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日本のM&Aの歴史について
日本のM&A市場は、約40年の歴史のなかで大きな変革を遂げてきました。バブル期の大型海外買収から、バブル崩壊後の金融再編、リーマンショック後の中小企業M&Aの活性化まで、その形態は時代と共に進化を続けています。
ここでは、日本のM&A史における重要な転換点を振り返りながら、その歴史的背景と意義について解説します。
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~日本のM&Aの歴史とは~
日本のM&A市場は、約40年の歴史のなかで大きな変革を遂げてきました。バブル期の大型海外買収から、バブル崩壊後の金融再編、リーマンショック後の中小企業M&Aの活性化まで、その形態は時代と共に進化を続けています。ここでは、日本のM&A史における重要な転換点を振り返りながら、その歴史的背景と意義について解説します。
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~その他 M&Aについて~
目次
日本におけるM&Aの歴史
日本におけるM&Aの歴史は、戦後の経済復興期に始まります。当初は企業の再建手段として限定的に活用されていましたが、経済成長と共にその役割は拡大し、現在では企業の成長戦略や、事業承継の手段として広く認知されています。
時期 | 主な特徴と出来事 |
---|---|
バブル経済期(1980年代後半~1990年代初頭) |
1985年のプラザ合意後、日本企業は円高不況を経験。その後の金融緩和により過剰な資金が不動産・株式市場に流入し、バブル経済が発生。この時期、ソニーによるコロンビア・ピクチャーズの買収(6,700億円)など、日本企業による大型の海外M&Aが活発化した。 |
バブル崩壊後の再編期(1990年代~2000年代前半) |
バブル崩壊により多くの企業が不良債権問題に直面。金融システム改革(日本版ビッグバン)を契機に、銀行業界で大規模な再編が進む。みずほフィナンシャルグループ、三井住友銀行、三菱東京UFJ銀行などのメガバンクが誕生。 |
IT・インターネット企業の台頭期(2000年代前半) |
ITバブルの発生と共に、インターネット関連企業のM&Aが活発化。楽天やヤフーなどによる積極的な企業買収が目立つ。ライブドアによる敵対的買収なども社会的な注目を集めた。 |
グローバル競争期(2000年代中盤) |
国内市場の成熟化を背景に、日本企業の海外展開が本格化。アジアを中心とした新興国市場への進出を目的としたクロスボーダーM&Aが増加。 |
構造改革期(2000年代後半) |
産業再編や事業の選択と集中を目的としたM&Aが増加。同業種間の経営統合や、異業種からの参入なども活発化。企業の競争力強化を目指す動きが顕著に。 |
事業承継・再編期(2010年代~現在) |
経営者の高齢化を背景に、中小企業の事業承継型M&Aが急増。また、産業構造の変化に対応するための業界再編や、グローバル競争力強化を目的とした大型案件も継続的に発生。 |
バブル経済期(1980年代後半~1990年代初頭)
1985年のプラザ合意を契機に、円高による輸出産業の苦境を支援するため、日本銀行は大規模な金融緩和策を実施します。この政策により、企業には潤沢な資金が供給され、その余剰資金は株式市場や不動産市場に流入しました。結果として、株価や地価が異常に高騰するバブル経済が形成されていきます。
この時期の日本企業の多くは、好景気を背景に株式発行などで巨額の資金調達を行い、積極的なM&Aを展開しています。特に、不動産関連やレジャー・サービス業への投資が活発化し、大手流通企業や鉄道会社によるホテルやゴルフ場の買収が相次ぎました。
当時のM&Aの特徴は、日本の大企業による海外企業の買収が中心だったことです。代表的な事例として、1989年にソニーが米国の映画会社「コロンビア・ピクチャーズ・エンタテインメント」を6,700億円で買収したケースが挙げられます。この買収は、アメリカのメディアから「魂を売った」と批判されるなど、文化的な摩擦も引き起こしました。
また、この時期には日本初のM&A専業会社となる株式会社レコフ(RECOF)が設立。M&Aに関する市場の整備も進み始めます。レコフ創業者の吉田允昭氏は、米国投資銀行の手数料算定方式を参考に、日本型のM&A仲介モデルを確立しました。これが現在の「レーマン方式」と呼ばれる手数料体系の起源となっています。
【M&Aの黎明期と吉田氏の功績】株式会社レコフ創業者である吉田氏がM&Aと出会ったのは1973年。山一證券在籍中に米国のM&A案件リストを見せられ、「会社を売る」概念に衝撃を受けます。M&A専業部隊を設置し、翌年初の事業譲渡を成功させ、手数料表も米国方式を導入しました。
なお、株式会社レコフの創業日にちなんで、1987年12月10日は「M&Aの日」と制定されました。
参考:レコフの歴史|M&A・事業承継なら株式会社レコフ
レーマン方式の起源についてレーマン方式の起源は諸説あるものの、日本では吉田氏が導入したことが始まりです。アメリカの投資銀行リーマン・ブラザーズの手数料算定方式を参考にしたとされ、「リーマン」が「レーマン」に変化したという説もあります。
バブル崩壊後の再編期(1990年代~2000年代前半)
1990年代初頭のバブル経済崩壊は、日本の金融界に大きな転換をもたらしました。多くの企業が保有資産の評価損や借入金返済に苦しみ、銀行には巨額の不良債権が積み上がります。
この状況を打開するため、大規模な金融再編が進められ、いわゆる「メガバンク」が誕生しました。代表的なメガバンクは以下のとおりです。
- 東京三菱銀行(現三菱UFJ銀行):三菱銀行と東京銀行の合併
- みずほ銀行:富士銀行、第一勧業銀行、日本興業銀行の合併
- 三井住友銀行:住友銀行とさくら銀行の合併
1996年11月、第2次橋本内閣による金融改革(日本版ビッグバン)をきっかけに、M&A市場は新たな局面を迎えます。銀行の破綻処理や業界再編の動きが本格化し、IT・食品・家電など多様な業界でM&Aが活発化しました。
一方で、当時の日本では企業の譲渡は「身売り」「乗っ取り」などとネガティブにとらえられることが多く、M&Aに対する社会的な理解はまだ十分ではありませんでした。
この時期、レコフは金融機関の統合案件やIT・電機・食品・家電量販店・コンビニエンスストア業界の再編など、数多くの重要案件で助言を行い、日本のM&A市場の発展に貢献しています。
リーマンショックまで(2000年代前半~2007年)
1990年代末から2000年代初頭にかけて、インターネットの急速な普及を背景に、IT関連企業が急成長を遂げます。特にアメリカでは、IT産業に対する過剰な期待から株価が異常に高騰する「ITバブル」と呼ばれる現象が発生しました。
この時期、日本でもM&Aに関するニュースが頻繁に報道されるようになり、その存在は広く認知されるようになります。しかし、報道の内容は必ずしもポジティブなものばかりではありませんでした。特に、ライブドアによるニッポン放送株式の買収劇は、「M&A=乗っ取り」というイメージを強く印象付けることとなります。実際には敵対的買収は極めて稀なケースでしたが、センセーショナルな報道により、M&Aに対する社会の不安や懸念が増幅される結果となりました。
そうした状況のなか、2006年には中小企業庁が「事業承継ガイドライン」を策定・公表します。これは、中小企業経営者の高齢化が進むなか、円滑な事業承継を促進し、中小企業の活性化を図るための指針として示されました。このガイドラインは、M&Aを事業承継の有効な選択肢の一つとして明確に位置付け、その後の中小企業M&Aの活性化に大きな影響を与えることとなります。
リーマンショック後から現在まで(2008年~)
2008年9月、米投資銀行リーマン・ブラザーズの破綻を契機に世界的な金融危機(リーマンショック)が発生します。これにより、日本企業も輸出不振に陥るなど大きな打撃を受け、2011年までにM&A件数は約40%減少しました。
そんな中、日本企業は成長機会を求めて海外市場への展開を加速させて、グローバル市場での事業拡大を目指す「IN-OUT型」のM&Aが活発化しました。
また、この時期の日本では少子高齢化の進行により、多くの中小企業で後継者不在が深刻な問題となります。これを背景に、2010年代に入ると中小企業のM&Aは急成長フェーズを迎えます。特に、事業承継を目的としたM&Aが急増し、その実施件数は従来と比べて大幅に伸長しました。
具体的には、2014年度には事業承継・引継ぎ支援センターを通じたM&A実施件数が102件だったのに対し、2022年度には1,681件まで増加します。また、民間M&A支援機関による実施件数も、同期間に260件から4,036件へと飛躍的に拡大しています。このように、大企業同士の大型案件だけでなく、中小企業の事業承継手段として、M&Aが広く活用されるようになりました。

中小企業庁登録の「M&A支援機関登録機関」の登録件数も、1980年代から大きく増加しており、当初19件以下の登録しかなかったところ、2020年代には1,648件におよびました。

(https://www.chusho.meti.go.jp/zaimu/shoukei/2024/240220m_and_a02.pdf)
日本企業では経営者の高齢化も深刻で、2023年には経営者の平均年齢が60.5歳と過去最高を更新しています。さらに、年間で約6万社もの事業が休廃業していることもあり、中小企業のM&Aの必要性は今後増していくものだと考えられます。
【レコフとM&Aキャピタルパートナーズの歴史】吉田氏により1987年に設立された日本初のM&A専業ファーム「レコフ」は、その後急速に成長。1988年には米国のウォール・ストリート・ジャーナルや英国のフィナンシャル・タイムズがその設立を取り上げ、日本のM&A市場への注目を集めました。
1996年の金融ビッグバン以降、同社は銀行の統合や業界再編に関わる数多くの案件で助言を行い、日本のM&A市場の発展を牽引する存在となります。2016年には、上場企業であるM&Aキャピタルパートナーズへの株式譲渡を通じて、創業者自身が事業承継を実践し、業界に新たなモデルケースを示すこととなりました。
昨今のM&Aの状況と今後の展望
今日の日本のM&A市場は「成長戦略の実現」「グローバル化」「業界再編」「事業承継」「グループ再編」など、その目的が多様化しています。
こうした市場の多様化と拡大に伴い、業界の健全な発展に向けた整備も進んでいます。2024年には自主規制ルールの強化や「特定事業者リスト」の運用開始により、悪質な事業者の排除に向けた取り組みが本格化しました。さらに2025年にはM&Aアドバイザーの資格制度が導入され、業務品質の向上が期待されています。
まとめ
日本のM&Aの歴史は、1980年代のバブル期における海外企業の大型買収から始まり、バブル崩壊後の金融再編、そしてリーマンショック後の中小企業M&Aの活性化へと、時代と共にその形を変えてきました。現在では事業承継や成長戦略の重要な選択肢として定着し、2024年からは業界の健全化に向けた新たな制度整備も始まっています。
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よくある質問
- 日本のM&Aの歴史はどのように始まりましたか?
- 日本のM&Aの歴史は、戦後の経済復興期に始まり、当初は企業の再建手段として限定的に活用されていましたが、経済成長と共にその役割は拡大しました。
- バブル経済期のM&Aの特徴は何ですか?
- バブル経済期(1980年代後半~1990年代初頭)のM&Aの特徴は、日本の大企業による海外企業の買収が中心であり、ソニーによるコロンビア・ピクチャーズの買収などが代表的な事例です。
- リーマンショック後のM&A市場の変化は?
- リーマンショック後、日本企業は成長機会を求めて海外市場への展開を加速させ、中小企業の事業承継を目的としたM&Aが急増しました。