

合意の決め手は、互いに自立・自走できること。
拡大路線の新たな拠点としてのシナジーに期待
神奈川県で土木工事を手がける今井工業と、栃木、茨城、東京を拠点に土木工事を関東一円で手がけるマルニホールディングス。同業のM&Aならではのシナジーと、エリアをカバーしあうシナジーも生まれた。クロージング直前には破談も危惧される事態となったが、アドバイザーの提案が奏功。双方が未来に向けた大きな一歩を踏み出すに至るまでの想いをお聞きした。
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譲渡企業
- 会社名
- 今井工業株式会社
- 所在地
- 神奈川県横浜市
- 事業内容
- 土木事業
(下水工事・舗装工事・造成工事・外構工事) - M&A検討理由
- 後継者不在、更なる成長発展のため
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譲受企業
- 会社名
- 合同会社マルニホールディングス
- 所在地
- 栃木県真岡市
- 事業内容
- グループ会社の経営管理および事業拡大
(主なグループ会社:株式会社丸二工務店、金成重機建設株式会社、有限会社サンフラワー) - M&A検討理由
- 事業領域・エリアの拡大のため
父の興した企業を引き継ぎ、軸足を民間から公共事業へ移す
今井工業は1980年の創業ですが、当時のことを教えていただけますか。

創業者は私の父、克彦です。父はもともと準大手ゼネコンに勤めていたのですが、その会社が倒産してしまったんです。まだ40代で、私はその頃10歳でした。子供は男3人で、私が長男です。母を含め、家族をどうやって食べさせていこうかと考えたとき、仲間から誘われて起業することになったと聞いています。当時は東京都内に住んでいて、近くのマンションに部屋を借りて本社にしたようです。
社名から察すると、そのお仲間が“今井さん”だったのでしょうか。
その通りです。今井さんという方と共同で立ち上げた会社でした。ただ、その方はすぐに会社を離れてしまい、社名だけが当時のまま現在に至っています。「なぜ児玉工業じゃないの」とよく聞かれるのですが、事情はそういうことです。
どんなお父様でしたか。
私たち兄弟3人を溺愛しており、寿司屋や焼き肉屋に連れていってはたらふく食べさせてくれました。私たちが美味しそうに食べると父は大喜びで、私はその姿をもっと見たくてさらに勢いよく食べるという具合で、当時の私はかなりの肥満体でした。
そんな父も会社を興してからは非常に忙しく、早朝から深夜まで働きづめだったようです。休日もまともにとらなかったのではないでしょうか。当時はバブル前の好景気でしたから。
もっとも、子供にはバブルなんてわかりません。ただ、家の車がカローラからクラウン、セルシオと段々グレードアップしていったことはよく覚えています。子供心に、儲かっているんだなと思ったものでした。
事業としては当時から土木工事が中心だったのでしょうか。
あの頃は東北地方からの季節労働者が多かったんです。農家の男たちが冬に東京へ出てきて働き、春になったら故郷へ戻っていくという働き方ですね。父はそういう人たちの受け皿となって、宿舎に住まわせ、主にゼネコンの下請け工事を行いました。多いときで30人ほどの労働者を集めており、そのための宿舎も建てています。プレハブで、6畳一間に2人で暮らすような宿舎です。住み込みの調理員の方もいて、朝晩にはしっかりした食事を出していました。父は面倒見のいい人だったんです。
崇様が入社された経緯を教えてください。
若い頃は父の会社には入らず、他の建設会社で経験を積んでいました。
父の会社で落ち着こうと思ったのは、結婚したことがきっかけです。27歳のときでした。もちろん、最初は従業員としてのスタートです。本当に安月給でしたね。
バブルを経て、会社の事業も変わってきたのではないでしょうか。

そうですね。ずっとゼネコンの仕事を請けてきたのですが、民間ですからどうしても受注には波があります。売上も安定しないので、やはり公共事業に手を伸ばそうとなりました。
ただ、そうは言っても我々には公共事業獲得のノウハウがありませんでしたから、最初は苦労しました。当時は会社の力関係が受注を大きく左右する時代で、我々のような小規模の事業者、しかも新参者が割って入るのは簡単ではありません。
かなり精神的にも参りましたが、繰り返し入札に挑んでいくうちに徐々に仕事が獲れるようになっていったんです。そこに至るまでは何度も投げ出したいと思いましたが、そのたび父に引き留められたものでした。
東京都から横浜市に本社を移したのも、その頃ですか。
そうです。東京に本社があった時代に横浜の仕事をとりにいこうとしたとき、横浜の会社でなければ入札できないことを知り、思い切って横浜に移転しました。そうしたことも功を奏し、次第に横浜市の土木の仕事を受注できるようになり、民間から公共へと会社の舵を切ることができたのです。現在も、事業は神奈川県内の下水工事や道路工事、造成工事が中心で、元請けとして直営施工を行っています。
2011年に崇様が社長に就任されましたが、どんな思いで社長を引き受けられたのでしょうか。
前年に父が重い病気に罹り、体力的にも経営を続けるのは難しいということで、私が引き継ぐことになりました。正直に言って当時の私には社長を務める力量も覚悟もなかったのですが、父の思いを汲み、腹をくくったわけです。父も本心では、私に任せるのはまだ早いと思ったのではないでしょうか。
父はかなりワンマンな経営者で、私に相談こそすれ、答えは既に自分の中にあるという人でした。自信家でカリスマタイプとも言えます。私はそんな父を尊敬していましたが、自分が同じようにやろうとしてもできないことはわかっていました。それに私なりに何か変えようとしても、古くからいる従業員が反発することは火を見るより明らかでしたから、基本的には父の路線を引き継いで進むことにしたんです。
私が経営を引き継ぐに際して父から強く言われたのが、「何が何でも決算は黒字にしろ。1円でもいいから黒字だ」ということでした。もちろん数字を粉飾するという意味ではありません。事業というのはそれぐらいの覚悟で取り組まなくてはダメだということです。
また「会社には必ず浮き沈みがある。深く沈んでからでは難しいので、沈みかけたときにしっかりと手を打て」「働いてくれる作業員を大切にしろ」とも言われました。今では時代が変わって、昔のように季節労働者が大勢来ることはなくなりましたが、宿舎は今も残っています。
経営者として尊敬できる人との出会い。自らの直感に従って決断する
事業についての特徴や強みを教えてください。

横浜市と神奈川県の公共事業を中心に手がけています。インフラですので老朽化に伴う補修・保全の工事が多く、これらについては経験が豊富です。技術力にも自信がありますから、今後、老朽化の問題が深刻になるにつれて当社に対する需要も高まってくるのではないかと見ています。
課題についてはいかがですか。
やはり競争の激化ですね。年々競合相手は増えていると感じますし、その中で確実に入札に勝っていかなくてはなりません。割のいい仕事になると競争も増えますが、とにかくできるだけ多くの入札に参加して仕事をとっていきます。
また、人手不足も課題です。いくら機械化・自動化が進んでも、建設業は最終的に“人”なんですよ。それも1軍としての熟練工だけでなく、2軍、3軍に相当する人材も欠かせません。1軍から3軍まで、バランスよく組み合わせてこそいいチームワークが生まれますから、作業員は今後も大切に育てていきます。
そうした中でM&Aに関心を抱くようになった経緯を教えてください。
きっかけはコロナ禍でした。もし自分が新型ウイルスに感染し、最悪の場合、死んでしまったら、会社はどうなるんだろうと考えました。親族にも、会社にも後を引き継いでくれる人材はいない。となると、私に万一があったら、倒産か廃業しかないと気づいたわけです。
加えてコロナの影響で、公共工事・民間の工事ともに件数がガクンと減ったことも、そうした思いに拍車をかけました。さらに働き方改革や高齢化が進む中、従来のやり方で利益を出すことは難しくなっていくだろうと考えました。こうした思考の中から浮かんできたのが、M&Aという選択肢だったわけです。
それから銀行や税理士の先生、コンサル会社など様々な方に相談する中で、M&Aキャピタルパートナーズの徳田さんに出会いました。

実は、譲受企業であるマルニホールディングスから、以前にも弊社経由で成約実績があり、「引き続き土木工事業種で良い会社があれば紹介してほしい」とご相談をいただいていました。
今井工業様は、必ずしも先方が当初希望されていた条件にすべて合致していたわけではありません。ただ、事業内容や地域性などを踏まえると、両社をお繋ぎすることで新たな可能性が生まれるのではないかと感じ、私から児玉様にお手紙を出させていただきました。
特に魅力を感じたのは、東京と並ぶ激戦区である横浜市に本社を構え、長年にわたり堅実に事業を展開されている点です。
M&Aに興味はあったものの、会社の譲渡自体にはいいイメージがありませんでしたし、決して焦る状況ではなかったので、「いい相手がいれば」という思いでした。各社から数多くの手紙をいただいても、ほとんど中身も読まずに捨てていたほどです。
徳田さんからのお手紙の封を切ったのは、好奇心というか、「ちょっと相談に乗ってもらうのもいいかもしれない」と思ったからです。何しろ経営者というのは孤独ですから。M&AキャピタルパートナーズはテレビのCMでおなじみでしたので、安心感があったこともあります。
最初の面談では、どんな印象を持ちましたか。
徳田さんにお目にかかってまず思ったのは「若いな」でした。もっと年上の方が来られると思っていたんです。ただ、若くて健康的な方だと感じたので、印象はよかったです。
実は並行して他の仲介会社にも会い、実際に譲受を希望する会社とも面談しました。10社ほどあったかと思います。ただ、ピンとこなかったですね。うまい言い方ができないのですが、どうしても私と噛み合わないと感じました。もちろん皆さん経営者として立派な方ばかりで、何千人もの社員を抱える方もいらっしゃいましたが、そうした会社は逆に当社を譲渡したところで何のシナジーも生まれないのではないか、自分に何ができるのだろうと不安だったのです。
そういった、いわば“直感”も、M&Aにおいて大切な要素の一つだと思います。経営者の方は、それぞれご自身の経営哲学や大切にしてきた価値観をお持ちです。そのため、価格や条件面だけではなく、「この方になら会社を託せる」「この方となら一緒になった後の未来を描ける」と感じられるかどうかも、お相手を選ぶうえで非常に重要だと考えています。

徳田さんは、本当に親身になって話を聞いてくれました。そこで私からも、M&Aのお相手に求めることとして、同業の会社であること、そして、父から受け継いだこの会社をさらに成長させてくれること、何よりもこれまで会社を支えてくれた従業員を大切にしてくれることなどをお伝えしました。
譲受企業であるマルニホールディングスの鈴木様とのトップ面談を実施しました。面談後、マルニホールディングス様から意向表明書をご提出いただきましたが、児玉様からは「もう少し考える時間がほしい」とご連絡をいただきました。
M&Aは会社の将来を左右する大きな決断ですので、一度立ち止まってじっくり考えていただくことも非常に大切です。こちらから結論を急かすことはせず、児玉様が十分に納得して判断できるまで、お時間を取っていただきました。
その後、改めてマルニホールディングス様との2度目のトップ面談を実施しました。お互いの考えや今後の会社の方向性について改めてお話しいただき、児玉様にもご納得いただいたうえで、意向表明書に応諾いただきました。
マルニホールディングスの鈴木代表にお目にかかった第一印象は、尊敬できる方ということでした。私と同年齢ですが、経営者としてはまったくタイプが異なります。そこに強く惹かれました。非常に冷静で合理的な考え方をする方で、私の周囲にはいなかった経営者です。私にはないものをお持ちだと強く感じました。
ネットワーク拡大へ、積極的にM&Aを推進
譲受企業であるマルニホールディングスについてお聞かせください。

中核企業である株式会社丸二工務店は1919年の創業ですから、1世紀を超える歴史があります。古すぎて私も当時のことは詳しく知らないのですが、創業の地は埼玉県蕨市です。この周辺は高度成長期にかけて東京のベッドタウンとして発展し、それにつれて下水道などのインフラ整備が進みました。丸二工務店は、その波に乗って順調に業績を伸ばしたそうです。
その後、開発の流れは埼玉から栃木に波及し、工業団地の誘致も盛んになって、やはり上下水道整備が進みました。このタイミングで本社を蕨市から栃木県真岡市に移したわけです。1983年のことでした。
ちなみに社名の「丸二」とはどういう意味でしょうか。
創業家の家紋です。丸印に「二」の文字が入っていたようですね。実は丸二工務店の本社が栃木県真岡市に移ったときに資本を北海道の建設会社に譲り渡しており、これを機に創業家は経営を離れたんです。その際に話をまとめたのが、政治家だった私の父でした。これをきっかけに私が経営に参画することになり、2019年にMBOの形で独立。現在の形になりました。
MBOを決断したのは、北海道の建設会社のグループにいたとき、栃木で事業を営む私たちと本部との間で、意思決定にかかるスピード感にズレが生じていたためです。我々の風土とは合わないと感じて、ひとり立ちすることにしました。
経営の自由度が高まった後、どのようにしてM&Aを進めていかれたのでしょうか。
最初に譲り受けたのは茨城県の建設会社です。このときに仲介をお願いしたのがM&Aキャピタルパートナーズでした。当時担当してくださったのが大竹さん(企業情報部 課長 大竹 徹)で、とにかく抜群に優秀な方だったことが強く印象に残っています。
私自身、M&Aが初めてでしたから、初期投資をなるべく抑えたいと相談したところ、しっかりと意向を汲んで話をまとめてくれました。後継者不在に悩んでいた先方のオーナー様にも大変ご満足いただき、その手際の良さには本当に感心したのを覚えています。
2社目の譲受は他社による支援でしたが、こちらの狙いを教えていただけますか。

きっかけは会計事務所の紹介です。東京か埼玉で会社を探していたところ、いい会社があるというので話をまとめてもらいました。この会社が得意とする鉄道土木は特殊な業界で参入が非常に難しいため、当社にとって大きなプラスとなりました。
積極的にM&Aを行っている狙いは何でしょうか。
これまでお話ししたように、丸二工務店は関東を中心に土木工事を主軸とする会社です。特に北海道のグループ時代に培った農業土木については、優れた技術と実績を誇ります。1社目の会社を譲り受けたことで、より広いエリアで着実に工事を手がける体制が整いました。さらに2社目のM&Aによって、新たに鉄道土木という軸もできたことになります。
当社グループではM&Aを、事業領域とエリアの拡大のために活用しています。特に公共工事の入札に参加するには、その土地に本社機能があることを求められるので、支店や営業所を置くだけでは足りません。地元の企業に仲間に入ってもらう形が、最も合理的なのです。
茨城、埼玉、千葉、東京、神奈川といった関東エリアでネットワークを広げ、面で展開していくことを目指しています。
そうしたエリア拡大の戦略のもと、今回はどうして今井工業とのご縁がつながったのでしょうか。

1社目のM&Aをご支援させていただいたことでご信頼いただき、鈴木様からはその後も「引き続き土木工事業で良い会社があれば紹介してほしい」とご相談をいただいていました。なかでも当初は、事業エリアの拡大を見据えて「埼玉・千葉エリアに強い会社を探している」というご意向を伺っていました。
そうしたご希望を踏まえて候補企業を検討していく中で、私が注目したのが今井工業でした。エリアという点ではご希望の埼玉・千葉ではなく神奈川ですから、当初の条件に合致していたわけではありません。ただ、東京と並ぶ競争の激しい横浜エリアにしっかりと事業基盤を築き、長年にわたって堅実な経営を続けている。そうした今井工業の強みを知るほど、「条件とは少し違うけれど、マルニホールディングスにぜひ一度紹介してみたい」と思うようになりました。
そこで私から鈴木様に、「埼玉ではなく神奈川の企業ですが、一度見ていただけませんか」とご提案し、今井工業をご紹介させていただいたんです。
当初は埼玉か千葉の企業を希望していたので、神奈川は正直、ちょっと遠いなと思ったんです。しかし調べてみたら埼玉・千葉とは1時間程度しか離れていないし、当社グループのネットワークの強化という点では十分だと感じました。
加えて、宿舎を自前で所有しているという点に強く惹かれました。人手不足の中、作業員の確保は大きな課題であり、今後、外国人労働者を受け入れるにしても宿舎は非常に重要なインフラとなります。外国人の受入についてはこれから様々な条件が厳しくなると予想されるので、確実に受け入れられる体制があるという点は大きな強みでした。
想定外の事態に直面も、渾身の提案によって乗りきる
実際に児玉様と対面していかがでしたか。
お互い緊張していたためどちらも口数は少なかったですが、非常に誠実な方だという印象を受けました。
私がM&Aに際して重要な条件としているのが、「自走できる会社であること」です。つまり、グループインしたからといってこちらから何かを変えるということはせず、従来のやり方でそのまま経営を続けていただきたいと考えています。だからM&A後も、社長には同じ仲間としてそのまま経営に当たっていただきたい。となると重要になってくるのは、経営者の人柄と能力だと思っています。これは絶対に譲れないポイントでした。
児玉様から見た鈴木様の印象はいかがでしたか。
とても誠実で、経営者としての能力も非常に高い方だという印象を受けました。建設業は見積を書くところから始まりますが、鈴木代表は営業の経験も、現場で作業員として働いた経験もあるので、ご自分で見積書が書けますし施工現場の管理もできます。こうした一連の仕事を人任せにせず、すべて自分の責任でこなせる経営者はなかなかいません。すべてを把握されている鈴木代表は、大変に有能で頼もしい方だと感じました。
すると、その後の流れはスムーズだったのでしょうか。

決して順調というわけではなかったですね。詳しくお話しすることはできないのですが、一時は話が頓挫しそうになったこともありました。そこを乗り越えてまとめてくれたのが、徳田さんだったのです。
最終合意の直前に、スキームそのものを大きく見直さなければならない事態が生じました。このままでは両社が納得できる形での成約が難しくなる可能性もあったため、社内の専門チームとも連携しながら、双方にとって最善の着地点を模索しました。
その結果、新たなスキームをご提案することができ、児玉様、鈴木様双方にご理解いただいたことで、無事に成約まで進むことができました。
徳田さんの提案を受け入れてくださった児玉社長の懐の深さには感銘を受けました。場合によっては破談になってしまうかもしれないと危惧していましたから、児玉社長の誠実な人柄は本当に素晴らしいと思います。もちろん徳田さんの考え出したスキームも見事で、まさにアドバイザーとしての真価を感じました。
今後のグループの展開についてはどのようにお考えですか。
現在も、専門性の高い領域を中心に新たなM&Aを検討しています。鉄道土木をはじめ、専門性が高く新規参入が容易ではない分野の会社がグループに加わることで、それぞれの強みを掛け合わせ、さらなる相乗効果を生み出せると考えています。
今後も、事業領域だけでなくエリアの面でも各社の強みを生かしながらグループとしての連携を深め、将来的には売上高100億円を一つの目安として成長していきたいと考えています。
もちろん今井工業にはこうしたシナジーの一翼を担っていただきたいと考えており、同社と違う強みを持つ会社と神奈川で連携してもらう予定です。今井工業には作業員を受け入れる拠点としての宿舎があり、資材置き場もあります。これらもシナジー発揮における大きなアドバンテージでしょう。
今までは私のワンマン経営でしたが、これからはグループの一員として協力しながら経営に当たることに、心強さを感じています。責任を持って、しっかりと結果を出したいですね。もし弱音を吐くようなことがあったら、鈴木さんにしっかり叱っていただきたいと思います。
今回の取り組みを振り返って、M&Aキャピタルパートナーズに対してどのような印象を持たれましたか。

私にとってM&Aは初めてで、すべてが新鮮な驚きでした。特にこんなにも早く鈴木さんという素晴らしいリーダーに出会えたことは、想定外のことでした。M&Aキャピタルパートナーズに感謝しています。
繰り返しになりますが、とにかく優秀なアドバイザーがそろっていることに感心しました。しかも、レスポンスが非常に速いんです。資金計画を立てる上でもスピードは重要な要素ですから、この点でも大いに信頼しています。
最後に、M&Aをお考えの経営者へメッセージをお願いします。
経営者というのは孤独で、誰もが何かしらの不安を抱えているものです。私もそうでした。大切なのは1人で悩みを抱え込まず、何らかの行動に移してみることです。一度専門家に話を聞いてもらうだけで、今後の事業展開のヒントなど、大きな気づきが得られるでしょう。何よりも、1人で悩んでいたときのネガティブな気持ちがポジティブなものへと切り替わっていくことが、相談することの一番の効果だと思います。
企業の成長は経営者にとって最重要課題ですが、単体で売上を伸ばしていくことは容易ではありません。拠点を増やすことも、新たな業界に新規参入することも、限界があるでしょう。その意味でも、M&Aは非常に有効な手段であることは間違いありません。思い切って一歩踏み出してみれば、きっと見える景色も変わってくるはずです。
児玉様がおっしゃったように、M&Aに対してネガティブなイメージをお持ちのオーナー様も、まだまだいらっしゃることと思います。
しかし、M&Aは会社をさらに成長させていくための有力な手段であると同時に、大切な従業員の皆様や、そのご家族の将来を守っていくための一つの手段でもあると、私は考えています。
もちろん、M&Aがすべての会社にとって正解というわけではなく、あくまで経営における選択肢の一つに過ぎません。
ですので、今すぐ「会社を譲る」と決断する必要はありません。迷ったままでも構いませんので、まずは情報収集から始めてみてはいかがでしょうか。
さまざまな選択肢を知ったうえで、オーナー様や会社、そして従業員の皆様にとって最善の道を選んでいただくことが何より大切だと思っています。

(左から)弊社 徳田/児玉様/鈴木様
文:丹後 雅彦 写真:平瀬 拓 取材日:2026年8月27日
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