でした。そこから逆算して一緒に段取りを組むことができたので、手順を省くことなく、あのスピード感で進められたのだと思います。

井出

今振り返れば、あっという間です。私にとっては、合格発表を待つような感覚でした。決めるのは田中社長ですから、私は待つしかない。結果を伺ったときは驚きと喜びが入り混じっていましたが、決まった以上はやるしかないと腹を決めました。

早速社員同士の連携が始まった。互いに助け合う未来へ

M&Aについて、社員の皆さんにはどのように伝えられたのでしょうか。

田中
田中

社員には成約したその日に、国井興業とともに歩むと決めたこと、そして「これからも一緒に頼む」と伝えました。社員から反対の声は一つもあがらず、黙ってうなずいていました。足元の業績を見ると、かつて感じたことがないほど業界全体が冷え込んでいます。バブルがはじけた直後にも仕事のない時期を経験しましたが、どこへ営業に伺っても、聞こえてくるのは「仕事がない」という話ばかりです。社員たちもそうした漠然とした不安を感じていたのかもしれません。
そのような環境下にも関わらず、国井興業グループに迎え入れられ、現場の仕事を任せていただき、早速助けられています。国井興業の営業部長と一緒に取引先を回り、グループに加わった報告をした際の反応も好意的でした。今後は当社も自分たちの力で仕事を獲得し、少しでも早く恩返しをしたいという思いでいっぱいです。

井出

当社では、成約の翌日に全体朝礼を開いて社員に伝えました。そのときは皆、きょとんとした顔で聞いていたのですが、2日ほど経つと社内の雰囲気が明らかに変わりました。社員がこぞって関心を持ち始め、何をすればよいのかという声があがったり、「東和建鋼社の事務の方に挨拶に行ってもいいですか」と言い出したり、変化が始まったのです。
これまで社員は、国井興業という枠の中で淡々と仕事をこなしていた色合いが強かったと思います。それが今、皆が前を向いています。新しい広告出稿を提案するスタッフもいました。これほどアグレッシブになるとは、良い意味で予想外の変化です。トラックの貸し借りや部署同士の相談も、私が指示するまでもなく始まっており、シナジーは予想以上に早くもたらされています。

今後、成功と呼ぶにはどのような成果が出せればよいとお考えですか。

井出

数字を伸ばすことが一番ですが、まずは東和建鋼社が多忙になっている状態が私にとっての理想です。加工をお願いしても忙しくて断られるほどなら、それに勝ることはありません。当社の材料仕入れの強みを生かせれば結果はついてくると考えていますし、東和建鋼社のスタッフを増やせれば、なおうれしく思います。
未来予測という点では業界の状況次第の部分もありますが、たとえ困難に陥ったときでも互いを頼るのが当たり前になっている状態が目標です。最近は、同業者から冗談交じりに「うちも仲間に入れてもらおうかな」と言われることがあります。以前ならそのような冗談さえ口にされなかったはずです。今回のご縁をきっかけに、同じ志を持つ仲間が増えていく可能性も感じています。

M&Aキャピタルパートナーズの仲介については、どのような印象をお持ちですか。

井出

仲介会社といえば営業の電話を受けたことがある程度でしたが、ここまで丁寧にフォローしてくれるものなのかと初めて知りました。立場上、言えることと言えないことがあったと思いますが、そのバランスが絶妙で、当社だけの味方と錯覚しそうになるほど手厚く寄り添っていただいたと感じています。

田中
田中

私たちとしては、吉田さんと山本さんのチームに関わっていただけたことがすべてでした。最後にいずれかを選ぶかの決断を控えた局面で、私の頭の中を一緒に整理していただいたことは忘れられません。そもそもお二人がいなければ、井出社長とお会いすることもできなかったでしょう。出会いに、感謝しています。

M&Aを検討されている経営者の方へメッセージをお願いします。

田中

二代目というのは、先代から受け継いだ会社をしっかり守っていかなければという思いが強いものです。私もそうだったように、選択肢の中で一番考えにくいのがM&Aではないでしょうか。
毎朝、先代の仏壇に手を合わせていますが、東和建鋼社がこれからも健全に続いていくことを、きっと喜んでくれていると思っています。そういえば国井興業の会長にご挨拶した際に、先代がかつて営んでいた鉄筋の工場で、会長が若い頃に働いていたことが分かりました。私も幼少期に工場で遊んだ記憶がありますが、井出社長も私も大いに驚いたものです。先代も生きていたら、さぞかし驚いたでしょう。M&Aは縁だとよく言われますが、本当にそうだと実感しています。

井出

私はもともと物事を億劫に感じるタイプなのですが、あるときを境にあえて大変な方を選ぶようになりました。コロナ禍のさなかに用地を買って本社を移転したときも、周囲からはずいぶん反対されたものです。父は何も言わず、決められるのは自分一人でした。結果として、資材が高騰する前に移転できたのは幸いだったと言えます。
M&Aも、そもそも大変なことしかありません。それでも取り組むチャンスがあるのなら、大変な方を選んだほうが面白い。今はそう思っています。

吉田

期間としては一般的なケースより短いものでしたが、何かを省いたということは一切ありません。それだけ濃密にお手伝いさせていただきました。私自身、埼玉に住んでおりますので、県内同士の素敵なご縁をお手伝いできたことを光栄に思っています。
田中様のように、「そもそもM&Aをしてよいものか」というところから出発されるケースもあります。M&Aはあくまで、思いを実現するための選択肢の一つですが、今回、田中様にとっては最良の実現策となりました。一生に一度のご決断であり、成約はゴールではなくスタートです。思いを形にする局面で、田中様の近くで寄り添えたことが、私にとって何よりの喜びです。

左から、弊社 吉田、田中様、井出様

左から、弊社 吉田、田中様、井出様

文:蒲原 雄介 写真:平瀬 拓 取材日:2026年9月7日

担当者プロフィール

  • 企業情報部  吉田 拓矢

    企業情報部吉田 拓矢

    大学卒業後、大手総合不動産管理会社に入社し、分譲マンション管理組合を顧客としたコンサルティング営業に従事。大手M&A仲介会社を経て、当社入社後は、建設業・小売業・運送業などを中心に幅広い業界の支援を手掛ける。

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